体美派Ⅹ―テニス―Ⅴ
スライスサーブが四つだ。どれもが相手を置き去りにする。この試合で最も早くゲームが終わった。
モネはただ淡々と鋭く切りつけるかの如く、無慈悲といえるまでだった。
「さ、ゲームカウントをコールして?」
聞き耳を立てる動作とともにこれからサーバーとなるポローに言う。最初の余裕はどこへやら、今ではすっかり顔を歪ませ、大変によろしくはなさそうだ。そのため、鬼と形容してもいいが、適してはいない。おそらくはルーティーンであっただろう、サーブ前のボールをつく動作もおざなりになって取り損ねるし、地面をぐりぐりと踏みつける様からして御足が悪いらしい。ガットをがりがりといじり続ける。
「こんなのっぱらの試合だからさ、そんな厳しくする必要もないと思うけど、サーブって打つまでに時間制限があったよねー?あんまり長いとこっちのポイントにしちゃうよ?にしてもその体に似合わないね」
ポローがラケットを地面にたたきつけた。折れている。それを見せつけ、替えのラケットを取りに行った。戻って来てようやくコールをする。
「ゲームカウント、スリーワン。ポローリード!」
何やら後半を強調してきた。
「リベル、ラケットは体を守るように正面に構えておいて」
言われた通り、ラケットを構える。
ボールが当たった。
高く舞い上がったそれは、ロブとしてポローの下へと帰る。
「ハッッァ!」
回り込み、ボールの最高到達点に合わせたポローのフォアハンドは三千世界を飛んで行った。
リベルもモネも、あり得ないほど水色に溶け込もうとする黄色を追ってしまう。
何が起きたかわからず、首を傾げモネを見やれば、その口元はきれいな半円を描く。
「ナーイスレシーブ!よくやったね!リベル!」
手をぱちぱち叩きながら近づいてハイタッチをする。されるがままであったが、段々と状況が飲み込めてきたらしい。
「レシーブって……、モネから教えてもらってたやつと全然違うし、今のポイントはアイツのミスだろ」
「ええ?でもボールが返ってなかったらそのミスはなかったんだよ?リベルのポイントだよ!だからすごいんだよ!これで、ラブフィフティーン、だね!」
目は次第に向こう側、特にポローに注がれていた。
「あのガキ、俺のサーブに障りやがって。ふざけんなよ。俺の球は速く、強いんだ」
「なによあれ。あり得ない」
ぶつぶつと悪態をつく。行方不明となったボールの代わりを出そうと審判台下に行ったモネはしっかりと聞き取る。さらに気分がよくなったようだ。向こうにボールを投げつつ、足取り軽く戻ってきた。
次のサーブもモネはリベル同様になんとか返す。そして同様に空を相手取る大砲が鳴るだけであった。それが後続けて二回。実際のプレー時間だけで言えば最初のゲームに肉薄する。
チェンジコートの休憩だ。モネは足をパタつかせてもう少しで鼻歌を始めそうな勢いである。風に揺れるタンポポかのような光景のせいか、向こう側はゼロよりも下、地面にめり込むのではないかというほど重たい。
「ポロー、あなたふざけているの?」
「ふざけてなんかねぇよ」
初めの頃のさわやかさも晴れやかさもない。ただ湿った石の裏だ。
「いいえ。ふざけているわね。あんな球、普通だったらするはずがないわ。美しくない」
「それを言うなら、君の方が美しくないだろ。速くも強くもない、あちらのモネさんだったか、モネさんのようにテクニックが光るわけでもない。ただただ、同じ球速、球威、コース。ちまちまちまちま、何の変化もありゃしないじゃないか!」
「なんですって。安定こそ、美しさに決まっているでしょ!日々のトレーニングはこの美しいプロポーションを維持するため、過度にも不足にもならないよう、同じようにこなしていく!だというのに、あなた、毎度毎度そんな筋肉を肥大させて、しかもテニスではどんどん強さ、速さばかり!さっきあの子にぶつけそうになった時も悪びれもせず、私まで美しくないかのようにして!はぁ、最悪だわ!」
恐ろしい剣幕になって話す二人をリベルは恐る恐る、ばれないよう最大の注意を払いながら盗み見る。休憩だというのに、二人とも立ち上がってポローは拳を握り締め、腕を大きく振り、ディーナは腕を組み顔を背けている。ついで隣のモネを見れば、笑顔で頷いていた。今日が晴れていてよかった。吸い込まれるような蒼穹だ。リベルは空を見ることにした。
「これまで俺たち、いや君が取ったポイントは相手のエラーだけだった!何が安定だ!ただの受け身なだけじゃないか!強さの欠片もない!強さこそ美だというのに!」
「強さが美ですって?どれだけ打っても同じように返ってくる。その心的ストレスをかけることで相手にミスをさせる。立派な戦略よ!安定というのは体だけじゃない、いつどんな時にだって周りの環境に左右されず、変わらずにあることができる!安定こそが美なのよ!」
「戦略!?体だけじゃない!?そんな頭を使うなんて体美派なのか!君は!それに安定なんかより強ければどこにだって立っていられるだろ!」
「体美派だからって全く頭を使わないわけではないでしょ!そんなようならその筋肉だって周りに言われるがまま、あなたの言った受け身ってやつなんじゃないの!大体、強さなんてものはね維持自体が大変なのよ。なぜかわかる?アンバランスだからよ!強いにしてもそれは結局一部に突出しているだけ!現にあなたはこうして目の前のことが見えなくなっているじゃない!」
ディーナも負けじと腕を大きく振って、ベンチに立てかけてある折れたポローのラケットを指す。
「そこまで言うならもういい!こっちだって君となんかテニスするのは願い下げだ!」
「ええ、ええ!私の気持ちを察する程度であったことは感謝するわ!それじゃさようなら!」
そそくさとラケット、タオル類をしまい、ディーナがコートから出ていく。ポローはそのままどっかりとベンチに座り込み、またラケットを投げた。危ないなぁ、とただ思うリベルである。
途端、肩を叩かれた。笑顔のモネだ。
「よし、リベル。荷物をまとめて。ディーナを追いかけるよ。あっちの方がたぶんいい」
言われたまま、荷物を素早くまとめて一緒に追う。
見つけた。コートを出てすぐの水道で顔を洗っていた。
「ねぇ、ディーナ。さっきはどうもありがとね」
「なにそれ。皮肉かしら」
「ここまで来て皮肉とだけ受け取れるならそれはそれで大したものだけど、さっきさ、うちの子に当たりそうなときに悪びれもせずって言ってたよね。まさか、そんな風に思う人間がさ、本来美への追及のために使うべき時間と、体力と、やる気をさ、奪ったことについて何も思わないわけないよね」
「迷惑料でも払えってことかしら?あなたの大好きなおカネで?でもごあいにく、私はこの体が資本。持ってなんかないわ」
「安定……ね。いいよ。まけてあげる。質問に答えてくれるだけでいい。体美派がほぼ全員、もしくは全体の意思決定みたいなことを行う集会はあるの?」
ディーナは小鼻をヒクつかせた後、鋭い目つきとなり、モネの真意を探ろうとしているようだ。しかし、その根付きの笑顔は表面しか読み取らせない。
「はぁ……あるわ」
「そう。それはいつ?もう終わったとかなら次は?」
「次は三か月後よ。時期になればそこら中に張り出される」
「その会で喋ったりするには資格は必要なの?」
「ポスターを確認した方が確実でしょうけど、喋りたいなら、設置される窓口に行ってそのことを伝えればよかったはずよ」
「うん!ありがとう!また会えるといいね!それじゃ!」
モネは笑顔のままだ。小さく手を振りつつ、半身になって別れの言葉を言う。
「できれば会いたくないわね」
リベルはディーナのつぶやきを聞きつつ、モネの背に追いついた。思いついたことを確認する。
「これはあれか。試合に負けて勝負に勝つ……いや、肉を切らせて骨を断つ、か?」
「おおー。よく覚えてるね。えらいえらい。うーん、後半はあってなくもないけど、前のは違うかな」
「なんでだ」
「この試合はね、そもそも負けてないから。引き分けにもなってない。試合は取消しになったんだよ。試合をしたという事実はあっても、試合の結果はないの。だから、私たちの単勝ちよ!」
振り返って両手でブイサインをする。モネは笑顔だ。
「……そう、なの、か?」
首をかしげるリベルであった。
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