6.二人の少女(2)

「……澤村さん?」

 目を開けると、今にも泣き出しそうな誰かが自分を見ている。

 泣き顔が美しいのが本当の美人と聞いたことがあるが、彼女は違う。

 でもそんなことより、誰? と、花は心の中で思った。


「よかった。急にどうしたのかと思って……大丈夫ですか?」

 慌ててバッグからハンカチを取り出す彼女の顔に安堵が見える。

 前回の最後の記憶は、ハルの背中だった。

 しかし今ここにいるのはハルではなく、見知らぬ少女。

 そしてここはハルの部屋ではなく、人で賑わう海浜公園。恐らく多分、犀原の。


「あの……澤村さん?」

 差し出された水色のハンカチに目を留めながら、花は自身が置かれた状況を考えた。

 迅速な推測、野性的な勘。それが自分には必要だと花は思う。

 毎度の状況に毎度戸惑っていては、足元を掬われる。

 何も分からない状況に放り出されたと、決して悟られてはならない。

 こんなおどおどした小心そうな少女に対しても、それは変わらなかった。


「本当に大丈夫ですか……?」

 囁くようなか細い声が続く。

 花は無言のままハンカチを受け取ると、相手をもう一度見上げた。

 彼女の顔に覚えはないが、推測はできる。

 確実ではないが、思い当たる相手が一人いた。

 雨宮夕夏、消えた女子高生の幼馴染み。もしこれが彼女だとしてもなぜ颯とここにいたのかは分からなかったが、これ以上無言時間を長引かせて不審に思われる訳にはいかなかった。


「ああ、大丈夫大丈夫、それでどうした? 〝雨宮夕夏〟さん」

「えっ? あの、えっと……私はどうもしませんけれど……澤村さん、本当に大丈夫ですか……?」

 目の前にいるのは雨宮夕夏。名を呼んで確認したから間違いなかった。

 そしてここにいるのは颯。直前まで颯が彼女と一緒にいたなら、ここにいるのは颯でいい。兄の声はもちろん聞いたことはなかったが、他の誰より想像できる。容易く装えば、こんな鈍そうな少女に何も気取られることはないはずだった。


「うん、ホントに大丈夫。なんか心配させちゃってごめんね、ちょっと立ち眩みがしたみたいで。でももう大丈夫だから、これ、ありがとう」

 心配する彼女にハンカチを返して、花は微笑んだ。

「ええ、あの……大丈夫ならよかったです……」

 浮かべた笑みに、彼女は頬を赤らめて下を向く。

「ああ、それでさ、ちょっと悪いんだけど雨宮さん、俺、電話してきたいから、ここで少し待っててくれる?」

「え? あ、はい……」

 花は立ち上がると代わりに夕夏をベンチに座らせて、ポケットから携帯電話を取り出した。歩きながら画面で確かめた日付は前回から一日が経過していた。今回は随分短期間だったと思いながら目的の相手の番号をダイヤルする。

 彼女の正体は分かった。でも颯が彼女とこの場所で何をしようとしていたのかが分からない。小暮潮里の話を聞くにしても、この場所である理由が思いつかない。察することに関しては人より長けていると自負しているが、この現状の推測ができなかった。

 電話からは呼び出し音が聞こえる。それがしばらく続いた後、一日ぶりの声が耳元に届いた。


『はい』

「ハル」

『……花か? どうした?』

「ハル。私のこと、愛してる?」

『はぁ? 阿呆か』

 通話はそこで即切られたが、花はすぐさま鼻歌混じりにリダイヤルした。

「ハル」

『なんだ』

「颯はどうして雨宮夕夏と一緒に?」

『ああ。昨晩彼女の方から連絡があったんだ。話したいことがあると言われて、それで颯は彼女と会ってる。話の内容は会ってからと言われて俺も知らない。花、途中で変わったのか?』

「うん、それでどうしてこんな所にいるのかなって思って」

『どこなんだ』

「犀原の海浜公園。浮かれアホ家族と盛ったバカップル共で賑わってる」

『……どうしてそこにいるかは分からんが、やはり同行すればよかったと思ってるよ』

「ホントだよ! そしたらここでバカップルの仲間入りができたのに!」

『……』

「あれ? ハル? ハルー?」

『……とにかく花。颯は雨宮夕夏から話を訊くはずだった。でもそれを訊き出したかは現時点で不明だ。だからお前はその話が訊けたかどうかを探って、まだなら上手く訊き出して、暗くなる前に彼女を送って戻ってこい』

「え? それって早く私に会いたいから? あれ? ハル? ハルー?」


 電話は再び切られていた。

 振り返るとベンチには自称〝情報を持っているらしい〟彼女が健気な様子で待っている。

 彼女が話したい何か。それはこんな場所で言わなくてはいけないことだったのだろうか。

「ねぇ、雨宮さん」

 花は相手の姿を目に留めながら、ゆっくりと歩み寄った。

 上手く訊き出せと言われたが、回り道は性に合わなかった。相手は怪訝に思うかもしれないが、単刀直入に訊くのが最善と思った。


「あのさ、俺達がここにいるのって潮里の関係で?」

「え? そ、そうです……」

「どうして?」

「ど、どうしてって、あの……潮里がこの辺りに監禁されていて……」

「それで?」

「……昨日逃げ出した彼女から電話があって、昨夜私は潮里とここで会ったんです……」

「それでどうした?」

「潮里は……また捕まってしまったんですけど……」

「へぇー、ふーん、そうなんだー」


 相手の声は次第に小さくなり、海風に紛れて消えていった。

 答えを得られたのには満足していたが、どう考えてもこんな場所に潮里がいた訳がなかった。万が一いたとしても切羽詰まった状況で、こんな頼りない相手に助けを求めるなどあり得ない。少し考えれば理屈も通らず、辻褄も合わないことだらけと分かるはずだった。

 なぜ颯はこんなどうしようもない嘘に騙されてしまったのかと花は思う。しかし今はその答えを得るより、自分達に無駄な時間を使わせたこの嘘つき少女にどんな報いを与えようかと、見定める方が先だった。


「ねぇ、雨宮さん」

 花は夕夏の隣に腰を下ろすと呼びかけた。

「時間、まだ大丈夫?」

 何も知らない相手にもう何も用はなかった。要件を訊き出した後はハルに家まで送れと言われたが、別に彼女をここに置き去りにしても全く心は痛まない。

 でもこの相手と〝遊ぶ〟のも悪くなかった。

 早く戻ってハルに会いたくもあったが、純粋な欲望に常に突き進む自らのさがが捨てきれない。心の天秤はぐらぐらと揺れ続け、最終的には一方に傾いていた。


「はい……大丈夫です……」

「それじゃあさ、夕飯奢るから、もう少し俺と付き合ってよ」

 甘いいざないには邪な思いが紛れ込む。

 それに疑いも見せずに、少女は従順に頷く。

 その姿を見るもう一人の少女は、弄ぶ標的を得た猫のように愉しげに微笑んでいた。

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