file.02 隔離された研究所
10月に入り、空も秋めいてきた頃に彼はようやく心を決めた。
あの薄気味悪い幽霊の手紙の差出人に会いに行くのだ。
離島へ行くのはちょっとした長旅になるため、石崎は入念に荷物の用意をした。
重たいバックパックを車に投げ入れエンジンをかける。カーラジオは今日の天気や交通情報を伝えていた。懐かしの研究所、JIMEは離島にあるため、この調子だと向こうには明後日の朝に乗る船で到着するだろう。それまでは車中泊の心算だ。
しかし、数週間前に旅程が決まってから彼は何度も研究所に電話をかけたものの、その電話は誰にも繋がらなかった。そのことで恐ろしさに益々拍車はかかるものの、JIME公式ホームページのトピックは更新があったので、行けば誰かしらいるだろうと結論づけて彼は家を発った。
三神叶恵を名乗る”誰か”に感じた違和感をそのままに、車を走らせる。いくら気味が悪いとはいえ過去に世話になった研究室の、しかも所長からの誘いであって、完全に無視するわけにもいかなかった。それに、ワークショップとやらの報酬に目が眩んだのも事実だ。
彼は道中で差し入れの和菓子を見繕い、海辺の食堂で昼食を食べた。食堂のテレビでは行方不明者の情報提供を求めるニュースが流れていた。その後は自販機でコーヒーを買うとそのまま港に向け車を走らせた。初日の夜はパーキングエリアにあるスーパー銭湯で食事や風呂を済ませて、駐車場で眠る。翌朝は小雨が降っていて肌寒かった。気に入りのメーカーのコーヒーを飲みながら、カーラジオが流すメロディに乗せて鼻歌を歌う。何も変わったことはなく、無事に夕方ごろには海の駅に到着した。適当な弁当とコーヒーを買った石崎は、その日の夜も車中で過ごした。
雨のせいで薄ら寒い車内で、ブランケットに包まりながら昔のことを思い出す。若くして研究所に入った石崎は可愛げのないクソガキだった。自分が正しいと信じて疑わず、周りの人間に当たるようにして接した日々。そんな中で前所長が彼の父親代わりになって叱ってくれた。彼は歳だったのですでに亡くなっていて、その後に所長の座に着いたのが三神だった。
三神は石崎より若いにも関わらず、天才的だった。様々な発想力とそれを実現する実力。チームを動かすカリスマ性。周囲の古株は当初、若き天才を認めず三神の企画は全て嘲笑し、破り捨てた。しかし石崎は己が若い頃に所長に助けられたことを思い出し、いつも三神の背中を後押しした。彼が史上最年少の所長になったときは自分のことのように嬉しかったし、彼も石崎に対し丁寧にお礼を述べていた。もう10年以上前の話だ・・・。
朝日をまぶたに感じ、石崎は目を覚ました。明け方の港は特に冷える。時計は7時を指しており、もう始発の船は出てしまっただろう。慌ててトイレの手洗い場で顔を洗い、彼は船着場へと車を向けた。フェリーのチケットを買い、待機列に車をつける。石神島には研究所しかないので入島の手続きに手間はかかるし、船もすぐには用意ができない。また奇妙なことに、ここ数年はほとんど人が出入りしないらしく、物資を運搬する業者しか行き来をしないらしい。
「人の出入りがない・・・?妙だな、研究員はずっと缶詰ってことか?」
一人、運転席で眉を寄せた。自販機で買ったコーヒーはすっかり冷めていた。石崎は船が来るまで本を読みながら、うつらうつらと時間を潰した。
結局、石崎の乗る船がJIMEに着いたのは13時を過ぎた頃だった。研究施設しかない島というのもあり、降りてすぐはトラックやコンテナが並ぶだけの殺風景な広場だ。10年前と変わらない景色の中を迷わずに進んでいく。広場を抜けてフェンスの内側へ入っていけば、すぐに灰色の大きなゲートと管制室が見えた。ゲートの前に車を寄せれば見張りの人間はおらず、スピーカーから機械音声だけが流れる。
『いらっしゃいませ、ご用件をどうぞ』
「所長の招待で来た。10年前に勤めていた石崎だ』
『石崎様ですね、お待ちしておりました』
ゲートが開き、中へと誘われる。研究所内はいくつかに建物が別れており、道の脇に立てられた看板には進むべき道が表示される。これは、物資の運送屋が間違えて実験室に入ったり、客人がうっかりで重要機密に触れないようにするための施策だ。
石崎が向かったのはもちろん、所長室のある本館の方面だった。しかしいざ駐車場へ車を寄せると異様な空気を感じた。人の気配が一切無いのだ。駐車場に置かれた職員用の車やバイクも、うっすらと砂埃をかぶっている。この研究所は何かがおかしい。石崎は意を決して研究所の扉をくぐった。
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