第三十話 ご褒美

救護ブースで足を冷やし、消毒をして休んでいる杏子の元にひとりのイケメンが顔を出す。


「君が夏月杏子さんだね?」


物腰の柔らかい口調にキザな雰囲気は杏子の嫌いなタイプの男性であるが、この男のオーラからただのキザな男とは思えなかった。


「あの、どちら様ですか?」


「すみません。八乙女と申します。」


杏子はその名前にピンときた。


「確か私が初等部の頃に生徒会長だった方でしたっけ?」


「察しが早くて助かるよ。」


杏子は元生徒会長が自分の事を知っている事に驚いたが、わざわざ話しかけてきたことが疑問で仕方なかった。


「なぜ私に声をかけたのですか?」


杏子は失礼のないように質問をする。


「実はお願いしたいことがあってね。単刀直入に言うと、生徒会に興味はないかな?」


突然のことに目を丸くする杏子。


「あまり興味はないです。」


「そうか。それは残念だね。もし気が変わるような事があれば連絡をもらえれば、君の後ろ盾になって生徒会に推薦するよ。」


八乙女は杏子に連絡先の書かれたメモ用紙を渡す。


「なぜ私なんですか?生徒会に入れるような人間ではないですよ!」


「"今の生徒会"のシステムでは確かに君は相応しくないかもしれないね。」


八乙女は優しい笑みを浮かべる。


「でも華ノ宮には君のような人間が必要になる。この体育祭を変える程のパワーを持った人間をね。」


「私は何もしてないです。ただきっかけになっただけで。」


「そのきっかけが大事なんだよ。きっかけを作り出せる人がね。」


「生徒達は華ノ宮というブランドに誇りを持っている。そのせいか、その伝統のため保守的になってしまう子が多いんだ。体裁を気にし、変革を好まない。様々な事に消極的になってしまう。でも今日の体育祭を見ていると皆生き生きしていて僕の知っている華ノ宮じゃないみたいだ。とてもいい意味でね。」


杏子は確かにと納得するところがある。


「生徒達はお家柄、社会に出た後多くが様々な業界や世界をリードしていく人材にならなければならない。生徒達には華ノ宮に通ったではなく華ノ宮で何を経験したかを大事にしてもらいたいんだよ。」


しかし杏子はやはり自分に生徒会なんてと思ってしまう。


「まあ気が向いたら連絡してください。それと、お大事にね。」


八乙女は手を振り救護ブースを離れる。

杏子は頭を深々と下げる。


「私に生徒会なんて無理だよー。」



杏子は救護ブースからクラスの元へと戻ると男子がリレーで快勝し、騒いでいた。

しかし杏子に気づくと、先程まで騒いでいた男子達は静まり、クラス中が心配の声で溢れる。

杏子はそんなクラスメイト達へ謝罪する。


「みんな心配させてごめんね。でもすっかり大丈夫だよ!」


そんな杏子に星宮が騎馬戦について話す。


「お前が怪我したから、とりあえず騎馬戦と棒倒しの順番が逆になった。それと、もし無理そうであれば騎馬戦は休んでくれ。」


「大袈裟だな!ちょっと擦りむいただけだって!」


今の所怪我をした者は杏子しかいなかったため皆大袈裟になってしまうのも仕方のないことであった。


「そんなことより男子すごいじゃん!休む間もなく棒倒しだけど頑張ってね!」


杏子の可愛らしい明るい笑顔は男子の疲れを吹き飛ばした。

しかし、男子達は次の競技の棒倒しに少し恐怖があった。

体育祭競技の中でも最も荒っぽい競技であり、華ノ宮の温室育ちの生徒たちには経験したことのないような物である。

そんな男子達のナーバスな雰囲気を杏子は察する事ができた。


かつてヤンキーだった頃、仲間の為に敵対するグループの溜まり場に、初めて殴り込みに行った時の雰囲気に似ていた。

口では強がって見せるが、体が震え、じっと立っていられずウロウロしてしまう。

今、目の前の男子達がそれであった。


杏子は何か良い方法はないかと考えるが、競技の時間が迫っている。

何か気の利いたことを言わなければと咄嗟に口を開いてしまう。


「だ、男子のみんな!聞いて!」


考えなしに喋り始めてしまうが、杏子はかつて妻にされて嬉しかったことを思い出す。


「も、もし棒倒しで2位以内に入れたら!て、手作りのお菓子を皆んなに作ってあげるから!だ、だから頑張ってね!」


ほんの僅かな沈黙の後に男子達が雄叫びをあげる。

とんでもない声量であった。


杏子はお菓子作りなどした事がないことを思い出す。


「やばい…どうしよう…お菓子なんて作った事ないよー。」


なんであんな事を言ってしまったんだと後悔する。

確かに手料理は男子が喜ぶ物であるが、それは料理が上手いことが前提である。

逆に下手であったら杏子の評価は氷点下になってしまう。


男子達は掛け声と共に勝鬨を上げる。


男子達がいなくなった2年3組のスペースは、彼らの圧倒的な熱気に当てられた女子で静まり返っていた。


杏子は肩を叩かれ、暗い顔で振り返る。

そこには八百坂が興奮した表情をしながら杏子を見ていた。


「さすがね!夏月杏子!お菓子なんかで殿方をいとも簡単にやる気にさせるなんて!」


褒められているにも関わらず杏子の表情が焦っている事に星宮が気づく。


「お前どうしたんだよ!」


「ほ、星宮…どうしよう…私、お菓子なんか作れないよー…。」


星宮に泣きつく杏子をみた八百坂も「えぇ…。」と言った表情である。


星宮は杏子を宥める。


「しょうがないな。一緒に作ろう。」


杏子は先ほどまでとは打って変わって明るい表情になる。


「ほんとに!やったー!一緒に作ろう!」


そんな切り替えの早い杏子を見て今度は星宮が「えぇ…。」といった困惑した表情になる。


八百坂はそんなふたりのやり取りを見て羨ましく思ったようであった。


「なら!わたくしもお手伝いさせてもらいますわ!」


星宮は即答する。


「いや、結構です。」


「わ、わたくしも入れなさい!お菓子作りとやらをやってみたいのよ!」


星宮はこの面倒くさそうなお嬢様が少し苦手なため、どうしても拒否したい。

しかし、拒否を続けているうちに八百坂は涙目になってしまう。


「お願いですわ!わたくしも一緒ににやらせてくださいまし!」


「わかったよ!じゃあ今度一緒に作ろう!」


八百坂は目を輝かせながら星宮に抱きつく。


「なんてお礼を言ったらよいか!本当に楽しみですわ!」


星宮はやれやれといった表情であるが、心のどこかでクラスに友人が増えたことを嬉しく思っていた。



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