第9話 イーディスの休日
本日イーディスは、休日で自宅にいた。
いつも通りの時間に起床して、家族と朝食を食べ、仕事に行く父と兄を見送る。しばらくして、母もお茶会があるそうで出掛けてしまった。
──急ぎの仕事もないし、領地の仕事もお母様が終わらせたそうだし……う～ん、する事がない。
いつもは何かしら仕事をしていたが、今日はすることがない。ここまで時間に余裕があるのは久々であった。
せっかくだから書庫でのんびり本を読むのも悪くはない。でも天気が良いから家に居るのはもったいない気もする。明るい陽光に足を止め、キレイに磨かれた窓から外を眺めれば、外は澄み渡るような青空が広がっていた。
「そうだ！ 久しぶりに城下に行こう！」
市場調査は仕事にも役に立つ。物流状況や最新の流行は、知っておいて損はないのだ。
「よーし、そうと決まったら着替えな──ひっ！」
部屋に戻ろうと振り返ったイーディスは小さな悲鳴を上げた。そこには穏やかな笑みを浮かべた、じいやが立っていたのだ。先程までは誰もいなかったのに、いつの間に背後に来ていたのだろうか。
「お嬢様、城下にお出かけですか？」
「え、ええ。お昼も外で食べようかと…」
「さようでございますか。それでは、護衛兼荷物持ちとしてポールをお供させましょう」
決定事項である。NOとは言わせない。もちろん、嫌なわけではないが。
ポールとはマクレガー家で働く使用人で、イーディスが出かける時にはいつも付き添ってくれる。
「ありがとう。着替えてくるからポールには玄関で待っててもらって」
「承知いたしました」
そのまま部屋に戻ったイーディスは、部屋の奥にある衣装部屋へと向かった。狭くはない空間に、ドレスや帽子、靴などが所狭しと収納されている。その中には、下町の服もいくつか取り揃えていた。
イーディスは、動きやすさを重視して服を選んでいく。控えめなフリルが付いた白ブラウス。その上に合わせるのは黒のワンピースだ。腰回りが編み上げになっているのでサイズ調整もお手軽だ。裾に刺繍がされているのがおしゃれで可愛い。
緩やかにウェーブを描くローズピンクの髪は邪魔にならないように結い上げる。靴も歩きやすいようにヒールのないものをチョイスした。
──よし！ どう見ても下町の女の子だわ！
鏡の前でくるりと回って身だしなみを確認した後、早足(走るとじいやに叱られる)で玄関へと向かう。久々の散策に自然と足取りが軽くなる。
玄関ではちょうどポールがじいやと話しをしているところだった。何やらポールが受け取っているが、あれはお小遣いだろうか。イーディスも買い物くらい一人で出来るのに、なぜかいつも会計係はポールなのだ。
二人はイーディスの姿を見つけるなり、笑みを浮かべた。
「お嬢様、とても可愛らしゅうございます」
「お嬢、下町服も似合ってますよ～」
「えへへ、ありがとう」
二人におだてられて気分が良くなったイーディスは、その場でくるりと回って見せた。孫でも見るかのように穏やかな笑みを浮かべていたじいやは、突如心臓を押さえ崩れ落ちる。
「……ごふっ！ な、何という……お可愛らしさ……」
「じいや？」
じいやの咳が聞こえたイーディスは回るのを止めた。しかし、その時には既にいつものじいやに戻っていた。
「……ポール、いいですか？ お嬢様に変な虫が付かないよう、きちんとお守りするのですよ」
「へいへい、分かってますって」
「こんなに愛らしくては誘拐されかねません。お嬢様を絶っっ対一人にさせないように！」
二人はひそひそと話しているが、この距離では当の本人に丸聞こえである。イーディスは聞こえないふりをしながらも苦笑するしかなかった。
──本当、じいやって心配性なんだから……。
そうして、心配性のじいやに見送られ、二人は城下町へと出かけていった。
◆◆◆◆◆
「うわぁ、今日も賑やかね」
城下町のメインストリート──ではなく、いかにも下町といったここは、庶民がよく利用する市場だ。
ここは地面に敷物を敷いて商品を並べ、各々が自由に販売している。流れの商人や店を持たない商人がよく利用する場所だ。
「おじょ──イーディスさん。あんまり離れないで下さいよ」
ポールには、外で『お嬢』と呼ばないようお願いしている。貴族令嬢というだけで面倒ごとに巻き込まれることもあるからだ。
兄妹に扮した方が城下に溶け込めると思うのだが、ポールは決して呼び捨てで呼んではくれない。昔一度、｢兄弟が嫌なら恋人に扮したらどう｣と提案したこともあるが、兄妹設定以上に全力で拒否された。
『お嬢はオレを殺す気っすか！？ そんな事したらオレみたいな庶民なんて一瞬で存在を抹消されるっすよっ』
と、言われたのだ。恋人のフリは死ぬほど嫌らしい。あれには少し傷付いた。
「あっ、ウチの領のレースだわ。お隣の領の細工物まで。へぇ～、領内で販売しているのとあまり金額は変わらないのね。街道整備の効果かしら」
「……物価比較より商品見ましょうよ」
普通の女の子なら「このレース編みキレイ」とか「この細工の飾り素敵」なんて言うところであろう。着飾ることに無頓着なイーディスにとっては、経済状況の方が大事なのだ。
「あら、あれは短剣？ ここで武器が売ってるなんて珍しいわね。こんにちは～」
「……本当行動的っすね」
市場調査のためなら精力的に動き回るのがイーディスだ。護衛としては気が気ではない。気さくに店員に話しかけるイーディスを守るように、ポールもさりげなく隣へと移動する。
「なんだぁ、嬢ちゃん武器に興味あんのか？」
鋭い目つきでイーディスを睨みつけたのは、ひげを生やした頑固そうな中年男。言葉遣いも荒く、いかにも気難しい職人といった風貌だ。
武器をしようするとは到底思えないイーディスに訝しげな目を向けてきた。もちろん下町に慣れっこのイーディスは、このくらいの対応なんて気にもならない。
「ええ。これなんて変わった形ね。初めて見たわ」
イーディスが指差したのは、刀身がＳ字に湾曲している短剣であった。
「はんっ！ 中々見る目あんじゃねぇか。こいつぁ、他国の剣を真似たもんだ」
「真似た？ ということはおじさんが作ったの？」
イーディスの問いに店員は横柄な態度で「そうだ」とだけ答えた。普通の人なら愛想の欠片もない態度に、この場を去っていることだろう。しかし、イーディスは店員の答えを聞いて目を輝かせた。
「すごいわ！ こんなキレイな流線を手作りするなんて！」
「……あ゛？」
「剣を作るには鉄や銅などの鉱物を高温で溶かして何度も何度も叩くのでしょう？ 不純物だって取り除かなきゃいけないし。こんな風に湾曲させるのはとても大変なはずよ。それもこんなに滑らかに……」
イーディスはまるで宝石でも見るかのように短剣を見つめた。本当は手に取って眺めてみたいが、武器を手にするのはポールに止められそうなので我慢しておく。
「真似だけでこんなすごい物を作れるなんて……おじさんは腕の良い鍛冶職人なのね」
──出たよ、お嬢の人たらし。素でこれだもんなぁ…。
イーディスの横でポールがげんなりと溜息をつく。
快活でハキハキしたイーディスは、人に好かれやすい。無自覚に人を
ポールがお供する理由がまさにこれだった。護衛だけではなく男除けも兼ねているのだ。まぁ、目の前のこの店員は不埒なことを考えるタイプではなさそうだが。
ポールに安全と判断された店員は、イーディスの賛辞を聞いてしばらく唖然としていた。かと思えば、豪快に笑い始めた。
「……ぶはっ…なんでぇ！ 中々分かる嬢ちゃんじゃねぇか」
「この短剣買うわ。あら、これは？」
イーディスが目に留めたのは長方形の石であった。武器──刃物とは縁遠いイーディスには見慣れない物だ。
「あ゛？ ああ、それは研ぎ石だ」
「研ぎ石……刃物を研ぐのに使う物ね。本では知っていたけど初めて見たわ」
「ま、このご時世で武器なんざたいして売れねぇからな。研ぎ石も売れ残ってらぁ」
自虐的に笑う店員の言葉に、イーディスは何やら考え出した。この店員の腕は間違いないだろう。それが埋もれてしまうのは勿体ない。
「ねぇ、それなら刃物のお手入れをしてみたらどうかしら？」
「あぁ？」
「包丁とかの手入れをするの。包丁やハサミは使い捨てではなく長年愛用する人が多いでしょう？ それなら切れ味も落ちてしまうわ。それを職人が代わって手入れをする……絶対いい商売になるわ」
イーディスの何気ない提案に店員は、目から鱗とばかりに目を見開いた。どうやら思いがけない提案だったらしい。
「そりゃあ、いい考えだ！ すげぇな、嬢ちゃん」
「こんないい腕をしてるんだもの。きっと人気が出るわよ～」
「がははっ！ そりゃ願ってもいねぇ。よし、良いアドバイスの礼だ。短剣まけてやらぁ」
すっかり気を良くした店員は手書きの値札よりも大分安い金額を提示する。それほどイーディスの提案は素晴らしいものだったらしい。
イーディスはいつもの令嬢スマイルではなくニヤリとした笑みを浮かべた。
「嬉しいけど定額でいいわ。その代わり宣伝も兼ねてポールの短剣を研いでくれないかしら？」
ポールが短剣を持ち歩いているのは知っている。ここで刃物を研いで見せれば客寄せになるだろう。こちらとしてもタダで手入れが出来るなら願ってもいない。
ちゃっかりしたイーディスの頼みに店員はまたも豪快に笑いながら了承するのであった。
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