7.いなくなった男
1.悪い夢見の朝
ドアが閉まる音が、夢と現実の狭間で聞こえた。
「おはよーございやーす」
現実側で響き渡る脳天気な声で、志摩は目を覚ました。
「……お前、一体どうやって入った……?」
凝り固まった身を起こせば、ベッドの傍には黒いニット帽を被った黒いジャケット姿の男がいる。
顔の見えない黒衣の男が足元に佇む夢を何度も見ていた。その悪夢の続きでも見ているのかと、志摩は掠れ声で訊ねた。
「へ? 普通に鍵、開いてましたよ。部屋の場所は下にいた大家の婆さんに聞きました」
佇む趣きもなく、秦太朗はへらっと笑って答えた。
昨晩の記憶を蘇らせるが、確かに鍵を掛けた覚えはない。事実この相手がここにいるのを思えば、そのとおりだったのだろう。自分の不用心さには苛つきしか残らず、志摩はベッドの上で重い頭を振った。
「お前、何しに来た?」
「何しにってそれ、言い方ちょっと冷たかないっスか? まぁ一応朝飯買ってきたんですよ。安っすいハンバーガーですけど、せっかくなんで一緒に食いましょーや」
手にしたファストフード店の袋を翳すと、秦太朗は部屋を出て勝手にリビングの方に歩いていった。
「それと借りてた車は下に停めておきましたー。鍵はここに置いておくっスねー」
「そのうち取りに行くって言ったろ?」
「でも足がないと志摩さんが困ると思って」
秦太朗の声がリビングから届く。同時にがさがさと袋を探る音や、勝手につけたらしきテレビの賑やかしい音が聞こえてくる。
志摩はベッドの上でとりあえず昨日の傷に触れてみた。昨晩より熱と痛みは治まっている。動けばまだ痛むだろうが、耐えられないほどではないはずだった。
「志摩さーん、冷める前に食いましょーよ」
用意を終えたのか、秦太朗が再び寝室にやって来た。いつもの笑顔を扉の傍で見ることができるが、突如それは消える。凍りついたようになった視線は、ベッド上に縫いつけられていた。
「……あ、あの……すいませんでしたっ! オレ、ベッドに彼女さんがいたなんて全然気がつかなくて……」
秦太朗は身振り手振りで慌てながら、みるみる顔色を変えていく。彼が凝視しているのはベッド上にあるもう一人分の毛布の膨らみだった。
「……あー、なんかうるさいなぁ、朝っぱらから何?」
「えっ? えっ? お前、澤村……? えっと、えーっと、志摩さんが昨日言ってた相棒ってそういう感じの意味だったんですか……?」
騒がしさに目を覚ました花が、毛布から寝惚け顔を出していた。それを見て秦太朗はもっと慌て始め、志摩はその光景に溜息をついた。億劫な説明や相槌は極力しないと決めた。でもこの件はどうするべきかやや悩む。
「誰? 何、こいつ?」
花はようやく身を起こすと、見知らぬ闖入者を訝しげに見上げている。だがすぐさま別のことを察したのか、素早くベッドから飛び下りると茫然とする相手の脇をすり抜けて、リビングへと駆けていった。
「秦太朗」
「はい! な、なんですかっ、志摩さん!」
声をかけると秦太朗が直立したままこちらを向く。
「持参したあの朝飯、お前も食うつもりなら早く食うか確保した方がいい。そうしないとお前の分も全部食われるぞ」
そのように告げると、リビングから花の大声が届く。
「ねぇハル! お腹空いた! ここにあるハンバーガーって食べていいの?」
「なぁ聞こえたか? あいつは身体に似合わず馬鹿みたいに食うんだ。それと口も悪いから気をつけろ」
秦太朗は直面した事実をどう処理していいか分からず、まだ呆けている。
志摩は助言だけ投げると相手の横を素通りして寝室を出た。
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