4.深い森
「志摩、足元見える?」
「ああ」
屍体を担いだ志摩は、懐中電灯で前方を照らす背後の相棒に返事をした。
午前二時。
予定より遅れている現状に歩みを速めるが、時折足は止まる。
静寂の中に感じ取る微かな気配と音。それらに自分達は咎められるべき侵入者だと、この深い闇を歩く度に思わせられる。
「二メートルも掘ればいいだろう」
「了解」
志摩は辿り着いた森の中程で穴を掘り始めた。
穴は墓穴。しかしその前で祈る者もなく、屍体はただ地中で腐り果てていく。
周囲の闇には地面を掘り返す音だけが響き、シャベルを突き立てる土は石のように硬く、根気と執念を必要とする作業は何かの代償のようにも感じられる。
正面では颯が何の表情もなく、手にしたシャベルで黙々と穴を掘り進めていた。
『この子、今日からアンタの下につけるわ』
ある日、
颯は彼女がどこかから拾ってきた少年だった。
そしてその日から共に仕事をするようになって約一年。まだ若く、柔な印象を与える外見から相手に軽く見られることもあるが、その裏に冷静さと冷徹さを隠し持つ彼はこの仕事に向いていると志摩は思う。
ボスはあの日、颯について何も語らなかった。だが志摩は初めて出会った時から彼には不可解な何かを感じていた。
「ここ、誰も来ないの?」
「ああ、地元の人間でも滅多に近づかない。こんな夜中なら尚更だ。一度入ったら出られないって信じられてる」
寡黙な作業は続き、穴は志摩の腰辺りまで掘り進んでいた。
手を休めて汗を拭う颯に、志摩は作業の手を止めずに一瞥して答えた。
「げ。マジで?」
「ただの迷信だ。俺は過去に三度、この森に穴を掘ったことがある。俺だけじゃなく、他の奴らも掘っては埋めてるさ」
「うげ。死体だらけだ」
「だからこんなに森が深いんだ」
「気味悪ぃ」
聞いたことを後悔したように眉を顰めた颯は作業に戻ったが、またすぐに手を止めていた。
「なんだ、颯。また休憩か」
「……志摩、やっぱ来た……」
だが軽く飛ばした揶揄には、消え入りそうな呟きが戻る。
彼が手放したシャベルが地面に倒れ、その身体は糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。
力の抜けた半身が湿った土の上に倒れ込む前に、志摩はその身体を抱き留めていた。
「志摩、悪いけど……あと、頼む……」
颯は眠気を我慢できない子供のように目を閉じる。
腕に感じる重みを受け取りながら、志摩は深い溜息をついていた。
華奢には見えるが、颯の身体は筋肉が張り詰めている。
自分より身体の大きな男の首を折ることもできる。
少年と青年の狭間。
中性的な外見は一見どちらとも取れるが、見た目はそうだとしても兼ね備えているのは男のものだった。
しかし今、志摩の腕の中にある身体は変化を遂げていた。
黒いパーカーの下の身体は、次第に柔らかさと繊細さを帯びていく。
瞳を閉じた相貌そのものは変わらないが、表情には微妙な変化が浮かび上がる。
目に見えるものだけでなく感触を伴う異変は、志摩の掌に過剰なほどそれらを伝えていた。
「……《
瞼の下の眼球が動いたのを見て、志摩は呼びかけた。
「おい、起きろ」
だが無反応な様子に今度は軽く頬を叩く。
「……ん、ここどこ?」
ようやく目を開けた相手の声はいつもとは少し違っている。
「あれ?……もしかして私、今、ハルカの腕の中にいる? なんか土臭いのが気になるけど、ちょっとそれ、うれし……きゃっ!」
そしてその言動は《颯》とは異なる。
志摩は相手が言葉を言い終える前に、その身体を土の上に放り出した。
「痛たたた……いきなり酷いな。ねぇハル、ちょっとプレイが乱暴過ぎない?」
「仕事の途中だ。穴を掘れ、《花》」
「もしかして私、面倒臭い時に出てきた?」
「文句は言うな。颯は言わない。夜が明ける前に全部終わらせるんだ。それに俺を下の名で呼ぶなと言ったろ」
「えー、いいじゃない、それっくらい。減るものでもないし」
「くだらないことを何度も言わせるな。ほらさっさとシャベルを受け取れ」
「はいはい、分かったよ、やらないとは言ってない。やるって、ハル」
実りのないやり取りを続けるつもりはなく、志摩は地面のシャベルを拾うと相手に放った。それを受け取る相手の顔には渋々という表情が見受けられるが、了承どおり黙々と穴を掘り始める。名を呼ぶなという警告は残念ながら伝わらなかったが、続行中の作業が滞ることはないようだった。
自らも作業に再び取りかかりながら、志摩は隣で穴を掘る姿を一瞥した。
もうそこに《颯》という少年の姿はなかった。
ここいるのは彼と同じ顔をした《花》という少女だった。
――颯と花。
彼らは《同じ身体を共有する》双子だった。
二人は決まったきっかけもサイクルもなく、時折入れ替わる。
性別、体つき、声、その他諸々が数秒で変化を起こす。
颯として存在している時は花の意識はどこにもなく、
花として存在している時は颯の意識はどこにもない。
二人は意識を共有していないが、互いの存在は知っている。
彼らは互いの存在を知りながらも、決して出会うことのない双子。
あの時感じ取った不可解な何かの正体を、志摩は現在そのように認識している。
「ねぇ、このおじさんの死体って見つかる心配ないの?」
穴を掘り終えた志摩は、久しぶりに地表の空気を吸っていた。
森は未だ闇に包まれ、夜明けまでにはまだ少し遠い。
届いた声を辿れば、放置した屍体の傍に花の姿がある。
彼女は屈み込んで、男の顔を興味深げに覗き込んでいた。
「ああ、余程のことがない限り」
志摩はほつれた髪を括り直しながら答えた。やらなければならないことはまだ残っていた。これから男の身包みを剥ぎ、穴に落として土を戻す。脱がした着衣や指輪などの所持品は別の場所で処分する。
「それって誰かが、またここに死体を隠そうとしたりした時?」
「そうだな。でもそんなことは確率的にほぼ起きないだろう」
「ふーん、だけどそれ、心配だね」
その声と鈍い音が響いた。
再度振り返った場所には、手にしたシャベルを男の顔面に突き立てる花の姿がある。
「こういうのって死体が腐っても、歯形から身元が分かったりするんだよね。だけどこうしておけば調べようがない。身元の見当がつかなければ、この人のことは誰にも分からない」
花はシャベルの先端を幾度も突き下ろし、確実に屍体の歯を砕いていく。
その口元には笑みが見えるが、志摩はそれについて何も応えなかった。
目前の光景が目を覆うものであるのは確かだが、夜明け遠いこの暗がりで行われるその行為から目を逸らす資格のある者はここにいない。
志摩は思う。
颯は冷徹だ。花はそれに尚、微かな狂気も孕んでいる。
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