第11話 お忍びデート

 結局イーディスはオズワルドと共に市場を見て回ることとなった。もちろんイーディスは市場調査のお手伝いだと思っている。


「どこから見て回りましょうか…。そもそも何の調査をするんですか? 差し支えなければ教えて下さい」

「……情緒も何もあったものではないな」


 オズワルドが何か言ったが、市場の賑わいにかき消されてしまう。


「悪いが調査内容は言えない。とりあえず市場を見て歩こうかと思っていたところだ」

「分かりました。私も市場価格が見たいのでちょうど良いですね」


 先程ポールと見て回ったが、広い市場のまだ半分も見ていない。これ幸いとイーディスは嬉しそうに笑み崩れた。


「……そういえば今日は下町の格好なのだな。なんだ…その…そういう格好も似合っているぞ」

「ありがとうございます。でん──えぇと、オズワルド様も似合ってますよ」


 またもや『殿下』と言いそうになり慌てて軌道修正をする。すると、言いにくそうに口をもごもごさせるイーディスを見て、オズワルドが口元を綻ばせた。


「オズでいい。昔はそう呼んでいただろう?」


 『オズ』というのはオズワルドの愛称だ。確かに幼い時は、オズと呼んでいた記憶がある。しかし、それは『オズワルド』と子供の舌では発音できなかったからだ。


 流石に自国の王太子を愛称で呼ぶのは憚られる。だが、このままフルネームで呼んで周囲に王太子だと勘付かれるのはもっと困る。


 悩んだ末、イーディスは渋々ながらオズワルドの提案を受け入れた。


「畏れ多いですが、やむを得ません。不敬ながら今日一日だけそう呼ばせて頂きます」

「敬語もなしだ。お忍びがバレては困るからな」


 有無を言わさぬ笑顔にイーディスは押し黙った。王太子だとバレるのはまずいが、敬語くらい別に問題ないのではないだろうか。無駄に整った御尊顔ときらきらしたオーラが何だか腹が立つ。


「~~っ……分かったわよ! 後から不敬だ無礼だなんて言っても知らないんだから!」


 むっすー、と盛大にむくれながら了承すれば、オズワルドは可笑しそうに笑い声を上げる。どうにもからかわれている気がしてならない。


「よし、そうと決まったら早速調査だな。イディ、飲食店の場所は分かるか?」

「それならあっちだけど。お腹空いてるの?」

「残念ながらそこまで空腹ではない。だが、どんな店があるのか興味があってな」


 それならさっきフルーツ串を買った辺りなどいいだろう。そう考えたイーディスは、オズワルドを連れて飲食物を販売している一画へとやって来た。


 この一画は食べ歩きが出来る物が多く販売されている。露店の人が持ち帰りで買って自分のお昼にしたりもするのだ。


「へぇ、美味そうだな。これは…肉と野菜を串に刺して焼いているのか」

「甘ダレと塩ダレが選べて美味しいわよ。おじさん、甘ダレ一つ下さーい」


 ちょうどいいとばかりに、イーディスは慣れた様子で注文をした。どうにもフルーツ串だけでは物足りなかったのだ。店のおじさんが「あいよっ」と愛想の良い返事をし、ちょうどいい焼き色の串に甘ダレを塗っていく。香ばしい匂いが一気に鼻をくすぐる。


 ちなみにお金はポールから渡されていた。じいやが渡していたアレだ。『オレは少し離れてますんで』と言っていたので、オズワルドに気を遣ったのだろう。


 お金を払い、出来たての串焼きを受け取る。その場で白い湯気を吐き出す串焼きを一口頬張れば、甘めだが濃い味付けのタレが口いっぱいに広がった。


「んぅ~…美味しい!」

「随分美味そうに食べるな」

「出来立てを食べるも市場の醍醐味だもの。オズも一口食べる?」


 そう言ってイーディスは、オズワルドへ串焼きを差し出した。


 オズワルドは空腹ではないと言っていたが、興味津々に見ていたのが気になったのだ。もちろん自分が食べたかったのもある。


「そうだな、せっかくだから一口貰おう。………うん、美味いな」

「でしょ?」


 いつもはポールと別々の味を買って半分こするのだが、オズワルドが空腹ではないならこのぐらいがちょうどいいだろう。


 それにしても、オズワルドは早くも二口目を頬張っている。そんなに食べたいなら自分で持って食べればいいのでは、と思ってしまう。


「イディ、次はこれなんかどうだ?」

「わ、美味しそう~」


 次の店では一口サイズの揚げドーナツを購入した。外側はカリッとしているが、中はフワフワで食べる手が止まらない。まぶしてある砂糖が絶妙だ。だが、なぜかこれもイーディスが食べさせてあげる事になった。


──それにしても、さっきからオズワルド殿下が見ているのは屋台ばかり……。


 その全てが目の前で調理しているものだ。八百屋や肉屋などには足を止めない。もしやと思ったイーディスは人目を気にしながら尋ねてみた。


「ねぇ。もしかして、調査って例の実演料理の件?」


 オズワルドは、今度は魚のフライを食べている。いい加減自分で持って食べてほしいのだが。


「………流石はイディだな。実は、何の実演料理にするか話し合いが行き詰まっていてな」


 魚のフライを飲み込んだオズワルドは、困ったように苦笑しながらも正直に答えてくれた。魚の身が頬にくっついているのにきらきらオーラが出ているからすごい。


 イーディスは持っていたハンカチでオズワルドの頬を拭った。


「どんな案が出てるの?」

「串焼きの案はあったな。煙が出るのと平民向け過ぎるという事で却下された」

「他には?」

「ステーキを焼く案もあった。これも煙が出るので却下された」

「……どうしても肉がいいのね」


 肉は高級品というイメージがあるからだろうか。それとも腹ぺこ男子の意見だったのだろうか。どちらにせよ、その要望を満たすものはないかと思案する。


「そうね……お肉がいいならローストビーフはどうかしら? 厨房で調理したものを会場に持ち込んで目の前で切り分けるの」

「ほぅ、それなら煙は出ないな」


 ローストビーフなら高級感もあるから貴族にも好まれるだろう。イーディスも大好きだ。


「鳥の丸焼きなんかもそのまま運んだらインパクトがあるわね。ソースを何種類か選べるようにしたら物珍しいかも。ハーブ塩とか甘辛ダレとか」


 次々に出てくる提案にオズワルドは立つ瀬がないとばかりの表情になる。そんなオズワルドの気持ちには気付かず、イーディスは話しを続ける。


「あとはケーキの飾り付けなんかも女性受けが良さそうよね」

「飾り付け?」

「ええ、スポンジにクリームを塗っただけの状態で準備をして、客が選んだフルーツを目の前でキレイに盛り付けるの。マルセル地方のイチゴとかリンダール地方のベリー類なんかいいわね。産地も明記しておけば交易が広がるかもしれないわ」


 目先のことだけでなく今後のことまで考えているのが実にイーディスらしい。頭の固い一部の大臣に見習わせたいものだ、とオズワルドが苦笑する。


「流石はイディだな。……もっと早くに相談していれば良かった」

「ふふ、相談くらいいつでも乗るわよ」


 イーディスが笑う様は、いつの日かオズワルドが惹かれた陽だまりのような明るい笑顔であった。いかに自分の能力が凄いか気付かず、天真爛漫に動き回り、いつも突飛な事をしては周囲を驚かせる。


──これだから放っておけないんだ。


 彼女を守るのは自分でありたい。この笑顔をずっと傍で見ていたい。オズワルドは、伸ばしそうになった手を堪えるようにグッと握りしめた。


──今はまだその時ではない。


 オズワルドは気持ちを抑え、いつも通りの笑みを浮かべた。


「頼もしいな。よし、先程の案で提出してみよう」

「あ、じゃあ調査は終わ──」

「イディ、次は工芸品を見てみたい」


 せっかくのデートだ。ここで終わってしまうのはもったいない。オズワルドは聞こえないふりをしてイーディスの手を取った。


 もう少しだけこの恋人同士のような甘い距離感を味わいたい。こうして二人は時間の許す限り、街歩きを楽しむのであった。

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