第4話 担当者との打ち合わせ
整備課の担当者とは、思いの外すぐにアポイントを取る事が出来た。必要な資料を抱えたイーディスは、整備課の応接室へと通されていた。
「お時間を取って頂きありがとうございます。財務官のイーディスです」
仕事の時は家名を名乗らない。働くのに身分は関係ないというのがイーディスの信念だ。ただ単純に、侯爵家の名を出すと緊張させてしまうからという理由もある。
「は、初めまして。堤防工事の予算案を担当しているエヴァンです。お会いできて光栄です!」
エヴァンと名乗った青年は、どこか緊張しながらも目を輝かせていた。例えるならば、その目は尊敬する先輩でも見ているかのようである。
──な、何かしら……光栄の意味が分からない……。
純粋な眼差しに気圧されているイーディスだが、笑顔は崩さない。伊達に侯爵令嬢を17年やってはいない。
担当者・エヴァンの第一印象は、その純粋さ──ではなく『年齢不詳』というところであった。イーディスよりは年上のようだが、なかなかの童顔で同い年といっても通用しそうだ。
色々と気になることはあるが、イーディスは本題へと話しを切り出した。
「今回の予算案ですが、まずは資材。こちらは一般的な物価より安価ですが、どちらかの業者と交渉済みなのでしょうか?」
はい、と元気よく返事をしたエヴァンは、手元の資料をガサガサと漁り始めた。
まずはファイリングを教えた方がいいかもしれない。そう思ってしまうくらい資料が山盛りであった。
「業者とは交渉済みです……あった! これが契約の予定書面です。ここ数十年はないですが、あの川は大雨の度に氾濫することがあるそうです。そのせいもあり、業者も堤防工事の必要性を十二分に理解して下さいました」
イーディスは、渡された書面を受け取ると、内容へ目を通した。
業者はそこそこ名を知られており、悪い噂は聞かないクリーンな商会であった。粗悪品を卸されることはなさそうだ。商会としてもあの河川が整備されれば、移動がしやすくなる。未来投資といったところだろうか。
──安価だけど、仕入れ適正価格よりもちゃんと上。業者の利益もきちんと考えられているわね。
脳内で事前に調べていた情報とすり合わせていく。これなら問題はなさそうだ。
「分かりました。こちらとしても安価なのは助かります。次に人件費ですが──」
「あ、あの! 実は、人件費の目安が分からず自分なりに調べて試算したんです」
エヴァンは、白状するようにいくつかの資料を広げ始めた。
「今回のように大規模な堤防工事の事例がなかったので、王都内の建築と地方の建築の際の人件費を参考にしたんです……」
しゅんとするエヴァンだが、広げられた資料は細かく調べられているものばかりだ。エヴァンの勤勉さと頑張りがよく窺い知れる。
──そういえば、ここまで大きな堤防工事なんて今までなかったっけ。
イーディスもようやくその事を思い出した。
今回の堤防工事は、実は初めてのことなのだ。ここ数十年は川の氾濫もなかったため、小さな工事だけで間に合っていた。雑費が多かったのは、予測不能故の項目だったのだろう。
「前例がないのにここまで調べてあるなんて素晴らしいです。
しかし、今回は家を建てるよりも重労働となるので、もう少し賃金を上げて人件費を多めに見積もってはいかがでしょうか?」
イーディスの提案に、エヴァンは大きく目を見張った。
「……良いのですか?」
「相応の働きには相応の賃金が必要です。労働者のモチベーションにも関わりますし」
エヴァンの顔には『意外』と分かりやすく書かれていた。失礼なと言いたいところだが、その言葉を飲み込んでおく。
別にイーディスは、何でもかんでもNOを出す訳ではない。必要経費ならきちんと対応する。
──水増しに対して口うるさく言いすぎたせいね……。
イーディスが財務官になって丸一年。不正ばかり暴いてきたため、こうして恐れられてしまったのだろう。
心の中で溜め息をついたイーディスは、持ってきていた本を差し出した。
「こちらは隣国で十年ほど前に行われた堤防工事に関する本です。もう一冊は、予算案から最終的にかかった金額がまとめられています。
物価も我が国と変わりませんので、参考に出来るかと思います」
エヴァンは、一冊を手に取るとページをめくり始めた。視線を走らせていくうちに、その表情はどんどん真剣なものへと変わっていく。
「……すごい! これは分かりやすい! 経費内訳の詳細まで……そうか資材の運搬費もあるのか」
真剣になるあまり、エヴァンはぶつぶつと呟いていた。この調子ならこれ以上の手伝いは不要そうである。
「お役に立ちそうで何よりです。予算案の再提出は……そうですね…一ヶ月後でも大丈夫でしょうか?」
「はい!」
エヴァンの真面目さなら一ヶ月でも問題ないだろう。乱雑ながらもたくさんの資料が彼の努力を物語っていた。
「やっぱりイーディスさんは凄いですね。隣国を参考にするなんて思いつきませんでした」
キラキラとしたエヴァンの瞳は、純粋そのものだ。その曇りのない瞳に、イーディスは後ろめたさを感じてしまった。
前世では他国を参考にすることは珍しくないのだ。純粋な自分の知識ではないので、褒められても素直に喜べなかった。
だが、エヴァンがその事を知るはずもない。
「イーディスさんは知識も豊富で着眼点も素晴らしいと聞きます。僕よりずっと若いのに……本当に尊敬します!」
やや興奮気味なエヴァンにイーディスは、ごまかすように苦笑した。しかし、すぐにエヴァンの一言に引っかかりを覚えた。
「……あの、エヴァンさんっておいくつなんですか?」
「僕ですか? 29ですよ」
「に、29っ!?」
予想外の答えにイーディスの声が自然と大きくなる。17歳のイーディスとは、10歳以上も離れている。
イーディスの驚き様を見て、エヴァンは頬を掻きながら苦笑した。
「あはは……やっぱり見えないですよね。未だに未成年に見られるんですよー」
兄のアレンは20歳。しかし、エヴァンと並んだら間違いなくアレンの方が年上に思われるだろう。兄が老けているわけではない。エヴァンが若過ぎるのだ。
──童顔恐るべし……。
整備課との打ち合わせは、最後の最後を衝撃の事実で締めくくることとなった。
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