file.05 アテナ・システム

 多目的トイレの物入れのそのまた奥深く、薄暗く狭い部屋で石崎は青年_ゼロ式と対面していた。

「僕は23歳の時の三上叶恵です。」

 若い男は優しく微笑んだ後、苦しそうな面持ちで話し始めた。


「三神現所長は393番目に作られた最新型のアンドロイドで、晩年の三神所長の性格や思考を強く反映しています。自分が自分の研究_つまり、故人をコピーする実験の成功例であることを喜ぶと同時に、恋人の運命を憂うようになったのです。


『私は永遠を手に入れたが、彼女は歳をとり続ける。現に、5年前に私が死に、この研究を続けるうちに年の差も無くなってしまった。私は彼女を喪うことが恐ろしい。今こそ、彼女を・・・穂を永遠にしなければならない』


 そのように、恐ろしいことを言いはじめた彼はここの職員たちを使い、アンドロイド化実験を始めました。元はと言えば僕の頭にはずっとあった構想です。


 そもそも、人間のDNAというのは膨大なデータの集結であり、その情報列にバイナリデータを格納する実験をすでに成功しています。つまり、理論上その逆の工程も可能だと考えたのです。DNA構造を機械言語であるバイナリデータに書き換えて、その人をその人のままで機械の脳に移植できれば。脳に病気を抱えている人を救えると思ったんです。」


 ゼロ式は膝の上で硬く手を握った。自分の夢が、未来の自分の手によって私欲に使われることを悔しく思っていることだろう。

 石崎はひとつ、疑問を覚えた。


「穂さんって女性を助けてほしいと本田さんにも頼まれたが、今彼女はどこに?」


「・・・ゆりかごの中。」


 後ろで話を聞いていた海江田は一言言い放った。補足するように本田が語る。


「ミノは今ある部屋でコールドスリープされてんの。ウチらはその装置をゆりかごって呼んでる。393番が彼女を眠らせ、時を止めてる。まるで冷たいゆりかごよ。」


 本田がそこまで言ったところで、部屋に痩身の男が降りてきた。背はそう高くはなく、髪は長い。パッと見では女性と見違えそうだ。彼が鵜久森静樹で間違いないだろう。


「カイ、交代の時間だ」


「おう」


 2人はハイタッチをし、海江田は熊のようにのそのそと扉の向こうへ消えた。


「ウチもあんまり長居すると所長に何言われるか分かんないし、そろそろ出るねー。石崎さん、あとはゼロ式とシズから話聞いて、どうするか決めて。」


 本田さんは手鏡を見てメイクを直すとタタッと足軽に部屋を後にした。


「どうも、俺が鵜久森です。みんなにシズって呼ばれてます。特殊メイク担当です」


「俺は石崎航だ。10年前にここで海江田くんと同じような仕事をしてた。工学オタクってやつだな。よろしく」


 2人は軽く握手を交わし、これまでの聞いた話を鵜久森に説明した。鵜久森曰く「俺はクライアントに頼まれた作品を最上に作るだけだから、橘花女史だって命令されたら完璧に作るまでだよ。不謹慎かもだけど。」とのことだった。


 彼は根っからの職人で、そこに倫理観は持ち込んでいないことがわかり、石崎は深くは言及しなかったが「俺はその未来は阻止したいね」とだけ言い、コーヒーを啜った。


 しばしの沈黙の後、ゼロ式は言葉を発した。


「彼女、穂さんの眠るゆりかごが置かれている部屋はゲートと呼ばれています。プロジェクトM創立当初から、彼女しか入ることができなかったためです。そして今そのゲートの管理権限は393番が握っていて、僕たちは足を踏み入れることができません。

 しかし、鍵を開く方法は一つだけあります。それが<アテナ・システム>です。」


「アテナって言うと、知恵の女神アーテナか?」


「はい。彼女はこの研究所の全てを管理し、運用し、制御するセキュリティシステムです。また、彼女もまた人間のように対話をするチップが埋め込まれています。彼女を説得して、ゆりかごを開くことが僕らのミッションです」


「そういうことなら、やるっきゃねえだろ」


「今ならちょうど、本田さんと海江田さんで三神所長と仕事をしているはずなので、アテナシステムに会うことができると思います。こちらです、僕が案内いたします。」


 ゼロ式は立ち上がり、白いシャツの袖をまくると扉を開けた。

 石崎はそれに着いていくと、鵜久森も立ち上がった。


「お姫様奪還に興味はないんじゃないのか?」


 悪戯に石崎が問うと、鵜久森はニヤリと笑い

「アテナは俺が造形した。その美しさを前に、アンタがどんな反応するか見てみたいんだよ」と自慢げに答えた。


 現在いるのは本館の多目的トイレだが、アテナは2階にあるらしく3人で静かに階段を降りた。廊下の最奥にとても頑丈そうな扉があり、鵜久森がそれをIDカードで開けた。見た目に反し扉はウィンと軽く開いた。


 そこは石崎の居た10年前からサーバールームとして使われていたが、当時と違うのは夥しい数のサーバーが立て並べられていて、太いケーブルが部屋の奥へと伸びていることだった。入り口からはその奥の部分が光っているように見える。

 ゆっくりと、静かに歩み寄ったその光の正体は青白く輝く水槽だった。

 水槽の中にはそれは美しい女性が、白いワンピースを着て卵型の椅子に座っている。座りながら半透明のディスプレイを眺め、忙しなく手を動かしている。



 石崎は感嘆した。

「ははっ、すげえや・・・水槽の中に人間がいる・・・まるでSFだな、こりゃあ。」


 目を輝かせ、アテナの顔に見惚れる石崎を見て鵜久森は満足そうにしていた。

 その時、どこからか機械音声が聞こえた。石崎がこの島へ到着した時と同じ声だ。


「鵜久森様、三神叶恵様、そしてあなたが・・・石崎航様ですね。ようこそ。私はアテナ・システム。ご用件をお伺いいたします。」




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