体美派Ⅸ―テニス―Ⅳ
呆気なかった。あまりにも呆気なかった。
リベルのサーブは初心者とはいえ、決して遅いことも、正確性にかけてダブルフォルトとなることもない。だが、ポローにはハードヒットで返球され追いつけない。ディーナにはどうかといえば、延々と続くラリーでリベルがミスをしてしまう。彼女のフォームは円を描くようでブレがなく、足元からして正確に同じ動作を繰り返す。球威こそはないものの、一定間隔で必ず返ってくるラリーは初心者のリベルにとって自分がどれだけいい球を打ったと思っても打ち砕き、楽しさを奪っていく。このゲームで取れたのは二ポイントだけで、しかもどちらもポローの暴発によるものだ。
偶数回のゲームが終わり、コートは入れ替えず、相手のサーブとなる。次はディーナである。ストロークからして恐れる必要はないだろう。前から後ろへ体重移動、後ろに回した力を今度はそのまま上に流し、ボールへと伝達する。川のせせらぎかの如く自然だ。リベルがレシーブに成功する。ポローのおかげで速さに目は慣れたらしい。ネット上一メートルを保ってクロスに返すことができた。
が、黄色の残像が頬をかすめる。またフェンスを叩く音が響くのみで、アウトであることは分かる。恐る恐る頬を触れてみれば少し切れてしまっていた。
「ちょっと!危ないでしょ!戦略なのか知らないけど、マナーってもんが流石にあるでしょ!」
呆然と立つリベルの横からモネが抗議してくれる。
「いやぁ、すまなかったね!ついつい、力が入ってしまって。ダハハハハ!」
「はぁ。最悪」
二人をねめつけリベルに向き直り、その頬を覗く。急に金が目の前いっぱいになったからか、正気に戻ったようだ。顔を逆に背き、結果、傷口を見せる形となった。
「なんだよ。別に、大したことない」
「ちょーっと待って。ほら動かない。……うん、本当に少し切れただけだね。でも、あと少しズレてたら顔に当たってたんだよ?リベルだってあの球、殺人級だと思うでしょ。それは心配になるよ。一応、私救急セットは持ち歩いてるから手当しておこう」
手招きに応え、リベルはベンチへと向かう。モネはバッグを漁り、水を取り出してハンカチに染み込ませ頬に当てる。終わると消毒液を吹きかけ、軽く乾かしたのち絆創膏を貼る。傷口で敏感なため、ぴったりとくっつかせるために這わされた手に驚いて俯いてしまった。
「ん?やっぱりどこか打ったりした?」
「違う。そうじゃない。なんでもない。大丈夫。早く戻ろう」
早口だった。
「そか。なら良かった。あいつらには目にもの言わせてくれるわ」
ラケットを担ぎながら、何時しかの邪悪な笑みを浮かべる。レシーブ位置につき、ディーナに向け手の平を上に、腕をまっすぐ伸ばしてその指先を数度折る。
「なんなの。私は悪くないでしょ……。はぁ。最悪」
カウントもなしでトスを上げ、サーブを打った。モネのレシーブはポローのいる正面であった。しかし、ジャンプをして届くかギリギリの高さである。
「ちょっと!触らないで!」
あと少しで届きそうだったポローのラケットの先はかすかに揺れ、ボールはそのフレームを触るのみで前へ進むことはなかった。奥で走っていたディーナはラケットを持ったまま、両手で顔を塞ぐ。
「チップ。私たちのポイントだよ。いやぁ、本当にラッキーだね!リベル!」
「そうだな!」
二人して思いっきりはしゃいでみせる。リベルはこのことかと思ってひとしおである。手を取って小躍りしてみせる中、ついでに見てみる。ガットをいじるポローに対し、ディーナは肩を大きく上下させている。しばらくして顔が元に戻ったディーナがサーブを始めた。
結局、このゲームも落とした。しかし惜しくもである。一度、デュースまで持ち込んだがラリーでのリベルのエラーとポローの叩きが決まって取られてしまったのだ。そろそろ一ゲームは取らなくてはならない。背中に張り付くシャツを剥がしながらとぼとぼベンチへリベルが向かっていると、その背を押す手があった。繊細で華奢だが、確かな手だった。
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