第7話 王太子と側近

 王太子の執務室。それは城の中でも厳重に警備された場所にあり、限られた者しか立ち入ることは出来ない。


「しかし、立食形式とは…毎度のことながら、イディの発想には驚かされるな」


 イーディスから渡された書類を読み込みながらオズワルドが呟く。その表情はどこか楽しそうだ。


「この書類もよくまとめられているな。イーディス嬢は財務官……だよな?」


 イーディスお手製のプレゼン資料、もとい提案書に感嘆の声を上げたのは側近のルーカスだ。彼は護衛としての役割が強いが、簡単な書類仕事もこなすことができる。


「本当にうちの妹は可愛い上に賢くて困りますよ…」


 大きな溜め息をついたのは、オズワルドのもう一人の側近であり、イーディスの兄のアレンだ。三歳下の妹であるイーディスをそれはもう可愛がっていた。


 三人は王太子執務室の中央にあるソファへ座り、テーブルに山ほどの書類を広げていた。それらは先程イーディスから渡された提案書やら見積書やらである。



【立食形式の提案書】

・隅に着席出来る席を設ける

 ご年配の方や疲れた方のため

・給仕はなるべく自分で

 使用人は食器を下げるだけ。食材の補充に集中出来る

etc.


【見積比較書】

食材(概算):着席形式〇〇 立食形式〇〇

人件費:着席形式〇〇 立食形式〇〇

会場設備:着席形式〇〇 立食形式〇〇

食器:着席形式〇〇 立食形式〇〇

etc.



「マクレガー家の至宝はとんでもないな。柔軟で革新的な発想。豊富な知識と地道な努力による裏付け」


 優秀と称えられる王太子のオズワルドですら、イーディスには一目置いている。マクレガー領を大発展させた発端がまだ十歳のイーディスだということも知っていた。


 マクレガー家は、危険から守るため(ついでに余計な虫が付くのを防ぐため)イーディスの優秀さをひた隠しにしていた。しかし、何度かイーディスに会ったことのある者ならば、その聡明さにすぐ気付くことだろう。そのせいでイーディスを欲しがる輩は数え切れない。


「しかも何だこれは」


 オズワルドは、読み終わった書類をテーブルへ置いた。イーディスが言っていた『他国にない試み』を記した書類だ。



・シェフによる実演料理

 目の前で簡単な調理をしながらの提供。パフォーマンスとしての側面もある。


・国内の名産を使用した料理

 地方の名物料理を出すのも良し。今後の交易に繋がる可能性あり。



「「……………」」


 その書類を見たアレンとルーカスは自然と無言になってしまう。


 分かりやすく絵による説明がされている実演料理。祭りで見かける出店のような感じで非常に分かりやすい。


 国内の名産については、交易に繋げられるようご丁寧に過去数年の生産量まで記載されていた。


「イディのやつ…。これでまた虫がたくさん湧いてくるじゃないか」

「……アレン、心中察する」


 思わず頭を抱えたアレンをルーカスが励ますようにそっと肩を叩く。


 これらの案をイーディスが発案したと知られれば、イーディスを欲しがる輩がますます多くなることだろう。イーディスを取り込むのに手っ取り早い方法は、婚姻を結ぶことだ。


「そう落ち込むな、アレン。俺がイディにアプローチしているのは多くの者が知っているんだ。そうそう他の男が手を出すことはないだろう」


 ニヤリと笑うオズワルドにアレンは複雑そうに顔をしかめた。


 オズワルドとイーディスは正式には婚約していない。しかし、オズワルドは舞踏会でファーストダンスをイーディスと踊ったり、毎年誕生日プレゼントを贈ったりしているのだ。


 王太子であるオズワルドが特別視する女性。社交界ではそのように知れ渡っていた。確かに周囲を牽制するには十分だろう。


「はぁ…殿下がイディを大切に思っていることは分かっています。しかし、本人にその気がないのですから。ああぁぁ、心配だっ!」


 常に冷静沈着なアレンだが、溺愛する可愛い妹の事となるとその面影は皆無だ。頭を掻きむしって乱心している。この姿をアレンに恋する令嬢に見せてやりたいものだ。


「それにしても、殿下の口説きをさらりと躱すイーディス嬢はすごいよな」

「全くだ。俺はイディの事を本気で想っているのに、これっぽっちも伝わっている気がしない」


 オズワルドは大袈裟に肩をすくめてみせた。明朗快活なイーディスに心惹かれたのはいつの頃だったか。


 イーディスは、良くも悪くも仕事一筋だ。十七歳という花盛りの年齢ながらも恋愛には全くと言っていいほど興味がない。


 侯爵家令嬢という高位貴族、愛らしい容姿、快活な性格。モテる要素は十二分にあるのだが、今のところ宝の持ち腐れ状態だ。いや、本人にその気がないだけで実際はかなりモテているのだが。


「イーディス嬢の事だから、仕事に夢中になるあまり独身を貫く可能性だってあるんじゃないか?」

「ルーカス、恐ろしいことを言ってくれるな。イディが独身なら俺も一生独身という事になるぞ?」

「……失礼しました」


 オズワルドの冗談めいた言葉にも、真面目なルーカスは丁寧に頭を下げた。


 冗談のように聞こえるがオズワルドとしては本気であった。優秀なイーディスを王家へ取り込みたいという気持ちもなくはないが、明るく真っ直ぐなイーディスを心から可愛いと思っている。妻にするならイーディス以外考えていないのだ。


 そこに割って入ってきたのは冷静さを取り戻したアレンだ。


「殿下がイディの嫁ぎ先として一番最良なのは分かっています。ええ、それは父も私も認めています。ですが、イディが嫌というなら結婚は認めませんからね」


 アレンの目は真剣だ。相手が仕える相手だろうとそこは兄として譲れないのだろう。


 父と共に可愛い妹の嫁ぎ先を選別したのは、イーディスがマクレガー領を大発展に導いた頃だ。あの時は、どこからかイーディスの優秀さを嗅ぎつけた連中が見合いやら婚約やらを打診してきた。可愛い妹を不埒な奴にやるわけにはいかない。


イーディスが自由にその力を発揮できること。


何者からもイーディスを守り抜けること。


そして何より、イーディスを幸せにしてくれること。


 最初の二つをクリア出来たのは今のところオズワルドだけだ。三つ目については、イーディスの気持ちも重要だからまだクリアしたとは認められない。


「いっそ結婚してから愛を育むという形もありではないのか?」

「絶対ダメです! そんな事をしたら、イディのことだから政略結婚だと思いますよ」


 アレンの指摘を受けてオズワルドも納得した。イーディスなら絶対そう思うだろう。


「はぁ…前途多難だな。俺も早くしないと強制的に見合いをさせられそうだ」


 オズワルドの両親である国王夫妻も、息子の秘やかな恋心を応援してくれている。しかし、いつまでも進展のない状況にしびれを切らす可能性だってある。


「殿下が他のご令嬢と結婚されたら、イディはルーカスに貰ってもらいますので」


 ニコリと笑うアレンの笑顔にはどす黒いものが漂っていた。アレンとしてはルーカスも十分、可愛い妹の嫁ぎ先として条件を満たしているのだ。


 寝耳に水であったルーカスは、必死に首を左右に振っていた。主の想い人を娶るなどあり得ないといった風だ。


「イディのやつルーカスには懐いてるんだよな。俺にはツンツンしてるのに」

「それは殿下がからかってばかりいるからでしょう」


 スパッと言い切ったアレンに、ルーカスも小さく頷いていた。そんな二人の様子にオズワルドも目を細める。


「まぁ、いいさ。今回の宴は俺にとってチャンスだからな」


 ニヤリと不敵に笑うオズワルドに二人もその意味を察した。


 どうやらイーディスの立食形式の案は採用されそうだ。内容の良さは然る事ながら、相談と称してイーディスとの接触も図るつもりなのだろう。


「経費削減から革新的な発想、さらには他国との交易まで見据えるとは。本当イディは見ていて飽きないな」


 今回の宴では、侯爵家令嬢としてイーディスも参加するだろう。終始行動を共にすれば、婚約者として周囲に知らしめることが出来る。


 オズワルドは自分の計画を思い、秘かに口の端を上げた。アレンに言うと面倒なので話す気はない。


──イディ、俺以外と結婚なんてするんじゃないぞ。

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