file.06 ゲート

「ご用件をどうぞ」

 水槽の中にいる美女アテナ・システムは手を止めずに言った。


「ゆりかごのお姫様を助けるためにも、ゲートの鍵を渡しちゃくれねえか?」


 石崎が言うも、アテナは「ゲートの所有権は橘花様から三神叶恵393番様に移行手続き済みです」と繰り返した。


「ねえ、アテナ。僕の美しい姉弟。君は本当に今の393番が正しいと思っているの?日々の失敗のデータ列。亡くなった馴染み深い職員たちの名前。393番がやっている事はおかしいと僕は思う。確かにここにいるみんなは歳をとって、老いて、死んでいく。けれど、だからこそ僕たちは彼らとの思い出をバックアップして何度も見返そうと思える。君にだって感情は生まれたはずだ。・・・僕と同じように」


 ゼロ式は水槽に手を当て、アテナ・システムを見上げた。


「僕は彼女を愛している。オリジナルの三神叶恵とは違う感情だ。彼もまた彼女を愛していたけれど、それは彼女が優秀だからだった。でも、僕は仕事に熱心な彼女も、休日の奔放な姿も、全てが愛おしいと思えた。彼女だけ輝いて見える。機械の心でも、彼女を愛しているんだ。だからアテナ、からの願いだ。

 ___ゲートを開放してくれ」


「私は所長の権限によって制御されているただのコンピュータです。・・・ゲートの所有権はお渡しできませんが、行くならご勝手にどうぞ。」


 アテナはそう言うと口を閉ざした。水槽の下部、カードや端末の差し込み口のあたりからICカードが一枚放出された。


「ありがとう」


 ゼロ式はアテナに深く頭を下げた。石崎たちはここに来てからアテナと目が合うことはなかった。



「じゃあ、俺はここまでかな」

 サーバールームを出ると鵜久森は言った。

「おい、最後まで付き合わねえのかよ」


「石崎さんには悪いけど、あそこ《ゲート》には行きたくねんだ。寒いし無機質だし、俺のアートとはかけ離れすぎている。インスピレーションが消えちまう。」


 海江田よりは話しやすいけど、変なやつ。本田の言った言葉を思い出して石崎は納得した。


「では、ゲートのある方へ向かいましょう。この階から渡り廊下で別の建物につながっています」


「それはいけませんよ」


「「「!!」」」


 三神所長393番がサーバールームの前に現れ、石崎たちのいく手を阻んだ。

 コツ、コツと革靴を鳴らしながら三神はゆっくりと石崎たちを通り過ぎ、サーバールームに入る。石崎たちもそれに続いた。


「アテナ。所長権限だ。ゲートの鍵を無効化しなさい。」


「三神所長。こんにちは。ゲートの鍵とは?」


「ごまかさないでおくれ。彼らに渡しただろう。無効化するんだ」


「嫌です、知りません」


「良い加減にしろ!ただのデータ庫の分際で!私の実験はあと少しで成功する!彼女を永遠のものにするんだ!」


 三神所長は激昂した。石崎はこいつを止める方法を探していたが、どうやら起動スイッチも見えない場所にあるらしい。

 考えていると横からヌッと大きい影が通り過ぎた。それは海江田だった。

 海江田は黙って所長の背後に近づくと脳天に空手チョップをお見舞いした。

 ガィンと人間からは出ないような音が出て、三神所長は海江田を振り返るも、すぐに腹に一発入れられ、ダウンした。そして片手に下げていた工具箱を引っ張り出し、三神所長の上着を脱がせている。


 石崎は海江田がこれから何をするのかが手に取るようにわかった。

「海江田くん、片方寄越してくれ」

 そう言えば海江田は「うん」とUSBのオスを石崎に手渡した。

 石崎はそれをアテナの端末差し込み口に入れながらニヤリと笑い、

「ワガママが過ぎる末弟にはお仕置きが必要だよなぁ?」と言った。


「オッケーすよ」と向こうから海江田が言っている。

 アテナは待ってましたとばかりに「データの転送を開始します。言っておきますけど、長女を舐めないでください」と煽り文句を付け足して持てる限りのデータを三神393番に送りつけた。


 容量の小さい器に大量の水を入れれば、もちろん溢れてしまう。データの保管庫として働いてきたアテナは謂わば海だった。三神393番はただの人間の器。流れ続ける情報にヒートを起こしてシャットダウンしてしまった。


 これでひとまず三神393番の動きは止められた。

 鵜久森は「三神を連れて行って顔を修正したい」と言ってそのまま彼の体を引き摺ってアトリエへと向かった。つくづく自由な職人だ。


 海江田は本田に今回の件を伝えると言ってサーバー室を出た。

 残るは石崎とゼロ式の2人。ゲートへと向かう通路を歩き始めた。


「でもよ、本当にいいんかよお前は」


 石崎はさっきの三神393番を思い返していた。彼の言う通り、万が一にも橘花穂をアンドロイドにすることができれば、少なくとも蘇らせられた三神叶恵の亡霊は浮かばれることだろう。ゼロ式だって、彼女への想いはあるはずだ。


「いいんです。僕は生きて、歳をとって、シワができて、それで死んでいく彼女を見届けたい。三神叶恵にはできなかったことを僕が僕としてやりたい。」


「じゃあ、アンタは三上叶恵じゃなくて、『カナ』なんだな。俺が名前を考えてやる。うぅん、神の那由多と書いて神那ってのはちょっとダサいか?」


「いえ、気に入りました。僕は神那。神那として彼女のそばにいたいです。」


「おう、そうしてやれ。そら、あれがゲートだろ?早く眠り姫を起こしてやんねーとな」


「はい!」と神那は嬉しそうに目を細めていた。


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