第16話 盛大なお祝い
「うわぁ……華やか~」
会場に足を踏み入れたイーディスは、あまりの華やかさに思わず感嘆の声がもれる。
「予定していたホールではなく舞踏会用の広いホールへ変更したんだ。料理を並べることを考えたらこちらの方がいいからね」
優しい笑みを浮かべながら説明してくれるのは兄のアレンだ。まだ会場入りしたばかりだというのに、既にご令嬢達の熱い視線を集めている。
そんなアレンと並んで歩きながら会場を見回す。
ダイヤのように美しく煌めくシャンデリア、磨き上げられた大理石の床、壇上の玉座は深紅の絨毯で鮮やかに彩られている。どこを見ても、王太子の門出を祝うのにふさわしい装いだ。
「そういえば、お兄様はオズワルド殿下に付いていなくていいの?」
「後から行くから大丈夫。今はイディを一人に出来ないからね」
そう言ってニコリと微笑まれる。麗しい笑顔に、たまたま近くにいたご令嬢がポッと頬を赤らめていた。
「お兄様って罪作りよね……」
「イディには言われたくないなぁ」
どういう意味だろうか。自分は兄のように異性に頬を染められたり、キャーキャー言われたりしたことなどない。
自分を過小評価するイーディスだが、実際はマクレガー
その後、父が挨拶回りをするのに家族全員で付いて回る。宰相である父には知り合いが多く、挨拶も一苦労であった。
ようやく挨拶が終わった頃、会場に大きなファンファーレが鳴り響いた。これは王族が間もなくやってくるという合図だ。参加者に『準備せよ』という合図でもある。
「さて、あちらへ行こうか」
父の一言で、一家揃って玉座がよく見える場所へと移動する。最前列は公爵家と侯爵家のみが許されている。もちろんマクレガー家もだ。その後ろには辺境伯家、伯爵家と続く。
──あれ、あそこって書類で見た謎のスペースだ。
最前列へ移動する途中に見つけたのは、ぽっかり空いたスペースだ。不自然な空きスペースが気になったものの、すぐに王族の入場を告げる声が響いた。それに合わせて会場にいた全員が頭を垂れる。あんなに賑やかだったホールは今やしんと静まり返っていた。
コツコツ、カツカツ──国王夫妻とオズワルド殿下の足音だけが響く。やがて玉座へ辿り着いたのか足音が止まった。
「皆のもの、面を上げよ」
よく通る低い声は、穏やかながらも威厳を感じさせる。国王の許しを得た、その場の全員が顔を上げた。
──わぁ、今日のオズワルド殿下は一段と気合いが入ってるわね。
壇上にいるオズワルドは、まさに王子様といった華やかな出で立ちであった。
艶やかな黒髪の前髪半分を撫でつけた姿は、いつもと全く雰囲気が違う。髪と同じ黒をベースにしたフロックコートも、金糸で繊細な刺繍が施され、とてもきらびやかだ。肩から胸元にかけて伸びている白の飾緒が良いアクセントになっている。
案の定、お年頃のご令嬢達は、凛々しい出で立ちのオズワルドに釘付けとなっていた。その瞳は、まさに恋する乙女である。
同じく年頃の令嬢であるイーディスはと言うと、服飾にあてた予算の事で頭が埋め尽くされていた。
──あれが足りるかどうかお針子達を悩ませた金糸ね。
あれだけ見事な発色なら量産するのは無理だろう。足りはしたものの、予備がほとんどない状態でよくここまで作り上げたものだ。
「それでは、今宵の主役である我が息子・オズワルドからの挨拶だ」
──ヤバイ! しみじみしてたら国王様の御言葉を聞き逃した!
せめて主役であるオズワルドの言葉はしっかり聞かねば。イーディスは頭を切り替えて、背筋を正した。
「改めて、今宵は私の成人祝いに集まってくれてありがとう。王太子として、国のさらなる発展と安寧に尽くす事をここに誓う」
オズワルドは普段自分のことを『俺』というが、公の場では『私』という。イーディスとしては、何だか聞き慣れない感じだ。
──ちゃんとしてれば『王子』に見えるのよね。いつも人をからかってばかりなんだから。
「今宵の宴は前例にない形式を取った。古きを守り新しきを尊ぶ……この国もそのようにありたい。皆、今日は存分に楽しんでいってくれ」
オズワルドがそう締めくくると、大きな歓声と拍手が巻き起こる。堂々とした姿は、まさに次期国王たる態度にふさわしい。
この後は食事が運ばれてくる。王城の料理人が腕によりをかけた食事。実に楽しみである。
イーディスがまだ見ぬ料理に思いを馳せ始めた時、国王が静かに片手を上げた。その途端、波が引くかのように会場が静かになる。
「さて……王太子には、宴の始まりとして、成人後初のダンスを披露してもらおう」
──んっ? そんな段取りあったっけ?
歴代の成人祝いでは、そのような段取りなどなかったはずだ。イーディスが小さく首を傾げている間にも、オズワルドが壇上から降りくる。
普段間近でお目にかかる事のない王太子が近くへ来たことで、令嬢達は興奮を隠せない様子であった。無理もない、ここでダンスパートナーに選ばれれば、王太子妃になれる可能性もあるのだ。
そんな中、イーディスは一抹の不安を覚えた。
──オズワルド殿下がいつもファーストダンスを踊るのって……。
その相手は、いつもイーディスである。それは、イーディスが結婚適齢期の未婚令嬢の中では最上位の爵位からだ。見知った仲でもあるし、一応は誘いに応じていたのだが…。
──でも今回は事前に言われてないから私じゃないよね。
本人からも言われていないし、そう言った手紙も受け取っていない。今日ばかりは、友人枠もしくは侯爵令嬢の務めも必要ないだろう。
──あれ…えっ? ……嘘、こっち来てないっ!?
余裕に構えていられたのは、僅か数十秒たらず。なぜかオズワルドは迷うことなくこちらへやってくる。
隣のアレンが小さく舌打ちをしたが、イーディスは動揺していて気付く余裕はない。あわあわしている間にオズワルドは父の前で歩みを止めた。
「マクレガー侯爵、イーディス嬢をダンスの相手として誘っても?」
「………光栄でございます」
微妙な間から父も全く聞いていなかったのだと推測できた。どことなく父の声が低いのは、また親バカを発動しているのかもしれない。
そんな事を考えていると、オズワルドが目の前にやって来て恭しく手を差し出した。ここだけ見れば、まるで恋愛小説の一コマのようだ。しかし、周囲からの視線も痛いほどに感じる。
「イディ。私と一曲お願い出来るかな?」
「………光栄でございます」
奇しくも父と全く同じ答えになってしまった。こんな大勢の前で断るなんて出来るはずもない。イーディスは令嬢らしい淑やかな笑顔を貼り付け、差し出された手を取った。
──というか、こんな所で愛称で呼ぶなんて!
オズワルドにエスコートされながら頭の中で抗議をしておく。今の一言で絶対にオズワルドとイーディスが親密だと勘違いされただろう。愛称で呼ぶほど親しい仲だと。
あとで物申さなければいけないと思っているうちに、例の空白のスペースまで連れてこられた。
──このスペースはこういう事だったのね……。
今更気付いてももう遅い。どうやらこのダンスは最初から決められていたようだ。
観衆のざわめきの中、ダンスの開始として向き合って一礼をする。周囲をぐるりと観客に囲まれている手前、イーディスは腹をくくった。
──ここはさっさと終わらせて美味しいご飯を食べまくってやる!
やがて楽団の演奏が始まると、2人は慣れた様子でステップを踏んだ。イーディスだって変わり者の令嬢ではあるが、れっきとした侯爵令嬢だ。ダンスくらいお手の物である。
オズワルドのリードはさり気ないけど力強い。悔しいがやはり一国の王太子なだけありダンスも完璧だ。そんなオズワルドへどこからか感嘆の声が聞こえてくる。
「イディ、突然誘って怒ってるか?」
優雅な微笑みのままオズワルドが畏まっていない、いつもの調子で話しかけてきた。観客に聞こえない声量でイーディスも言葉を返す。
「ええ、とっても。あそこで愛称で呼ぶなんて……誤解されたらどうするんですか」
「誤解、とは?」
なぜだかオズワルドの目が楽しげに笑っている気がした。からかわれているのだと分かり、オズワルドから視線を逸らしながら答えた。
「私達が親密な仲だと思われる事です」
「………誤解させておけばいい」
何を言うんだと思い顔を上げたイーディスは思わず息を飲んだ。オズワルドが柔らかな笑みでこちらを見ていたのだ。
──くぅ、至近距離でキラキラ笑顔……美形ってズルイ!
迂闊にもイーディスが動揺していると、ターンをする際さりげなく強く抱き寄せられた。周囲からは、ご令嬢の黄色い歓声が上がる。
そんな余計なパフォーマンスはいらないと思いつつステップを踏んでいると、ごく自然にオズワルドが見つめてきた。
「イディ、そのドレスよく似合っている。夫人に頼んで青にしてもらった甲斐があるな」
「……えっ?」
「気付いていないのか? 青は……その色は、俺の瞳の色だ」
ポカンとするイーディスの目の前ではオズワルドが満足そうな笑みを浮かべている。その瞳は青……。
──なああぁぁぁーー!!
イーディスは心の中で絶叫した。
そう、イーディスのドレスは少し暗めの青。それはオズワルドの瞳の色そのものであった。
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