2.峰ヶ丘女子高校前

 目が覚めたら、森の穴掘りはとっくに終わっていた。

 泥だらけの服も着替えていて、見上げた場所にあったのはいつもどおりの無愛想な相棒の顔だった。

 彼と出会って初めて花から自分に戻った時、あの時もそうだったと颯は思い返す。


『あのさ、一つが二人になったんじゃなく、俺達は最初から二人で一つなんだ』

『……そうか、分かった』


 花という存在を自分なりに説明し終えると、それだけを言って彼はもう何も訊かなかった。もちろんもっと疑えと言いたかった訳ではなかったが、その態度にあまりにも拍子抜けした。

 自分がもしそんな話をされたら、信じるかはかなり微妙だった。実際目の当たりにしても、こんなことなど信じられる訳がない。どうしてそんな顔をして分かったなんて言えるんだ? その言葉を相手の顔に叩きつけたいとも思った。

 けれど志摩は本当にそれで全て納得していた。一年も経たないうちに彼という人間を知った。

 彼は今そこにあるものしか見ない。未来は積み重ねではなく、疲弊。事実に疑念を連ねることは時間の無駄でしかなく、自分が誰にも告げないように、彼もこれまでの人生を語ることはなかった。

 でも彼は決して自分を裏切らないと知っている。自分も彼を決して失望させない。そして会うことはなくても常にその存在を感じる花も、志摩を信頼していると分かる……。


『穴掘りは終わった。新しい仕事がある』

 差し出された手を掴むと、志摩はぼそりと言った。

 驚いたことに新しい仕事は暴力でも人殺しでもなく、女の子を捜すことだった。

 パーカーのポケットから、颯は小暮潮里の写真を取り出した。

 そこにはくるくると巻いた栗色の髪に、ボリュームのある睫毛が特徴的な濃い目の化粧をした少女が写っている。一度ボスに連れられていった店の女の子達みたいだと颯は思う。


『颯、イイトコ連れてってあげるわよぉ』

 その夜ボスは出会った時と同じ台詞を言って、酒と煙草と香水の匂い漂うきらびやかな店に入っていった。たくさんの女の子達に囲まれて、ボスは心底楽しそうに彼女達を笑わせて盛り上げていたけれど、借りてきた猫のような自分は何を喋っていいか分からずにずっと黙っていた。

 間が持たず勧められるまま阿呆みたいに飲んで、結局記憶に残っているのは彼女達の甘い体臭と、彼女達のキラキラした睫毛を見ていた自分だけだった。酔いが回りすぎていることに吐きそうになってからようやく気づいて、ふらふらとトイレに立った。

 鏡に映る青ざめた顔を見て、何をやっているんだろうと花が恋しくなった。だけど手を伸ばしても触れることができるのは冷たい鏡面で、でもそれでもいいと改めて思った。

 恋しいのはただ一人。

 とても近くにいるのに会ったことのない、会うことのない、たった一人の妹。

 他の誰かなんかじゃなく、俺には花がいればそれでいい――。


「えー、それマジー?」

 近くで、わっと沸いた少女達の笑い声で颯は我に返った。

 正面に目を移せば歩道に立った自分の前を、制服姿の少女達が楽しそうに通り過ぎていく。

「いけね……」

 颯は写真をしまうと、傍のガードレールに寄りかかった。携帯電話を取り出し、画面に目を向けながらも通り過ぎる人の波に意識を向ける。

 夕刻の峰が丘女子高校の校門からは、制服姿の少女達が溢れるように出てくる。

 ここでやらなければならないのは、一人の少女を捜すこと。

 それは今写真で確認した小暮潮里ではなく、雨宮夕夏という少女だった。


 少し前、颯はこの場所から交差点を挟んだ対角線上にあるコンビニの駐車場に志摩といた。

 辺りは近隣に駅やバス停があるせいか人通りも多く、賑やかだった。何より高校の校舎の隣には交番があり、後ろ暗いことをするには最適だと自虐するしかない好立地だった。

『ここは人目も多い。二人で行くのは多分無理だな。颯、お前一人で行ってみるか』

 隣から届いた言葉は無情と呼べるものでしかなかった。けれど現状を鑑みれば、そうするのが一番いいのは分かっていた。颯は渋々頷き、待機する志摩と別れると校門近くで下校時刻になるまで待っていた。


 見下ろした携帯電話の画面には、一枚の写真がある。志摩がボスの秘書である美島に連絡して、送ってもらったものだった。スマホではなく所謂ガラケーと呼ばれる電話の小さな画面には、学生証用に撮ったと思しき緊張の面持ちをした女子生徒の姿がある。 

 ストレートの黒髪、化粧もしておらず、ひと言で言えば地味。

 写真の中の雨宮夕夏は小暮潮里とは真逆の雰囲気を持つ少女だったが、颯としては潮里より、まだ取っつき易い印象を持てる相手だった。


「だけど……こんなの俺、本当に見つけられるかな……」

 しかし大勢の女子高生達の姿を前に、数分も経たず泣き言が漏れた。

 写真と見比べながら目的の相手を捜そうとするも、私立の特徴なのか全体的に自由な校風が見て取れて、どの生徒も一様に華やかに見える。この中から一人の少女を捜すのは、至難の業としか言えなかった。

 それに颯自身、こんな場所にいる行為自体が怪しすぎると自覚していた。現時点で怪しまれている兆候はないが、少しでも不審がられて交番に駆け込まれてしまったら終わりだった。できるだけ早く目的の相手を捜し出し撤収するのが、任務成功の鍵だった。

 慣れない仕事だが気概はあった。だから自らの不手際で仕事を滞らせたくはなかった。けれど昔から怪談話と同年代の女の子に若干苦手意識がある。ただでさえ苦手な上に、今日は普段なら考えられないほどの大量の女の子達を前に目眩を覚え始めている。

 怪談が苦手な理由は幽霊の存在は信じていないが、いわくつきの場所に巣くう嫌な気配というものの存在を信じているからだ。それは理屈ではない。同じく女の子が苦手というのも理屈ではなかった。


「……駄目だ、全然分かんねぇ……」

 気概とは裏腹に事態は膠着し、二度目の弱音がつい出てしまったが、ようやく待ち望んだ光明も見えようとしていた。颯は手元の写真と相手の顔を再確認すると、一人の女子生徒に歩み寄った。

「えーっと、雨宮、夕夏さん……だよね?」

 できるだけ普通の表情を装って呼びかけると、一人で下校中だった彼女は俯き加減の顔をちらりとだけ上げる。

 だが彼女はそのまま何も応えず、こちらを無視して再び歩き始めた。


「え? ちょ、ちょっと待ってよ!」

 颯は慌てて相手を追いかけた。

 しかしよくよく考えてみれば知らない男に名指しで声をかけられれば、誰だってこんな反応をする。でもだとしても、ここで彼女を黙って行かせる訳にはいかなかった。

 焦りながら相手の背を追うが、どうやって引き留めるか何も思いつかない。迷っている間に、思わず伸ばした手で相手の手首を掴んでいた。

「なっ! 何をするんですか!」

「あっ、ごめん」


 咄嗟に謝るが、その前に相手は怒りの表情で手を振り解く。

 再び当然の行為だと颯は反省するしかないが、もっと上手く立ち回らなくてはならないのに、先程から相手を怖がらせることしかしていない。。

 でもこのぐだぐだな成り行き上、相手は立ち止まってくれている。この機会をうまく利用しなければならなかった。

「あの……俺、小暮潮里のことで訊きたいことが……」

「し、潮里?」

「うん……その潮里のことで……」

「わ、私、何も知りません……」

「え?」

「私……潮里のことなんか何も知りません……」

「いや、俺……本当に怪しい者じゃなくて、ほんの少しだけでいいから話を……」

「ほ、本当に私! 何も知りませんから!」


 雨宮夕夏は怯えの表情を浮かべながらも声を荒らげると、突然その場から駆け出した。彼女が向かおうとする方角が交番とは逆だったのがとりあえずの幸いだったが、状況が最悪なのは変わらない。

「ちょっと! ちょっと待ってって!」

 颯は呼びかけながら後を追うが、怯えた相手の速度がより増しただけに終わる。

 大体怪しい者じゃないって、怪しい人間は自分を怪しいと言ったりしないだろ? と颯は自分に再度のダメ出しをするが、潮里の名を聞いた途端、先程とは比べものにならないほど怖れの表情を顕わした彼女が、何かを知っていると確信していた。

 一体彼女は何を怖れているのか?

 潮里に何も喋るなと脅されているのか、それとも潮里がからか。

 意外な足の速さに距離を離されないのがやっとだが、彼女自身が何か危機的状況を感じているからこそ、彼女なりの必死な行動を起こしているとも言えた。


「雨宮夕夏さん」

 駆ける彼女をもう一度呼び止めようとした時、その声が前方から届いた。

 声を耳にした夕夏の足がぴたりと止まる。 

 その前方には長い髪を後ろで括り、黒い服を着た長身の男がいる。

 見慣れているはずだが、その立ち姿はまるで死神のようだと颯はいつも思う。

 雨宮夕夏も同じことを感じたのか、諦めたように全身の力を抜いたのはその後ろ姿でも分かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る