2.高い塔の女達

 結局目覚めても、花は花だった。

 隣で欠伸をする姿を無言で見下ろしてから、志摩は目前のビルを仰ぎ見た。

 湾岸の埋め立て地に区画整理され創られた新たな街、蔵嶌クラシマ

 大企業が集結するこの地区では、どこを切り取っても人工的な美しい街並みが続く。

 そしてここがまるで地上の中心であるかのように一段と高くそびえ立つ高層ビル。

 そのビルの一室に、自分達の雇い主であるボスの部屋があった。


「ハル、行こうよ」

「ああ」


 色鮮やかな草花が出迎える通路を通り、志摩はビルのエントランスに向かった。

 建物の外観や内装は懐かしさを感じさせるレトロな雰囲気を持つが、内部構造や設備は最先端の技術が取り入れられている。

 抑えた照明が照らし出す豪奢なエントランスを抜け、エレベーターホールに向かえば、手動の鉄柵と昔ながらのボタン式を取り入れた最新式の昇降機がある。

 箱が上昇し始めると下界はあっという間に遠くなり、透過したステンドグラスの先にはジオラマにも見える景色が広がっている。それらを見下ろしていると志摩は今から向かう場所がどこであるのか、いつも忘れそうになる。


 億単位の値がつく宝飾品や国宝級の美術品、稀少な動物の毛皮や時に生体、志摩の雇い主は国内の収集家や金持ちを相手に、そのようなものを扱う商売をしていた。それは一見真っ当な生業にも見えるが見方を変えれば、〝違法な形で持ち込まれた美術品の数々〟〝組織的犯罪者達が横流す窃盗品〟〝条例下の厳しい監視の目をかいくぐって連れてこられた動物達やその毛皮〟……と一気に暗澹たる表現へと変貌する。

 しかしそれすらも表面的な一部分でしかなかった。闇臓器売買、人身売買の仲介を本来の主とし、中でも一番の稼ぎ頭であるのは違法薬物の取り扱いだった。

 そのような誰が見ても反社会的でしかない犯罪組織が一般企業と隣り合い、青空にそびえるこのビルの一室に存在している。巷で平穏な生活を送る人達がその実態を知ることはなく、知っているとすれば既にこちら側に足を踏み入れていると自然に証明されるだけだった。


 一段と遠くなった地表を見下ろせば、昇降機は四十九階まで上り詰めていた。

 志摩は絨毯が敷き詰められた廊下の先に足を進めた。辿り着いた扉を開けば、随分と簡素な様相の部屋がある。

 シンプルなコート掛けと、一鉢の観葉植物とデスク。そこには細身の黒いスーツを纏った若い女性の姿がある。彼女は志摩が部屋に歩み入っても顔も上げずに、無表情でマニキュアを塗っていた。

「おはよう、美島みしまさん」 

 かけた声に彼女はようやく顔を上げる。

 ショーモデルを思わせる体躯と白亜の彫像のような顔立ち、誰もが振り返る美女だが異様なほど表情に乏しい。彼女、美島はボスの秘書兼警護担当だった。


「おはようございます、志摩さん、澤村さん。どうぞ、ボスがお待ちです」

 彼女は抑揚のない無機質な声で応えると、再び手元の黒いマニキュアに目を落とす。

 まるで隙だらけにも見えるが、彼女と対峙した者ならそうでないと皆知っている。以前銃を手にボスに襲いかかった輩を、その場に居合わせた皆が認識する前に取り押さえていた。男の後頭部には手にしていたはずの銃が突きつけられ、その表情は自身の身に何が起こったかさえ把握していないようだったという。男の始末を任された志摩が後に聞いた話だが、その逸話に誇張がないのは分かっていた。

 前に颯と花がそれぞれ、彼女美島はボスが金にものを言わせて造らせた戦闘アンドロイドなんだと言っていたことを志摩は思い出す。似たようなことを口にするのはやはり双子だからかと思うが、彼女の現実離れした容姿と常に隙一つない気配を考えると彼らの与太話に同意したくもなる。


「はーい、どーぞー」

 奥の扉をノックすると、美島とは真逆の気楽な声が返った。

 扉を開けて、真っ先に目に入るのは下界を見渡す大きな窓、その傍には深い色の年代物デスク、床には毛足の長いベージュの絨毯、頭上には凝った細工のアンティークシャンデリアが吊り下がり、壁に飾られる絵画の色は鮮やかで、本棚の古びた背表紙とコントラストを為していた。

「おはようさん、悪いわねぇ。こんな朝っぱらから」

 空の割合が多い景色を背景に、縦にも横にも大きな人物が立っていた。

 いつもがらがらに掠れた声。白髪一つない髪を短く刈り込み、ダークグレーのピンストライプのスーツを着た恰幅のいい人物が笑顔を見せる。


「いいえ、構いません。ボス」

「そーお? そーいや、昨晩はご苦労だったわねぇ」

 志摩達のボス。服装や雰囲気から即判断するのは困難だが、ボスは女性だ。非公称だが、もうじき六十に手が届くだろうと思われる彼女には、同性の恋人が常に三人はいるという噂の他、多くの逸話が存在する。

「上手く片づいたんでしょ」

「はい、無事に」

「まぁ、アンタ達に任せたんだから、最初っから心配なんてしてないのよ。あー、今日は花、なのかしら?」

「そうだよ、おはよ、ボス。ここ、座っていい?」

 花は挨拶もそこそこに部屋に歩み入ると、座り心地の良さそうなソファに乱暴に腰かけた。


「ふふ、相変わらずねぇ。アタシの若い頃みたい」

「うげ。それもちろん冗談だよね。私、ボスみたいになるの絶対嫌だから」

「おい、花」

「いいのよぉ。そういう不遜さが若いってことの証明よぉ。こんなのにいちいち目くじら立ててたら、短い人生あっという間に終わっちゃうわよ。それじゃあえーっと、早速本題に移るけど、とりあえず志摩も座ってくれるかしら」

 ボスは言いながらデスクに移動すると、大きな身体を革のチェアに沈めた。開けた引き出しから一枚の写真を取り出した。

「その写真に写ってる娘の名は小暮こぐれ潮里しおり。確か都内の私立女子高に通ってるはずだわ。今年で二年になったのだったかしら……?」


 受け取った写真を志摩が見下ろすと、花も隣から覗き込む。

 そこには明らかに隠し撮りしたアングルで、右斜めを向いた少女が写っている。制服姿だが化粧が濃く、派手。その下の素顔が想像できないくらいだったが、ぱっと見は見た目のいい娘だった。

「その娘だけど、先月の終わり頃から行方が分からなくなったらしいのよ。元々夜遊びや朝帰り、二、三日家に戻らない、ってのは頻繁にあったみたいなんだけどね」

「あー、ハル、なんだか嫌な予感がしてきた……ボス、悪いけど私達もう帰って……痛っ」

 志摩は話に割り込んだ花の頭を小突いてから、ボスに続きを促した。


「確かに素行のいい娘ではなかったし、当初は本格的な家出の線も考えられた。だけどどうやら違うようなのよねぇ。今時の子なら絶対手放さないはずのスマートフォンも、数万円入りの財布も家に残されたままだった。キャッシュカードもクレジットカードも使われた形跡がなくて、贅沢な暮らしに慣れきってるはずの都会の小娘が、金のない不便な状態でいるとはとても考えにくい。僅かな情報としては、数人の友達に彼氏ができたって言ってたらしいけど、それについて詳しい話は誰も聞いてない。姿を消さなければならない前触れも誰も感じてなかったと言ってるし、もしかしたらその謎めいた彼氏の線でマズいことに巻き込まれた可能性はある……まぁ長々説明はしたけど、要はアンタ達にこの小暮潮里って小娘を捜し出してほしいのよ」


 写真を渡された時からよくない予感はしていた。隣にいる花はやはりという顔をしている。

 手にした写真を見下ろして、志摩は返す言葉に窮していた。

 自分達の仕事は組織にとって障害と思われるものの排除と後始末。暴力沙汰と力仕事が主で、行方不明の少女を捜すなど範疇にない。

「ボス、なぜこの仕事を俺達に? これは飯埜いいのの仕事では?」

 志摩は同じくボスの部下である男の名を挙げた。組織に入ってまだ日は浅いが彼は元警察官という経歴を持ち、この手の仕事を得意としていた。


「ああ。飯埜はね、今、南米に買い付けに行ってんのよ。確かに適任だし、アタシも最初に浮かんだんだけど、彼は来月まで戻れそうもないのよねぇ」

 困ったようにボスは零すが、その表情は言葉と同じには見えなかった。

「だけど彼以外の適任者がどうにも浮かばなくてねぇ。今、手持ちの仕事がない中で任せられそうなのはアンタ達だけなのよ。これから娘の足跡を辿る上で恐らく若い子達と接触する機会もあるだろうし、その点アンタは雰囲気が暗いけど見られない顔でもないし、怖がられることも一応ない……わよねぇ? 冷静なアンタと美形の颯なら、まあまあ適任じゃないかって思ったワケよ。でも今は花なのよねぇ……まぁ、黙ってれば美少年に見える花なら大丈夫よね。だってアタシとそっくりなんだもの」

 うふふと笑うボスは頬杖をつき、気楽な様子でいる。無言で考え込むしかないその隣では、花が面白半分な様子で写真をひらつかせていた。


「ねぇ、ボス。一つ訊くけど、この子とボスはどういう関係? もしかして実はボスの娘、とか」

「やーねぇ、アタシに娘なんかいないわよぉ。それは知り合いの娘さんよ。一度だけ恩があって、断るに断れなくてねぇ」

 語られるそれが真実かどうかは分からなかったが、ボスの年齢や趣向を考えれば確かに娘と言うには少々無理がある。しかし今はボスの明かさない素性を詮索しても仕方がなかった。

「……ボス、こちらがもし難色を示しても、この件は俺達が引き受けることになっているのでしょう?」

「ええ、もちろんそうよ。他の選択肢は無い」

 ボスは頬杖をついたまま、にこりと笑いかけた。

 これまで多くの人間を騙し、陥れてきた笑い皺が顔に深く刻まれる。それは相手を黙らせ、確実な命令を受け入れさせることにも有効だった。


「細かいことはこの封筒の中の報告書に書いてあるわ。期限は取り決めないけど早急にね。何か進展があれば直接連絡して。もし何もなくても、二日に一度は連絡を頂戴」

「……分かりました」

「じゃ、頼んだわよ、志摩。花もね」

 封筒を放るように差し出すと、ボスはくるりと椅子を回して背を向けた。

 そしてその後はまるでそこに誰もいないかのように、何も言わなくなった。

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