3.埠頭

そう

 呼びかけると、力の抜けた身体を足元に転がした少年が振り返る。 


「終わったよ、志摩しま」 

 彼に志摩と呼ばれた長身の男は、届いた返事に頷くとその少年、澤村さわむら颯の方へと歩み寄った。


「……手こずったか?」

「ううん、そんなことなかった」

「そうか、分かった……」

 短い会話を終えた志摩は地面に横たわった相手の傍に屈み込んだ。その時ちらりと暗がりの相貌を窺うが、以前雇い主ボスの部屋で洒落たスーツを着込んで気取って立っていた時の面影はもう見えなかった。


「なぁ、志摩」

 呼びかけに顔を上げると、颯も相手の顔を見下ろしている。

「なんだ?」

「本当にこんな小者ふうのおっさんが幹部だったのか?」 

「なぜそう思う?」

「なんかさ、俺、この人と少し話をしたんだけどその時、急に自信過剰になったかと思ったら急に卑屈になったりして、ずっと情緒不安定で変な感じだったからさ」

 颯は苦笑交じりにそう告げる。

 志摩は伸ばした手でまだぬくもりの残る首筋に触れて、今夜の排除対象者麻生が完全にこの世からいなくなったのを確かめると、立ち上がった。


「さあ? 俺もどんな人間だったかは知らない。何度か見かけたことはあるが話したこともないし、向こうも話したそうではなかった」

「あーそれ、俺もその話したくなさそうってのは感じた」

「だがそれももうどうでもいいことだろう? 彼はもういない」

「うん、まぁ……そりゃそうだね」

 パーカのポケットに手を突っ込んで呟いた相手に、志摩は取り出した車のキーを放った。

「颯、車、取ってきてくれるか」 

「え? このまま海に捨てるんじゃないの?」

「いや、ここは潮の流れがよくない。山に埋める」

「そっか、分かった。それじゃすぐに取ってくる」

 颯は受け取ったキーを手に軽やかに駆け出す。その姿が闇間に消えるのを待って、志摩は携帯電話を取り出した。


「失せ物は六番倉庫の中」

『分かりました。そちらは別の者を向かわせます』

 コール一回で出た相手は抑揚のない無機質な声で応えると、一方的に通話を終える。

 志摩は携帯電話を懐に戻しながら、これから明朝までかかるであろう今後の予定を頭の中で組み上げていた。

 湿った闇が続く埠頭。

 墨色の岸壁には、二度と動くことのない屍体と自分。

 砕ける波の音が強く耳に響く。

 ふと見上げたまだ明けることもない空には、星もなかった。

「月も見えない」

 微かな呟きは誰に届くこともなく、潮温い風に紛れて消えていく。

 変わりようのないこの現実を拒絶できるはずもなく、元より拒めないのも分かっていた。


 背後から届いたエンジン音に振り返れば、黒の旧式ボルボが傍に停車する。

 志摩は足元の屍体を担ぎ上げると、颯が開けたトランクに放り込んだ。古びた毛布をその上にかけ、更にこれ以外の用途に使われたことのない中古のゴルフバックを無造作に置く。毎度繰り返される手慣れた手順を終えると、志摩は運転席側に回った。


「山道だ。俺が運転する」

「俺がしてもいいよ」

「いいや」

 自称十六才の颯は当然車の免許を持っていない。だがその辺りの事情は志摩も変わらなかった。曖昧な素性しか持たない自分達が手にするものは、全てが偽物だった。けれど運転を買って出たのはそんな些細な事情より、別の理由からだった。


「そう? それ、志摩に分かる?」

「運転の最中に出てこられるのは、お前以上に俺が困る」

「そっか、まぁ……それもそうだね」

 端的に理由を告げると颯は頷いて、助手席側に回り込んだ。



******



「しばらく寝てろ。着いたら力仕事だ」

 深夜ラジオを眠気覚ましに聴いていた颯はその言葉に頷くと、目を閉じた。

 だが眠ろうとするとなかなか訪れない眠りに、過去の記憶が頭を巡る。

 気づいた時から、自分は孤児だった。

 澤村という名字は十年いた施設の園長の名字、颯という名はその園長が早くに亡くした子供の名だった。


 赤ん坊の時に捨てられた自分の身元を証明するものは何もなく、血縁者の存在も正確な生年月日も知る術がない。その時々で決めていた誕生日を、それなりに幸せだった施設での日々が終わった『あの日』に定めて六年。自分の歳は多分十六才。

 けれど自らを証明してくれるものは何もない自分にも、一つだけ確実なものがある。

 それは血の繋がった妹の存在。


 ゆっくり目を開くと、窓ガラスには自分の顔が映っている。

 自分達は双子。

 妹は自分と同じ顔をしている。

 対になったその存在は、確実に自分自身を証明してくれる。

 いつか会えたなら、彼女は自分の名を優しく呼んでくれるだろうか。

 しかしこれからも決して会うことのないたった一人の妹に、行き場のない思いを馳せることしかできない――。


「颯」

 違う。そんな声じゃない。

 想像とは違う声で呼ばれ、颯は肩を揺らされて目を覚ました。


「着いたが、いいか?」

「うん、悪ぃ。俺、寝てたんだな」

「いいや構わない。多分二十分程だ」


 目の前にいたのは施設を出て以来、久しぶりに出会った信用できる相手だった。

 眠気を振り払いながら車を降りると、相棒である仏頂面の男は、後部座席から取り出した二本のシャベルを差し出している。

「少し森の中に入る。お前はこれを」

 眠り込んでいた間に到着したのは、深い森の入口だった。

 都心からそう遠くない場所であるものの、風景は一変している。

 ライトが点けられたままの車の向こうには道なき道が見える。

 侵入を許された最後の域まで達した車は、これ以上進むことを拒まれていた。

 人の手がほとんど入れられずに広大に繁った森はただ静かで、夜霧立ちこめる中を暗い土を踏んで先を進んだ。

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