file.08 冷たいゆりかご
石崎と神那は無事にゲートの鍵を開いた。真っ白な扉の向こうには、壁も天井も全てが純白の世界が広がっていた。直前まで薄暗い廊下を歩いていた石崎の目にはその白さが目に刺さり、思わず眉を顰めた。
見渡せば、部屋の中央には円柱状の機械が鎮座しており、コンソールパネルも備えられている。柱は真ん中がガラス張りになっていて、そのガラスの中では青いホログラムが浮いている。見た目としては、海のような深い青色をした細かい粒子が集まり、球体のようにまとまっている。その球は常に広がったり、小さくなったり、波打ったりと形状を変えていた。これがライブラリなのだと石崎は瞬時に理解ができた。
ライブラリの横からは太いケーブルが伸びており、明らかに後付けのような白く大きい・・・卵か、見方によっては蛹のような物体と接続されている。仮にここでは蛹と呼ぼう。その蛹のそばにはこの白い部屋に不釣り合いな木製の椅子が置かれている。おそらく
「僕は393番から動きを制御されていたからここに来た事はないんだ」
「・・・そうか」
「けれど、393番はよくここに来ては彼女に話しかけていたらしい。ライブラリを通して記憶だけ見ていたよ」
石崎は何も返せなかった。神那の気持ちは393のものであり、393の想いも神那のものであったのだろう。共通するのは、大切な人を奪われる焦燥感だ。
石崎は静かに蛹へと歩み寄る。上部は透明な膜に覆われており、中に眠る女性の顔を伺えた。彼女は長い髪を丁寧に結われ、黄色い花をいくつか挿されている。また、死装束のような真っ白いワンピースを着せられていた。首にはチョーカーが付いていて、中央で青い光がゆったりと点滅している。それは穏やかな呼吸のようにも見えた。
「さ、とっととお姫様を起こしてハッピーエンドを迎えようぜ、神那」
「はいっ!ゆりかごの解除コードを・・・」
神那はキーパッドに番号を入力する。しかしピーッと音が鳴り、エラー表示が出る。別の番号も試す。しかしエラーだ。
「だめだ、拒否されている」
「なんだ、何か使っていない番号はないのか」
「駄目です。僕に関する番号も、彼女に関する番号も全て跳ね除けられました。意味のない文字列だとしたら、どれだけ時間がかかるか。。。計算上不可能です。それに、恐らくは・・・393番がライブラリに細工をしています。僕を通さないように」
「じゃあそこのケーブルをぶっこ抜くしか」
「絶対にやめてください!今の彼女はライブラリに接続されていることで生命を維持しています。もし接続を切ってゆりかごがすぐに開かなかったら?少なくとも脳に障害が残ります」
「じゃあ、どうしろってんだよ?俺は物理以外は専門外だぜ?」
「・・・僕がブレインに侵入して、中からセキュリティの解除を試みます」
「そんなことできるのかよ」
「正直、一か八かです。これが罠なら、僕もこの身体に帰ってこれなくなる」
「わかった、お前に何かあれば俺がなんとかする。しっかりやってこい」
「ええ、頼みましたよ、航さん。」
「!・・・ああ、互いにな。神那。」
神那はライブラリのポートにあった接続ケーブルを手に取り、蛹のそばにある椅子に座った。コネクタを腕にあるポートに挿して目を閉じる。
神那が侵入すると、中央に浮かぶホログラムは紫色変化した。石崎は神那が同期状態になったのを確認し、コンソールパネルの前に立った。すぐにターミナルを見つけて権利者モードにログインをする。
<セキュリティファイルに到着した>
「こっちでも確認ができている」
<ログインができない>
「パスワードに使用されている可能性のあるキーワードをランダムに送る
」
<わかった>
時間にしてほんの数秒だったか。神那からログインができた旨を報告された。しかしそのメッセージの到着と同時に中央のライブラリのホログラムがが激しく波打ちはじめた。赤と青が別れ、衝突する。
<どうやら僕を拒絶するらしい>
「あんまりやりたかねえが、バグを走らせるか?」
<トロイくらいなら僕でも避けられる>
「決まりだな。相手はただの情報庫。トロイ作戦決行だ」
航はディープウェブを開いて有名なトロイの木馬を引用してきた。
「ただ、お前らの情報源に病原菌を送ることになるから、ゆりかごを開けたらすぐに接続を切れよ」
<承知しました>
「よし、トロイの木馬用意、、、発車!」
<プログラムに侵入できました>
<ゆりかごを開きます。カウントダウン>
3、石崎は咄嗟に駆け出した。
2、ケーブルにつまずいて体勢を崩す。
1、でも諦めなかった。石崎は雄叫びをあげて腕を伸ばす。
ピーーーーー、とゆりかごの鍵が開く音が鳴り響いた。
石崎はゆりかごに飛びかかり、レバーを握る。ゆりかごの扉は開かれ、中から冷たい冷気が漏れ出た。その寒さに石崎は身震いをする。背後では椅子に座った神那が動く気配がした。
「なんとかバグに触れることなく戻ることができました。穂さんは?」
「ああ、こっちも大成功だぜ」
「・・・航さん、最後にお願いがあります。彼女を本土の病院へ送り届けてください。」
「何言ってやがる。それはお前の仕事だろう」
神那の方を強く掴み、石崎は叱った。神那は肩を落として俯いている。
「僕は、失敗作ですから。彼女の恋人である叶恵さんにはなれなかった。彼女を個人的に愛してしまった。好きになった動機も、持っている思い出も叶恵さんとは違う」
「何言ってんだ!それでもあの子はお前と一緒に居たんだろう!?300体もアンドロイドを作る中でお前を手放さなかった、それには何か理由があるはずだ」
「お願いです、こんな事件が起きてしまった以上、プロジェクトMの遺産である僕も、393番も破壊した方が彼女のためだ」
「お前ら三神シリーズが自己中なのはいいとして、責任を負わないってのは見過ごせねえ。好いた女を泣かせるな!」
「っ・・・!」
石崎が後ろを親指で指し示すと、神那は自然と目線をそちらにやり、ハッとした顔をして駆け出した。
ゆりかごの中の彼女が上体を起こし、頭痛がするのか頭を抑えている。
神那はわき目も降らずに彼女へと駆け寄った。石崎はそら見たことかと言わんばかりのしたり顔で彼らを見ている。
「無事に目覚めたんですね、穂さん!」
「ああ・・・カナ、貴方が助けてくれたのね」
「記憶を見たんでしょう。幻滅しないんですか?」
「えぇ、幻滅なんてしないわ。貴方もたくさん苦労をしたようね。ライブラリは全てを知っていたの」
「じゃあ、僕のこと」
「そうね、一緒にいて気付いてあげられなかった。けれど、貴方も十分鈍感だと思うの」
「へっ?」
「さあ、私の可愛いカナ。貴方、まだ動けるでしょ?私ったら歩き方を思い出せないから、抱えて連れて行って頂戴。それから、うんと甘いカフェオレを淹れてね」
「ええ・・・戻りましょう、僕らの研究室に」
神那は宝物を拾い上げるように、そっとゆりかごから彼女を抱き抱える。その時にようやく石崎と彼女は顔を合わせた。
「さあ、そちらの紳士。貴方が石崎さんね。こんな格好でごめんなさい。私はジュラシック医療工学研究センター、所長代理の橘花と申します。貴方にお会いしてみたかったのよ」
「元研究室、室長の石崎だ。・・・オジサンなんかで良ければ、講義でもディスカッションでも、なんなら恋のお悩み相談だって聞いてやるよ」
臙脂色のジャケットを彼女に羽織らせて、神那は彼女を胸に抱いたまま歩き始めた。その側を中年の男が歩く。白い部屋に残されたライブラリは嵐の後の大海の如く穏やかに凪いでいた。
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