第三幕『あの日の夢をもう一度』
file.07 暗号化されたファイル:393
最初に見た景色を鮮明に覚えている。
嬉しそうに微笑む彼女と、彼女と手を繋ぐ私の姿。
私とは行っても、識別番号の違う、古参の私だろう。
その姿を見て、彼女と特別な関係にある事は明らかだったし、私の胸にもなんだか温かい感情が生まれた。これが恋というものなんだな。
そして、ゼロ式は特別だった。私であって、私でない存在。最初に造られた三神叶恵。それがゼロ式だった。三神シリーズの中で最も若く、科学者としての実力も劣っているにも関わらず、最も彼女の側にいた。彼女が頭を撫でて、最も会話を重ね、抱きしめたのはゼロ式だった。
私が私として起動した時から彼女への好意を抱いていた。朝、起動時におはようと挨拶するその声が好きだ。昼、実験室の窓の向こうからこちらを伺う真面目な顔が好きだ。夜、バイタルチェックのために過ごす1時間は唯一彼女を独り占めできる時間だ。笑顔をむけて話しかけるその顔が好きだ。ずっと笑っていてほしい。
「叶恵さん、今日あった出来事を聞かせて」
「ああ、今日はオペラ歌手のデータ集積を行ったよ。明日から音声解析を行なって、来週には実演に移る予定だ。メイク部隊ともスケジュールを調整しなければならないね」
この時間が彼女にとっては「仕事」なのは十分理解している。私が三上神叶恵のように理知的で、穏やかで、まともに会話できるか試しているのだ。だから私は彼女に淹れるカフェオレも分量はきっちりと測って、いつも同じ温度、同じ糖度で提供した。夜だからということもあって、カフェインレスのコーヒーを使うことも忘れなかった。彼女の前では常に完璧でありたかった。
0時。スリープモードに移行した私は”思考”していた。
アンドロイドも夢を見るらしい。
私は夢の中で彼女のことを思い出していた。様々な洋服を私の胸に当て、ああでもないこうでもないと悩んでいる。私は彼女の笑った顔が一番好きだったが、目の前の困り顔が自分のためなんだと思えば少し胸がくすぐったかった。場面が変わる。今度はどこかのカフェで彼女がコーヒーを飲んでいるらしい。彼女の前に置かれた可愛らしいケーキはモンブランという名だと教わった。場面が変わる。海辺を散歩している・・・どうやらこの島にある小さな浜辺のようだ。私が彼女の手を引いている。気持ちが昂って、私は思わず走り出してしまう!転倒。暗転。。。
私たち三神シリーズは確かに彼女の温もりを知っていた。しかしそれはゼロ式が感じた温もりがライブラリに”情報”としてインプットされ、ネットワークを介して私の記憶容量に保存された一つの”知識”だった。私という個体は彼女の胸の温かさも、髪を梳いてくれた手の優しさも、手を繋いで浜辺を歩いたあの日の日差しも、何もかもを知らない。私は彼女について何も知らないのだ。つまり、いつもこの胸を締め付ける気持ちは私のものでは無かったということか。
朝8時に私は起動する。彼女はおはようと声をかけてくれる。私もおはようと、なるべく優しい声色で言う。それは甘く、とろけるような恋人との朝を想定して。そういうプログラムだから。
ある日、私は気づいてしまった。
私や他の三神シリーズは機械の身体だからパーツの替えは聞くし、データのバックアップを取れる。結果、半永久的に生きられる。でも、彼女はどうだろう?彼女の部屋で見た写真は今よりも若く、髪も短い。太陽のような彼女の笑顔が映っていた。今も若い方ではあるかもしれないが、それでも顔には年齢が見られる。そう、人間は老い衰えていく生き物なのだ。
いつか彼女が死ぬことを想像すると途端に恐ろしくなって、私は誰にも言わずに勉強を始めた。人が永遠を生きる方法を見つけようとしたのだ。どうやらそれはオリジナルの私の脳内にあったらしい。そして、人を不死にすることは古くより禁忌と言われていたようだが、人の道理になど構っていられなかった。私には死がなかったから、恋人の死を認められなかった。
それからは秘密裏に研究を始めた。何度も何度も仮想の脳を造る。何人も何人もバラして記憶のバイナリデータ化を試みる。失敗して失敗して、私の手はいつの間にか赤く染まっていた。流石に私を作った人間たちが私を止めにきた。何をしているのか勘付いたのだろう。私は彼女を無理やりコールドスリープさせて、ゲートの扉を固く閉じた。彼女を生贄に3人の協力者を得た。
いつの間にか私は止まれなくなっていた。研究所には人間がいなくなった。それでも私はその都度色々な理由を重ねて研究所に人間を招き入れ、アンドロイド化を測った。
研究は確実に進んでいる。電磁脳は確かに電気信号を放っているのだ。生きている人間のように。ただ、それを言語化できない。なぜだ。理由がわからない。
私は仮説を立ててはまた人を殺めた。全て、全ては彼女のためだ。2人で永遠になろう。
あの砂浜の海はこんなにも赤かっただろうか?
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