6.追う過去

1.志摩と秦太朗

『それって早く私に会いたいから? あれ? ハル? ハルー?』


 相手との通話を一方的に終わらせた志摩は、雑踏を歩き始めた。多少危惧を感じつつも、颯を一人で行かせたことを少し後悔していた。二人が途中で入れ替わったことには思うところも残るが、今自分が行って状況が改善される訳でもなかった。


「あれ? 電話もういいんスか? 志摩さん」

 言いながら駆け寄った相手が、飼い犬のようにまとわりつく。志摩は相手に一瞥だけくれると、後は無視した。

「今の電話誰っスか? あっ、もしかして彼女さんっスか? 志摩さんの彼女さんなら、きっとすんげーいい女なんでしょうねぇ……いやホント、これ全然お世辞とかじゃなくてマジでそう思うんスよ。今度オレにも会わせてくださいよねー」

 

 五時を過ぎた美並の街は人が増え始めていた。その喧噪に紛れて馴れ馴れしい声が届く。志摩は相手に態度で示したつもりだったが、まるで伝わっていないようだった。放っておくと、背後をぶらぶらしながら歩く相手の軽薄な声は勝手に続いた。


「オレもしおりん……じゃなくて潮里と会えたら真っ先に志摩さんに紹介しますから! 潮里、見た目はイケイケっぽいでしょ? でもああ見えて料理がすんげー上手いんですよ。特に和食。志摩さん、和食なら何が一番好きですかー? きんぴらごぼう? ブリの照り焼き? それとももしかして超本命の肉じゃがっスかぁ?」

 無視し続けてもよかったが、ただ五月蠅すぎていた。

 志摩は雑踏で足を止めると、まとわりつく声の主、金髪男シンこと本庄秦太朗を振り返った。


「お前、少し黙ってろ」

「へーい、すいやせーん」

「またそのくだらない話を始めたら、その鼻についてるやつまとにしてぶん殴るからな」

「えっ? も、もしかして今の、マジの方っスか……? す、スイマセンですっ、志摩さん! オレ、今マジ反省してますっ! んで、喋んなってゆーお達しも今全身全霊で了解中っスっ!」


 相手はようやく察したのか多少は真剣な顔つきになる。しかしピアスのついた鼻を片手で押さえ、もう片方の手で敬礼してみせるその姿は、巫山戯ているのか真摯なのか分からない。いや多分、全面的に巫山戯ている。

 志摩は呆れ顔で相手を一瞥すると、再び歩き始めた。

 ボスの指示を受け、あまり気が進まないままこの男に連絡をつけることになった。大袈裟な絆創膏と包帯姿で現れた相手は、懲りもせずに潮里の捜索をまた始めたと訊きもしないのに真っ先に語った。

 それ以降落ち着きのない様子でついて回り、べらべらとどうでもいいことを喋りまくる相手を志摩は早くも持て余していた。この男からはプラスになる事象より、マイナスな事象を運んでくる気配を多大に感じる。早々に追い払いたくもあったが、とりあえず訊いておきたいこともあった。


「今日は何か掴めたのか?」

 まず本日の成果を訊ねると、相手は鼻と口を押さえたまま「喋っちゃ駄目なんですよね」とジェスチャーを送ってくる。

「俺はくだらない話をするなと言っただけだ。質問には答えろ」

 溜息をつきつつ返すと、相手は「そうかー♪」といった笑みを浮かべて、変わらぬ浮ついた様子で隣に並んだ。

「えーとですね、オレ、この一週間で明神組の息のかかってる場所はほとんど当たってみたんです。だけど残念なことにどこも空振りでした……今日も取りこぼしてた所を回ってみたものの結果は変わらずです……でもオレ、思いついたことがあるんです! これまで潮里はどこかの店で無理矢理働かせられてるんじゃないかと思ってたけど、もしかしたら違うんじゃないかって!」

「どういうことだ?」


「志摩さんもご存じと思いますけど、潮里はすんげぇ可愛いんです。だからその可愛さに目をつけた富士田んとこのロリコン組長の女にされてるのかもって思ったんです! もしそうならこんなの絶対許せねぇことっスよね! そうだった暁には志摩さん、奴らの所にガーッと乗り込んで、昨日みたいにちゃっちゃーとヤッちゃってくださいよ!」

「……一つ訊ねるが、明神組長はそういう趣味なのか?」

「んなこと知らねーっスよ! でもそうかもってことっスよ! 潮里がそんくらい可愛いってことは周知の事実ですから、これはオレの超ウルトラシックスセンス的推理っスよ!」


 息巻く相手を横目に志摩は溜息をついた。まともに問い返した自分が馬鹿だったとしか思えなかった。

 この男が周囲にばら撒く『潮里可愛い可愛すぎるよ妄想』と『超超愛してる発言』には付き合いきれない。それならばなぜ潮里を渡してしまったのかと問い質したくもなるが、そのなぜについては聞きたくもないし、聞かされたくもなかった。

 この相手に対応するのも少し疲れてきた。しかしこの男が常に口にする女子高生のことは考えない訳にはいかなかった。


 いなくなった女子高生、小暮潮里。

 彼女はただの女子高生ではないと、志摩は考えていた。

 明神組の富士田と舎弟は、潮里が失踪前に関わりを持った人物がこの件について語ることを阻止しようとしていた。

 秘密裏に潮里を攫うことで、明神組が得る利益とは何か。

 潮里の身柄と引き替えに要求されるのは金? だがその要求があったとは聞いていない。

 攫うことに意味がある? それは特定の誰かへの復讐なのか。その誰か。

 志摩が秦太朗に訊きたかったのは、潮里の両親のことだった。

 父親の名は小暮弘樹。資料には都内の外資系に勤務とだけあった。


「秦太朗、お前、潮里の父親のことは知ってるのか?」

「えっ? 潮里の親父さんですか? オレ、潮里とはいつも外で会ってたんで、直接会ったことはないんです。だけど彼女の話だとドイツ人クオーター? ってヤツらしくて、今は日本にいるけど、潮里も小学生になるまではずっとドイツ暮らしだったそうです。そのせいか潮里もちょっとだけですけど、日本人離れした顔してるんスよ。潮里、父親とはあまり上手くいってなかったみたいです。いつもパパは仕事ばっかりで全然自分のことを見てくれない、って言ってました。ガキっぽい悩みだと思いますけど、そこがすんごく可愛いんです。えへ♪」


「……父親の仕事内容は知ってるか?」

「普通のサラリーマンですよ、多分。それにしてはでかい家だなぁって訊いたら、えーと……蔵嶌にあるでっかいビルに入ってる、ガイシ系のナントカっていう会社のカチョーだかブチョーだって言ってました」

 数年前までドイツ在住だったことを除けば、小暮弘樹は至って普通のサラリーマンのようだ。そんな普通の男がどこかでヤクザに恨みを買ったのか。潮里が住む白泉は富裕層が多い。どちらかと言えば、身代金目的で誘拐したと考える方がしっくりくる。


「それじゃ母親は?」

「次は母親のことですね。潮里の母親は潮里が赤ん坊の時に病気で亡くなったそうです。これも潮里に聞いたんですけど、母親は京都のナントカっていうシニセの呉服屋のお嬢様だったそうで、今でも年に一回、おじーちゃんとおばーちゃんちに行かなきゃなんないって言ってました。面倒だってぼやいてたけど、着物が貰えるから行くって。でも実は喜んでるんですよ。本当はうれしいのにちょっとひねてみせるその素直じゃないところが、可愛いっていうかなんていうか……」


 いつもの流れになりつつある話を聞き流しながら、志摩は考えていた。

 ボスは否定していたが、小暮潮里はボスの血縁でないかと思っていた。歳の近い小暮弘樹とは姉弟関係にあるのではないか。もしくは潮里の母親である明里は、彼女の娘なのではないか。

 ボスはその名前すら、誰にも明かしていない。女性であることと、おおよその年齢を推測することでしか彼女自身を言い表せない。もし潮里の存在が彼女にとってどちらかだとすれば、自らの実情を明かしてこなかったボスの唯一の弱みになる可能性がある。


 明神組はそれを知った。だから密かに潮里を攫い、彼女と引き替えに《ボスの利権》を要求している。ボスの持つ闇のルートは多大な利益を生む。しかし身内のためとはいえ、それを手放したくないボスは自ら潮里を捜すことにした。

 依頼人は誰とはボスは言っていなかった。この件の本当の依頼者はボス。潮里は知り合いの娘ではなく自分の姪、もしくは孫。恩があると言っていたのは、今件で迷惑を被った小暮弘樹に対する遠回しな言い方であり、ボスにとって潮里を捜し出し、彼の元に無事返すことが罪滅ぼしになる――。


 と、考えていたがどうやら潮里は姪でも孫でもないようだ。可能性を突き詰めていけばその線が全くなくなった訳ではないが、現状を鑑みれば何らかの《恩》以外、ボスと小暮家を繋ぐものは他にない。考えてみれば、が弱みになる要因を身近に放置しておく訳がなかった。ボスの言葉はそのまま受け取ってもいいのかもしれない。

 小暮家に対する金銭の要求はこれからで、この失踪はただの身代金目的の誘拐。

 自分の中で小暮家とボスを繋ごうとするから混乱する。切り分けて考え、本来の目的である潮里捜索に集中するのが正しい。けれどもその背景にあるものを何も見ずに、闇雲に少女を捜し続けることには未だ足止め感もある……。


「志摩さーん、ちょっと腹減りませんかー? オレ、奢りますんで!」

 顔を上げると、秦太朗がこちらを見ている。早めの夕食を取ってもいい時間ではあるが、空腹はまだ感じていなかった。


「あのさぁ志摩さん。小難しいことばっか考えててもしょーがないですよ。オレだってこうしてる間も潮里はオレの助けを待ってるんだって思うと、こう、がーって暴れたくもなるんですけど、普通に腹も減る。だって仕方ないっスよ。人間だもの。だからオレ、寝転んでる時でも、メシ食ってる時でも、小便してる時でも、何してる時でも潮里のことを考えるようにしてるんです。潮里潮里ってうるせーって志摩さんは思ってると思いますけど、こういう理由があるんだからいいですよね?」


 秦太朗は言い終えると、何も考えていないような顔でへらっと笑った。

 真面目なことを言い出したかと思えば、結局最後は言い訳で終わっているようにも思う。

 真摯なのか巫山戯ているのか、多分どっちもなのだろうと志摩は結論づけた。

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