第3話 マクレガー家の至宝

 母と兄とのディナーを終えたイーディスは、自室へと戻ってきていた。父は仕事が忙しいらしく、今日はまだ帰ってきていない。


 ソファに座りクッションを抱きしめていたイーディスは、不満そうに呟いた。


「書庫に行きたい……」


 今世でも根っからの仕事人間であるイーディスは、調べ物の続きがしたくてうずうずしていた。アレンの笑顔の圧力に負けてしまい、途中で終わらせざるを得なかったのだ。消化不良でどうにも落ち着かない。

 

 こっそり書庫から資料を持ってきて部屋で調べ物の続きをしようかな。そんな考えが頭を過る。


「うぅー……でも、お兄様の事だからじいやにでも命じてそう」


 じいやとは、マクレガー家の家令だ。イーディスの祖父の時代からマクレガー家を支え続けているベテランだ。このじいやも父と兄に負けず劣らず過保護であった。


 彼らがここまで過保護になったのには、ちゃんとした理由があった。 


 イーディスが前世の記憶を思い出してから、すぐの事だ。あの頃は、この世界のことを知ろうと朝から晩まで勉強をしていた。


 一つを調べれば気になる事が二つ出てくる。そんな風に枝分かれしていく疑問を片っ端から調べ上げていったのだ。そんな事をしていたせいか、書庫で徹夜をしてしまった。


 「お嬢様がいないーー!」なんて屋敷中が大騒ぎになったらしい。当の本人は静かな書庫に居たので全く気付かなかったのだが。


 そんな事を数回──いや、しょっちゅうしていたせいか三人は超が付くほど過保護になってしまった。ちなみに母は「勉強熱心ねぇ」なんて言って笑っていた。基本、母は比較的自由にさせてくれるのだ。


──まぁ、確かに10歳児が小難しい本を読み漁って嬉々として徹夜するなんて異常だよね。


 あの時のイーディスには自重という言葉はなかった。好奇心の赴くままに行動していたのだ。


「仕方ない。昼間調べた内容をもう一度精査しよう」


 書庫への未練を断ち切ったイーディスは、自室の机に座り書類を広げ始めた。


 堤防工事──氾濫被害を抑えるために行われる。前王の治世から議論されていて、この度ようやく承認が下りたのだ。


 資材の物価は、ここ数年大きな変動はない。近隣国も含めて、異常気象で需要が上がった形跡もない。これなら資材費用は一般的なものだろう。


 次に、近隣の町から労働者を雇うという案。重労働のはずなのに賃金が安い。これでは労働者は集まらない。


「工期が長いから勤務日数に応じて賃金が上がるようにしたいのかしら?それにしては『雑費』が多いのよねぇ」


 不正にしてはお粗末過ぎる。不正をするなら資材も人件費も高く出してくるはずだ。


 財務官になって、様々な不正を目にしてきた。この世界では当たり前のように不正が横行していたのだ。前世と違い、監査基準も緩いからかもしれない。


「う~ん……不正というよりは慣れてない人が作成したみたい」


 前世でもこういう申請書を見かけた事があった。それはまだ知識不足の新人が作成したものだった。忙しい先輩に聞けず、自分で一生懸命調べて作成していた。


「うん。明日、担当部署に行ってみよう。税金を使うならきちんと精査しないとね」


 そう言いながら気になる箇所を紙に書き出していく。しばらくその作業に没頭していると、扉をノックする音が聞こえてきた。


「お嬢様、お飲み物をお持ち致しました。開けてもよろしゅうございますか?」


──じいやっ!?


 慣れ親しんだ穏やかな声にイーディスはギクリとした。


 机の上は、いつの間にか紙が散らばっている。イーディスは、慌てて散らばったものを整理した。それを終わらせると、ソファへ座り何事もなかったように返事を返す。


「開いてるわ。どうぞ」


 入ってきたのは背筋をしゃんと伸ばし、黒の執事服を着こなす好々爺であった。彼こそマクレガー家の家令、通称じいやである。


「お嬢様、お休み前の紅茶をお持ち致しました。お休みになった方がよろしいかと」


 じいやの言葉にイーディスは、勢いよく置き時計を見た。


──うそ……もう日付が変わる寸前……。


 どうやら、夢中になり過ぎて時間が経っていたらしい。


「旦那様がお戻りの際、お嬢様の部屋の灯りが付いていると仰いまして。無茶をされているのではとじいは心配した次第です」


──うわぁ、じいやの圧がすごい……。


 温和そうな笑みなのに言葉の端々に含みを感じる。


 イーディスは、令嬢スマイルを貼り付けると笑顔で誤魔化そうとした。一応机の上は片付けてあるので証拠は隠滅済みだ。


 しかし、ベテラン家令のじいやには誤魔化しなど通用しなかった。追い打ちとなる言葉をかけられる。


「ああ、坊ちゃまから言伝がございます。

『部屋でまた仕事に夢中になっていないだろうね? 日付が変わる前にちゃんと寝ないとギルバート様に有給申請を頼むからね』との事です」


──ひいぃぃぃ! お兄様、千里眼でも持ってるの!? じいやの笑顔も怖いっ!


 日付が変わるまで、あと30分。ゆっくり紅茶を飲んでいる暇はなさそうだ。


 イーディスは、じいやが出してくれた紅茶を一気に飲み干した。令嬢らしからぬ作法だが、やむを得ない。


 ほどよくぬるい紅茶は飲みやすく、一気飲みに適している。これもじいやの心遣いだろう。そんな心遣いなら、あと30分早く来て欲しい。


「美味しかったわ。ちゃんとこのまま寝るからお兄様に言われたら証言してね」

「もちろんでございます。23:34にご就寝とお伝え致します」

「……じいや、細かい」


 じいやを見ればニコニコと笑いながら灯りを消す準備をしている。このまま寝ろという、じいやの無言の圧だ。イーディスは大人しくベッドに入るしかなかった。



◆◆◆◆◆



 翌朝。


 イーディスは、いつもより早めに家を出ていた。堤防工事の予算案が気になるのであって、決してアレンのお小言を恐れているからではない。


 マクレガー家は、侯爵位を授かっていて屋敷も比較的王城に近いところにある。朝の爽やかな空気を吸いながら歩いて行きたい所だが、侯爵令嬢という立場から移動は馬車を使わざるを得なかった。


 王城へ着くと簡単な身体検査をされ、身分証を見せてからの入城となる。王城で働く人であっても必要なことだ。そこそこ有名人のイーディスは、なぜかほぼ顔パスだ。


 馴染みの門番へ挨拶をし、まだ人通りのない静かな回廊を歩く。図書室でいくつか資料を借りてから、仕事場である財務課の執務室に向かった。


「おはようございまーす」

「おや、イーディスちゃん。おはよ~」


 イーディスを迎えたのは、上司のギルバートであった。誰もいないと思っていたので、少し面食らってしまう。


「ギル様……早いですね。奥様とケンカしました?」

「何気に酷くない? ウチは年中ラブラブだよ」


 あはは、と笑うギルバートの机は真面目に仕事をしていた形跡があった。


「いつもそのくらい真面目ならいいのに……」

「辛辣だなぁ。イーディスちゃんが働き過ぎなんだよ。まーたアレン君から有給申請されるよ?」

「うっ……」


 タイムリーな会話にイーディスは言葉を詰まらせた。アレンの過保護ぶりはギルバートも知るところなのだ。


「お兄様は過保護過ぎなんです! いい加減に妹離れしてもらわないと困ります」

「まぁ、アレン君の気持ちも分かるけどねー。マクレガー家の至宝を狙う輩は多いから」

「何ですかそれ?」


 意味ありげに笑うギルバートにイーディスは眉根を寄せた。我が家に宝などあっただろうか。


 イーディスは、類を見ない発想と豊富な知識から『マクレガー家の至宝』とも呼ばれている。知らないのは本人ばかりだ。


「まぁ、いいです。それよりも午前は整備課に行ってきますね」


 あっさり仕事の話に切り替えたイーディスに、ギルバートは苦笑した。


「堤防工事の予算案の件? まーたイーディスちゃんが何か見つけたのか~」

「ちょっと! 人の事を変な風に言わないで下さいよ!」

「つい先日も人件費を水増ししようとしてたの見つけてたよね~。さすが国庫番の鬼」

「あんなのあからさまに怪しかったじゃないですか。その呼び方やめて下さい!」


 他の財務官が続々と出社し始めても、二人の言い合い(ギルバートはからかってるだけ)が途切れることはない。誰一人とて止めることなく「いつものことか~」とスルーされるのであった。 

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