第5話 来訪者

 エヴァンとの打ち合わせを終えたイーディスは、休むことなく次の仕事へ取りかかっていた。


 ギルバートの補佐を務め、緊急性の高い書類を片付けているうちに午前を終える。少し遅めのランチを食べた後は、財務課執務室の隣にある小部屋に籠もっていた。


 この小部屋は、特に重要書類を扱う時に使われている。執務室だと財務官以外も訪れることがあるからだ。


 『王太子殿下の成人祝い』──それが次なる大仕事であった。


 この国で成人とは、結婚できる年齢の事を言う。女性は16歳から、男性は20歳からが結婚出来る年齢とされている。結婚できる年齢イコール一人前というような考え方なのだ。


 次期国王が結婚できる年齢に達したということは、本格的に王太子妃選びが始まるということだ。今回の宴も、殿下のお妃候補を探す趣旨もあるそうだ。


 開催時期は三カ月後。既に予算配分は終わっているので一山越えている。今は細かい調整をしながら進めているところだ。


──う~ん、予想通り凄い金額。


 金勘定に慣れているイーディスでも桁数の多さに驚いてしまう。次期君主となる王太子殿下の成人披露宴ともなれば、豪華絢爛になるのは当たり前だ。質素にしてしまえば王室が舐められてしまう。


 それでも資金は国庫から出るのだから、抑えられるところは抑えるに越したことはない。それを調整するのが財務官であるイーディスの役割であった。


 各所から上がってきた途中経過の報告書へ目を通していく。金額だけではなく、その背景も非常に重要だ。


──警備面は予算通り。会場、通路、庭園……人数も配置も問題なさそうね。


 報告書を厳しい目つきで読み込み、問題なしと仕分けていく。


──服飾も今のところ問題なし。金糸も無事足りたようね。流石、王族専門のお針子。


 そんな風に、各報告書を確認していくと扉が開く音が聞こえた。どうせ財務官の誰かだろうと仕事を続行しながら声だけかける。


「お疲れ様です。何か用ですか?」


 財務官──同僚は、イーディスが熱中するとこんな感じだというのをよく知っている。いつもならこのまま話しを続けるところだ。


「相変わらず仕事の鬼だな、イディ?」

「っ……!?」


 予想外の声にイーディスは、勢いよく顔を上げた。そこにいたのは、楽しげな笑みを浮かべる青年であった。


「オ、オズワルド殿下っ!?」


 艶やかな黒髪に澄んだ海の底のようなマリンブルーの瞳。自信に満ちた堂々とした態度。王子様然とした整った容姿ながらも、どこかワイルドさを感じさせる凛々しい雰囲気。


 彼こそ、この国の王位継承者であるオズワルド王太子だ。


「婚約者が来たというのに仕事に熱中とは……相変わらずつれないな、イディ」

「………寝言なら寝てから言って下さい」


 イーディスの冷たい態度を受けても、オズワルドは楽しげに笑みを浮かべている。むしろ、さらにからかうようにイーディスへ触れようと手を伸ばしてきた。


 しかし、それはすんでの所で阻止された。オズワルドの行動に待ったをかけたのはイーディスもよく知る人物であった。


「殿下。あくまでです。うちの可愛いイディは、そう簡単にあげませんよ」

「アレンお兄様……」


 可愛い妹に触れるなとばかりにドス黒い笑顔を振りまくのは、アレンだ。イーディスの兄であり、オズワルドの側近だ。


 昨夜、夜更かしをしかけたのは既にアレンに知らされているだろう。叱られるのが怖くて早めに出勤した手前、イーディスは気まずそうに視線を逸らした。ニコニコしている兄が怖い。


「イーディス嬢、仕事中にすまん」

「ルーカス様!」


 申し訳なさそうに謝ってきたのは、いかにも武人といった風貌の青年だ。


 彼は、ルーカス・レヴァインという。アレンと同じくオズワルドの側近だ。政務面を補佐するのがアレンなら、ルーカスは護衛としての役割を担っている。


 身長が高く、がっしりした体格。超が付くほど真面目な性格だ。鼻筋に一線の傷があるのが目を引く。


 彼ら三人は、年が近いこともあり幼少時からの付き合いであった。アレンの妹ということで、イーディスも何度か遊んでもらった記憶がある。


 イーディスは、静かに火花を散らすアレンとオズワルドを無視してルーカスへと近寄った。


「ルーカス様、お久しぶりです。お変わりありませんか?」

「……ああ。イーディス嬢も元気そうだな」


 弾けんばかりの笑顔を見せるイーディスに、ルーカスも小さな笑みを浮かべた。幼い子供をあやすように、ぽんと頭に手を乗せられる。


 ルーカスは口数が少ないうえに、鼻筋の傷跡のせいで怖がられることが多い。本当はこうやって友人の妹を可愛がってくれる心優しい人なのだ。


「もうっ! いつも言っているじゃないですか。敬称はいりません。イディと呼んで下さい」


 イディとはイーディスの愛称だ。家族や親しい人は愛称で呼ぶ。もう一人の兄のように思っているルーカスであれば、ぜひとも愛称で呼んでもらいたい。


「しかし……」

「オズワルド殿下なんて勝手に呼んでますよ。ルーカス様も気にしなくていいのに」

「イーディス嬢は殿下の婚約者だろう? 俺が愛称で呼ぶわけにはいかない」

「………それ、私は了承してないですから」


 ルーカスにまでオズワルドの婚約者と言われ、イーディスはげんなりとした。


 確かにオズワルドの婚約者として打診された事は幾度となくある。幼少時、国王夫妻からも「オズのお嫁さんにならない?」なんて言われた事もあった。


 しかし、イーディスは今の仕事に生きがいを感じているのだ。王太子妃になるつもりは微塵もない。それなのに周囲からはなぜか王太子妃最有力候補と思われているのだ。


──オズワルド殿下と結婚っていうのも想像つかないし……。


 恋愛よりも財政改革の方がいい。仕事人間のイーディスは恋愛そのものに興味がなかった。


 イーディスの表情が曇ったのを察してか、ルーカスがよしよしと頭を撫でてくれた。不器用な手つきながらも、その優しさにホッとする。すかさずそこへアレンとオズワルドがやってきた。


「ルーカス? なにイディといちゃいちゃしているんだい」

「イディ、俺という者がありながら。浮気かっ!?」


 ルーカスとはただ話しをしているだけなのに外野がうるさい。思わず表情を失いかけてしまった。


 イーディスは、不器用でも心優しいルーカスを兄のように慕っているだけなのだ。恋愛感情など抱いていない。それはルーカスも同じ事だろう。


「お兄様、オズワルド殿下、うるさいです。仕事の邪魔をしにきたのなら出て行って下さい」


 イーディスは、半ば睨むように二人を見た。他の人がこの場面を見たら、『王太子殿下になんと無礼なっ』とか激昂されそうである。


 イーディスはアレンを通してオズワルドとも幼少時からの付き合いがある。オズワルド本人も堅苦しいのを嫌う人物で、私的な場であれば畏まらなくていいと言われているのだ。


「はぁ……まるで懐かない猫のようだな。まぁ、そんなところも可愛いが」

「……それで、何の御用ですか?」


 イーディスは、オズワルドの口説きを平然として受け流した。オズワルドは残念がるよりも楽しげに口の端を上げた。


「取り付く島もないな。イディの顔が見たかったというのもあるが、今回の宴について状況を聞きに来たんだ。一応俺が主催者だからな」


 状況確認なら各部署、もしくはそこにいる側近にでも聞くべきではないだろうか。財務官は基本的に金銭の流れを管理するのが仕事なのだが。


 しかし、イーディスは只の財務官ではない。豊富な知識から金銭の流れである程度を把握する事が出来る。オズワルドもそれが分かっているからここへ来たのだろう。


──本当、オズワルド殿下って意地悪。わざわざ私に聞く必要ないじゃない。


 イーディスは心の中で溜め息をつきながら、三人へと席を勧めた。

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