3.雨宮夕夏
志摩はコインパーキングに駐めていた車を出し、近くのファミリーレストランに向かっていた。
逃亡を諦めた様子の彼女は、見知らぬ男達に乗せられた車の後部座席でずっと口を閉ざしている。
真っ直ぐな黒髪に、化粧気のない顔。ルームミラーに映る雨宮夕夏の姿は志摩が思う、どこにでもいる女子高生そのものだった。
顔の造作は決して悪くない。でも常に貼りつく暗い表情と覇気の無さが全てを台無しにしている。見た目が真逆の潮里との繋がりに疑いを持ちたくなるが、それは今から確かめればいいことだった。
幹線道路沿いのファミリーレストランは夕食には少し早い時間で、客は疎らだった。
開放感ある広い店内は大声を上げれば、いつでも逃げられる環境にある。そのせいか少女の表情も幾分落ち着いたものになっているが、未だ彼女はこちらの存在も、自らが陥ったこの理不尽な状況からも必死に目を逸らそうとしているように見える。
その不憫な様子には少々哀憐の意も湧くが、自分達はここにお茶を飲みに来た訳ではない。志摩は三人分のドリンクバーをオーダーすると早速テーブルの端を指で軽く叩いて、現実逃避を続ける少女の注意を引いた。
「俺は志摩、こっちのは澤村」
顔を上げた相手に、志摩はなるべく感情を出さず話しかけた。颯は相手に軽く笑んで手を挙げてみせると「飲み物取ってくる」と言って、席を立った。
「雨宮さん、俺達は小暮潮里の行方を追ってる。俺達は君が知ってる小暮潮里の情報が聞きたいだけだ。彼女がいなくなったのは知ってるか?」
二人きりになった後、志摩はそう切り出した。
向かいの席で背を丸める少女は、席を離れた颯の姿を縋るような目で追っていたが、届いた声に俯き加減に頷く。小暮潮里の名に身を固くしたのも窺えたが、志摩は気にせず続けた。
「もう一度言うが、俺達は君が知ってる小暮潮里の情報が聞きたいだけだ。君がどう思ってるか知らないが、俺達は君に危害を加えるつもりはない。今ここで叫んで助けを求めてもいいが、そうなったら今度は違ったやり方で君に話を訊く。でもこの場で俺達が知りたいことを話してくれるなら、君はこの先も今までどおり平穏な学校生活を送ることができる」
志摩は言葉を切り、相手の反応を見た。
潮里の件で颯に話しかけられた後、彼女は必死な表情で逃げ出していた。その姿を見た颯から何かを知っている可能性があると伝えられていたが、志摩も同じくそう感じていた。彼女は自分達を恐れているというより『小暮潮里』に関わる何かを恐れている。
この後どうするか彼女自身に選ばせた。しかし結局選択できるのは一つしかない。怯えた少女に大人げない物言いなのは重々承知していたが、柔らかい言い回しをしているほど暇でもなかった。
「……今、話します」
「賢明だね」
志摩が頷くと、三人分のコーヒーを調達した颯が戻ってきた。湯気の上がるコーヒーカップの一つを彼女の前に置いて、志摩は問いかけた。
「小暮潮里とは最近会ったか? 幼馴染みだって聞いてる」
近年は疎遠だと知っていたが、志摩は敢えてそのことを口にしなかった。
「……そうですけど最近は……彼女とは中学の終わり頃から、あまり話さなくなったから……」
俯く夕夏が、呟くように答える。窺い見えた複雑な表情から二人の間で仲違いでもあったのだろうかと想像できたが、その件は今関係なかった。
「でも時々話くらいしてただろう? 近況とか、付き合ってた男のこととか聞いてたんじゃないのか」
志摩は続けて問いかけるが、彼女は再び黙り込む。根気よく持久戦をやってもよかったが、不慣れな人捜しの道はまだ序の口だった。立ち止まってばかりでは前に進みようがない。志摩はやや強めに畳み掛けた。
「なぁ、知ってることがあるなら早めに話した方がいい。それとも潮里に義理立てでもしてるのか?」
その言葉に相手の表情が少し変わる。何かが気に障ったとでも言いたげだったが、相手は唇を固く結んだ後、ようやく口を開いた。
「彼女とは……潮里とは近頃あまり話さなくなってたけど、先月の初めくらいに久しぶりに彼女が家に来ました……その時、私の好きなケーキを買ってきてくれて、少し嬉しかった……」
そこで言葉を一旦止めた彼女は当時を思い出したのか、口元に僅か笑みを見せた。
でもそれはすぐに消え去っていた。
「その時に潮里は好きな人ができたって。高校を卒業したらその人と結婚したいって言ってました……彼女、雑誌をたくさん持ってきて、結婚式にはこんなドレスを着たいとか、仲のいい友達だけの手作りの小さな式にしたいとか、そうなったら私にも絶対来てほしいとか、そんなことばかり言ってました……私だって潮里に話したいことがあったのに、彼女、何も話させてくれなかった……ずっと一人で喋って……学校ではいつも私のこと、無視してるのに……」
馬鹿みたい、と呟くと夕夏はテーブルの下でスカートの裾を握りしめている。
「その次に来たのは月の終わりぐらいでした。その時は前と全然違って、自分はもしかしたら騙されてるかもしれないって、彼はヤバい人かもしれないって、言ってました。大変なことになるかもしれないけど、どうしたらいいか分からない、助けてくれって……だけど私、いきなりそんなことを言われてもどう答えていいか分からなくて、だからどう大変なのかどう騙されてるのか訊いたけど、潮里は泣きながら『分からない』の一点張りで……それに……いつもはそうじゃないのに、こんな時ばっかり頼られても困るっていうか……私、段々彼女が鬱陶しくなってきて、用事があるからって無理矢理帰したんです。でも思えばあれが最後だったんですね。だけどあの時に私に何かできた訳でもなかった、そうですよね?」
言い終えた夕夏が不意に顔を上げた。その顔には何か忌々しいことでも蘇らせたような表情が一瞬過ぎった。そこにはいなくなった友人に対する悲しみや不安は見えなかった。
「結構冷たいんだな」
颯がふとそう呟く。その言葉に彼女は睨みつけるようなきつい顔を向けたが、すぐに元の表情に戻ってまた俯いた。
「あのさ、俺、雨宮さんに一つ訊きたいことがあるんだけど、さっき学校の前で潮里の名を出した時、雨宮さん、すごく怯えた顔をしたよね。それってどうして? あの時は俺に怯えたって言うより、潮里の名前に怯えた感じに見えたんだけど」
「それは……」
彼女は再度言い淀んだが抵抗は無駄と学習したのか、訥々と答えた。
「……潮里と最後に会ってから何日か経った頃、二人組の怖い感じの男の人が私に話しかけてきたんです……下校途中にその二人に無理矢理大きな黒い車に乗せられて、その時に潮里が言ってたことを絶対誰にも話すなって脅されたんです……」
「潮里の言ってたこと? 今聞いた彼氏の話の他にも何か言ってたのか?」
「な、何も言ってません! 潮里が私に話したのは今言った彼氏の話だけです! だから脅されても何が言ってはいけないことなのか分かりませんでした。勝手に聞かされた彼氏の話以外、私、何も知らないのに……」
黒い車に乗った二人組の男。男達が口止めしたのは潮里の彼氏の話だった。なぜおとなしい少女を脅してまで、他人には無為としか言えないノロケ話を口止めしようとしたのか、志摩には全く分からなかった。
だがこの二人組の正体、彼らが口止めしようとした潮里の謎の彼氏という存在。両方、もしくはどちらかを手繰り寄せていけば、潮里の行方に繋がっていくかもしれなかった。
「その男二人組はどんな連中だったんだ? 特徴は覚えてるか?」
志摩は夕夏に問い質してから、その状況が今日とまるで同じであったことに気づいた。それに関しては不運続きの彼女を再び哀れに思うしかなかった。
「……こう言っては何ですがドラマに出てくるようなヤクザ……みたいな人達でした……私を脅してきたのは中年の男の人で、もう一人は若い人でした……」
夕夏は苦しげな表情で答える。思い出したくもない出来事だったろうが、せっかくの答えも残念ながら個人を特定できるものではなかった。
「潮里の彼氏ってのはどんな奴なんだ?」
志摩は最後に潮里の《謎多き彼氏》について訊ねた。
「どんな奴って言われても……潮里は優しいとか、かっこいいとか、安物だけど指輪を買ってくれたとか、そんなことしか言ってませんでした……名前も言わなかったから聞いてません。でも潮里は話の中で確か彼氏のことを《シン君》って呼んでました……顔は……一緒に写ってるスマホの写真を見せられました……」
「どんな顔だった?」
「あまり覚えてません……見る気もあまりなかったし……」
「何か一つでも覚えてないか? 特徴になるものとか」
夕夏は僅か考え込むと、「顔そのものにはそんな特徴がなかったから」と呟いてから答えた。
「多分二十才ぐらいで、髪の毛が金髪で……鼻にピアス、してました。どうでもいいと思ってちゃんと見なかったから、それくらいしか覚えてません……」
夕夏は最後の質問に答えると、また俯いた。
テーブルのコーヒーは冷めきっていて、最後まで手をつけられることはなかった。
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