4.記憶の少女
「あの……本当にすみません」
「ああ、うん、別に構わないよ」
「だけど……私……」
「約束どおりに来てくれたのには変わりないし、遅れたのもまぁ、何か事情があったんだろうし」
目前でもじもじと謝罪する少女を、颯は適当な言葉であしらった。少々冷たい言い方になってしまったと自覚はあったが、あまり気にもならなかった。
不得意な場所での不必要な待ち時間が、過去と過ぎた感情を思い出させた。彼女が遅れたことだけが悪いのではないと分かっていたが、様々な相乗効果で気分が少しささくれていた。
「あのさ、とりあえず場所変えようか。ここ、人が多すぎる」
「あ、はい……」
颯はそう告げてその場を離れた。背後で俯き加減に歩く相手は、若干距離感はあるものの昨日とは違って大人しくついてきている。
大通りを外れ、寂れた路地にある喫茶店に入る。以前志摩と来た老舗の喫茶店には、気分を落ち着かせてくれるコーヒーの香りが漂っていた。
「それで雨宮さん、俺に話したいことって何?」
注文した二人分のアイスコーヒーがテーブルに置かれるのを待って、颯は早速訊ねた。
「……えっ?」
「昨日話したいことがあるって言ってたよね。もしかして何か思い出したとか?」
いきなり核心に迫ったが、互いに用件はそれしかないはずだった。
けれどなぜか相手は戸惑った様子を見せ、言葉に窮している。しかしそれは一瞬のことで、彼女はすぐさま声を上げた。
「え、ええ、そうなんです! き、昨日、潮里から連絡があったんです!」
「えっ? 潮里から?!」
届いた返答に今度は颯が驚きの声を上げていた。
正直
「どんな連絡が? それいつ?」
期待以上の話に颯は身を乗り出し気味に訊ねた。
任された仕事はどんなものでもやり遂げると信念は持っているが、裏にややこしい事情がありそうなこの件はできれば早々に終わらせたかった。もし潮里から直接連絡があったと言うなら、こちらの望む早期解決に一歩近づくことになる。
「あの……き、昨日の夜です……八時ぐらい……だったと思います……潮里はどこかに監禁されていたそうなんですけど、どうにか抜け出すことができて、それで私に連絡をくれたんです……」
「それじゃ、潮里は今どこに?」
「そ、それはあの……また捕まってしまったらしくて……」
颯は相手の言葉に落胆した。
昨晩八時と言えば志摩と青芝にいた頃だった。その時にもし連絡を貰えれば、もっと違った展開になったかもしれない。しかし過ぎてしまったことを今更ああだこうだ言っても仕方がなかった。気分を切り替えて質問を続けた。
「じゃあ、潮里はどんな所に捕まってたとか、誰に捕まってたとか、そんなこと言ってた?」
「……えっと、相手は黒っぽい覆面をしていたので、どんな顔かは全然分からなかったそうです……でも場所は確か……う、海です! 海の近くにずっといたそうです」
「どこの?」
「えっ? どこの、ですか……? えっと……さ、
「……犀原埠頭……?」
颯は相手の言葉を繰り返すと、一旦黙った。
港の倉庫が建ち並ぶそこは昼間は人の動きがあるが、夜はうら寂しい。そう考えれば、人知れず何かをやるにも誰かを監禁するにも打ってつけだが、簡単には頷けない理由がある。
犀原埠頭は一昨日の夜、仕事をした場所だった。つまりその一帯はボスの息がかかった地域でもある。そのことを知る裏社会の者なら、敢えて自らの後ろ暗い犯罪にこの場所を使うことはしない。
颯は正面の相手の表情を窺った。
彼女は昨日と違って喉が渇いているのか、落ち着かない様子でアイスコーヒーをもう半分以上飲み干してしまっている。
冷静に思い返してみれば、一々質問に考えながら喋っているようにも見える様子が気にかかってくる。そう思えば全てが疑わしく思えてきた。返す声にも知らぬ間に棘が入り混じった。
「あのさ、雨宮さん。今のそれ、本当にホントの話?」
「えっ……?」
思わず訊ねると、相手は驚いた顔でこちらを見る。
明らかに動揺と取れるその表情を目の当たりにすれば、疑念は確信へと変わっていた。
「雨宮さん……どういうつもりなのか知らないけど、その話が嘘なら本当に困る。俺も暇では……」
「……んな……酷い……」
「……え?」
「……そんな……そんなの……酷い……私の話が本当かどうかだなんて……私……嘘なんて……」
「えっ? ちょっ……」
見れば、相手は瞳に涙を一杯に溜めている。今にも零れ出しそうなそれを目にすれば、今度は颯がうろたえる番だった。
周囲に他の客の姿はなかったが、まるで女の子を泣かしているような状況にただ戸惑わされる。今更だが自分のではなく、こちらの携帯電話番号を彼女に教えた志摩を恨んだ。
「……えーっと、雨宮さん……とりあえず泣くのはやめようか?」
どうにか声をかけると、相手は顔を上げる。
その拍子についに涙が零れ落ちた。
けれどもそれを彼女は気にせず、こちらをまっすぐに見据えた。
「……澤村さん」
「……はい」
「私……嘘なんか言ってません……絶対、絶対、言ってません……嘘をついて澤村さんを騙そうだなんて、そんなこと絶対しません……」
彼女は目も逸らさず、きっぱりそう言い切った。涙が滲んだ頼りない表情ではあるが、強い意思も垣間見えるその表情に嘘はない気もした。
おどおどしながらも自らの思いをなんとか伝えようとしてくる。その様子を見て、颯はふと一人の女の子のことを思い出していた。
『花ちゃんは、ちっともやな子じゃないよ。山田さんちのこわいワンコを追い払ってくれたもん』
それは同じ施設にいた女の子だった。
皆が花の存在に怯える中、その子だけが花を怖がらなかった。
人見知りで口数も少なかった彼女は、なぜかいつも自分の後ろをついてきていた。
『颯くんは花ちゃんのこと、すき? あたしもだーいすき』
花のことも慕っていたらしきあの子は何という名だったろう。
年下の内気なあの少女は、もうどこにもいない。
施設で起きたあの火事、彼女は唯一の犠牲者だった。
「わ、分かったよ。だからもう泣くな」
ハンカチで涙を拭う彼女に、あの少女の姿がどことなく重なる。そう思うことで、自らの判断力が危うくなり始めていることにも気づいていたが、涙を見せる相手にもうどう対処していいか分からない。
「澤村さん、私、潮里から連絡があった後、本当に彼女に会ったんです。彼女がもう一度捕まってしまう前に。絶対に埠頭の近くでした。だから今からその場所を教えます」
赤くなった瞼を向ける彼女は、今もまっすぐに自分を見ていた。
颯はその言葉と表情を前に何も言えずに、ただ頷くしかなかった。
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