2.別行動
翌日。
昨日と変わらず、ビルは晴れた空にそびえていた。
昨日と異なっているのは、ボスの部屋に一人の客人の姿があったことだった。
「おはようさん、志摩」
「おはようございます、ボス。それに
デスクに片肘をついたボスが、いつものように軽く声をかける。
その傍に立った初老の男が振り返り様、柔和な笑みを浮かべた。
「やぁ、おはよう志摩。久しぶりだね、君の顔を見るのは」
彼、塚地
主たる仕事は組織全体の運営及び事務処理。ボスが組織を動かす大きな原動力とすれば、塚地は流れを補うオペレーター的存在だった。
仕事上ではボスに一番近い人物ではあるが、常に数々の実務をこなす彼がここに姿を見せることはあまりなかった。
「志摩、ちょーっと待っててねぇ」
ボスのその声に、塚地の表情が緊張を纏ったものに変わる。
組織の収入源をぼやけさせてしまう英国紳士然としたその顔に、既に笑みはなかった。彼が今日いるのは、過去に後ろ盾となって幹部に据えた
「塚地、あのことだったらもういいのよぉ。これは大したことなんかじゃないわ。アタシのような立場で驕りは命取り。でもいくら頑張っても、完璧な人間になれないのがつらいとこ。努力して自分に言い聞かせても、驕りというものは出てくるものよ。だからこの件は一度振り返ってみろっていう、なんて言うのかしら? 教訓? お告げ? うーん、違うわねぇ……でもまぁ、そういう類のものだったのよ。被害は微々たるものだったし、彼には責任を取らせたし、こういう事態が起きたのはそういう周期、そういった時期だったんじゃないかとアタシは結論づけたワケよ」
「……そ、そうでしょうか?」
「ええ、そういうことなのよ、塚地チャン」
「……はい」
「だからほら、もう笑って。だってアナタとアタシの仲じゃない?」
ハンカチで額の汗を拭う塚地は促されて笑顔を作ろうと試みてはいるが、いくら優秀な男でも叶わないことはある。
「ねぇ、だからもう変な人、絶対二度とアタシの傍に連れてこないでねぇ♥ 塚地」
そう告げたボスの顔に紙一重としか言い様がない笑みが浮かび上がる。
見た人全てに怖気を催させるそれを向けられ、元々頼りなかった彼の笑顔はただ引き攣るだけに至っていた。
「それじゃ、次は志摩の話を聞こうかしら」
重い足でソファに移った塚地は腰を下ろすと、冷や汗を拭っている。
志摩は部屋に留まる相手を一瞥して、一応訊ねた。
「ボス、今話しても?」
「ええ、構わないわ。塚地にもこの件は伝えたわ」
ボスが目配せすると、塚地が頷く。その様子を確認した志摩は現在までに得られた情報を端的に語り始めた。
昨日接触した雨宮夕夏から聞き取った話、その話から存在に行き着いた本庄秦太朗、その彼が語った潮里関連の話。そして路地裏で遭遇した男達、その彼らから得た明神組絡みの情報……。けれども小暮潮里が小暮潮里故に連れ去られたのではないかと感じたことは、まだ推測に過ぎないとして口にはしなかった。
「明神組?」
「はい」
ボスは最後に告げた路地裏の男達の正体に興味を示した。こちらが頷くと眉間に皺を寄せ、「うーん」と唸り声を上げながら背もたれに深く寄りかかった。
「あのさ、こう言いたくはないけど、確かにアタシ達以外でここらで一番大きな組織と言えば明神組よね。なんかまぁその存在はムカつくし、邪魔だわーって思う時もあるけど、明神組の組長とは昔色々あって、すこーしだけではあるけど顔見知りではあるのよねぇ……でもだからとこっちが有利な材料もなしに、ぼんやり探りを入れるのは癪だし、愚かな行為でしかない……あ、そういえば塚地、アンタもあの組の誰か知ってなかったっけ?」
「ええ、
「ああ、そうそれ」
「彼は明神組長の妾腹の子で一応幹部扱いの人物ではあるのですが、数年前までは銀行員でした。そのせいでしょうか、実子というだけで実績もなく、組での立場向上を図るためか一度接触してきたのですが、どうにもあまり使えそうな男ではなかったので無視しました。この件について何かを知っている可能性はかなり薄いですが、そうですね、当たってみましょう」
「じゃ、塚地はその線から内部事情を探る」
「承知しました」
「で、志摩はその彼氏って言うガキの線から探ってくれるかしら」
「え?」
「え? じゃないわよ。だってその小僧、自分で捜そうなんて根性あるじゃない。そういう輩は一番使い易いのよ。馬鹿とナントカは使いようって言うでしょ? 切る時も簡単だしね」
「あいつと、ですか……」
志摩は秦太朗の軽そうな金髪頭を思い出す。
確かに切るのは簡単かもしれないが、使い易いかどうかはかなり疑問だった。
「あー、そういえば志摩、今日アンタ一人? 花は?」
塚地は早速指示に動き始めて、既に退室していた。
デスクを離れ、窓際に移動したボスは下界を見下ろしながら振り返りもせずに訊ねていた。
「今は颯です」
「あら、今回は早かったのねぇ」
深夜、川沿いの路上で携帯電話の音が鳴り響いていた。欠伸を噛み殺しながら颯が出た電話の相手は、少々意外な相手だった。
「昨夜、雨宮夕夏の方から話したいことがあると連絡を受けたので、そちらに向かってます」
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