5.少女のたくらみ

1.昏い想い

 彼女は暗い部屋で手にした紙切れをずっと眺めていた。

 いくら眺めたところで何も変わらないのは分かっていたが、まるで時が止まってしまったようにその場から動けずにいた。


 頭の中で繰り返されるのは、下校途中に出会った二人のこと。

 黒い服を着た背の高い男は《志摩》という名だった。以前自分を脅してきた男達のように声を荒らげたりはしなかったが、と感じていた。

 あの人は自分の目的を果たすためには、正面以外見ない。道端の石ころみたいな相手には目もくれない。その相手がどんな思いでいるかなど、欠片も興味がない。瞼裏に蘇った冷たい横顔は、それら全てを裏づけているようだった。


『君はこの先も今までどおり平穏な学校生活を送ることができる』

 ファミレスでの時間は、学校にいる時と同じくらい身の置き場を感じていなかった。脅しのようにそう言われたけれど、自分には平穏な学校生活など最初からない。安寧を感じる場所も与えられてなどいない。どこにいても息が詰まるだけの現状を思い返せば、絶望にも似たものが心を過ぎった。


「澤村……颯……」

 紙切れに書かれた名を彼女は呟いた。

 先程からずっと見つめ続けていたのはその名前だった。

 彼、澤村颯との出会いは衝撃的だった。

 夕方、逃げ出した自分を彼は追いかけてきて、立ち止まらせるために強く手を掴んだ。あんなに誰かに手を強く握られたのは、初めてだった。でもあの時はただ驚くばかりで、思わず振り払ってしまった。あれから大分時は経ってしまったけれど、手首にはまだ彼の指の感触が残っている気がしていた。


『結構冷たいんだな』

 しかしその言葉を思い出せば、心が冷える。

 いなくなった友人に冷淡な言葉しか吐けなかった相手に、彼はそう言った。

 思わず睨んでしまったがその時、初めて彼の顔を真正面から直視した。 

 彼は驚くほど、きれいな顔をしていた。

 男でも女でもない儚さ、でも確実に誰かを守ってくれそうな力強さもどこかにある。

 いつまでも見続けていたいと思ったけれど、それはできずに下を向いた。そして蔑まれる言葉を投げられて、こんな感情を抱く自分を可笑しいと思った。けれどその後も彼の姿を何度も盗み見て、その姿を記憶に焼きつけていた。


 彼にもう一度会いたい。

 その思いが自分の中で肥大し続けていることに、彼女は戸惑い続けていた。

 どうしても彼に会いたい。

 だけど一体どうすれば彼にもう一度会えるのだろう?


 焦燥と戸惑いが入り交じる中、彼女は手にした紙切れを見下ろして、ふと思った。

 小暮潮里。彼らは彼女の情報を欲しがっていた。

 もし潮里から再び連絡があれば、彼に会う理由ができる。

 しかし、机の上に放置したままの携帯電話はいつものように沈黙を突き通すばかりだ。どれだけ待ち続けたとしても、その願いは叶いそうもなかった。


「……でも……本当にかかってくる必要もないんだよね……」


 少女は昏い感情を潜めた声で呟く。

 思い人がいるのは遠い場所、心にあるのはどうしても会いたい想い。

 その一心で町に火を放った女性の話を彼女は思い出す。

 だけど私は彼女のようにそんな酷いことをする訳じゃない。

 私は連絡があったと、〝ちょっとした嘘〟をつくだけ。

 町を燃やし尽くしたあのひとのように、誰かを傷つけることなんて絶対しない。

 それに彼に会いたいというこの純粋な想いを、一体誰が咎めることができるというの?


 彼女――、雨宮夕夏は震える指で携帯電話の画面に触れる。

 頭の中を占め始めているのは、よくないたくらみ。

 胸を昂ぶらせていたのは心の高鳴りか、奥底にある罪悪感か。

 呼び出し音が耳元に届いている間中ずっと、少女の心臓は早鐘を打ち続けていた。

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