第二十六話 弱く儚い者たち
借り物競争が終わり出場した生徒達は続々と退場ゲートを潜っていた。
昼食の時間になるので杏子は桜子を食事に誘う。
「今日うちと一緒に食べる?ご両親来てないでしょ?」
「お邪魔させてもらうわ。」
毎年のことなので、桜子も当然と言った感じだ。
「じゃあ行こうか!」
そう言いかけた杏子は何かに気づいて桜子に場所を伝えて先に行くように言った。
「すぐ私も行くから!」
杏子は退場ゲートをとぼとぼと歩く時子の方へと向かった。
「時子!残念だったね!お題は何だったの?」
時子は杏子の目を一切見ることはなく手に持つお題の書かれた紙をぐしゃりと握りつぶす。
「私には見つけられない物かな…。」
杏子は今まで目にしたことのない時子の表情に困惑しつつも励まそうとする。
「しょうがないね!お題難しい物多かったみたいだし!」
「…私、行くから。」
時子は杏子から逃げるように早足で離れる。
その横顔を見た杏子は時子の髪についた向日葵のヘアピンに気づいた。
「付けてくれたんだ。」
なぜかその言葉を時子に伝えることはできなかった。
レジャーシートの敷かれた夏月家の食事スペースはいつも以上に賑わっていた。
それは夜々川桜子の存在が大きい。
特に妹のすみれは桜子の大ファンということもあり、桜子の隣を陣取り夢中で話しかけていた。
「すみれ!桜子ちゃん困っちゃうでしょ!」
「気になさらないでください。」
「そうだよー!桜子ちゃんいいって言ってるもーん!」
母に言われたからといって妹のすみれは遠慮するようなタイプではない。
父は話題を変えるように桜子へ問う。
「夏樹と雪乃は相変わらず忙しそうだね。」
「そうですね。父も母も相変わらずですね。」
杏子の父風秋(かぜあき)と桜子の両親は同じ華ノ宮の出身で幼馴染であり親友であった。
そのため両親が共働きで忙しく働く桜子は、幼少の頃より隣に住む夏月家に世話になっていることが多かった。
「たまには食事でもどうか聞いておいてくれないか。」
桜子は笑顔で頷き了承する。
そんな賑やかに話している桜子と、両親を横目に浮かない表情の杏子に母は気にかけるように話を振る。
「杏子ちゃんどうしたの?あんなに頑張ったから疲れちゃった?」
杏子は疲労もあるが、それ以上に時子のことが気になっていた。
「うん。ちょっと疲れたかも。」
父も話に乗り盛り上げる。
「そうだよ!杏子があんなに運動できるの知らなかったなぁ。ちゃんと杏子の勇姿をビデオにおさめたからな!」
「お姉ちゃんかっこよかったよ!」
杏子も家族の喜ぶ顔を見て、今日は何も考えず体育祭に集中しなきゃと頬を両手でパンと叩く。
「もう大丈夫!元気出たよ!実は桜子と勝負しててさ!絶対負けられないからね!」
「そうなんですよ!実はお互いクラスを引っ張って勝負をしてまして。」
父と母は嬉しそうに反応する。
「まさか杏子ちゃんがクラスを引っ張ってるなんて!」
「すごいな!杏子成長したな!」
褒める父は余計なことを言い出す。
「で!負けた方はどんな罰ゲームをするんだい?」
杏子と桜子は目を見合わせる。
母は察したようだ。
「罰ゲーム考えてなかったの?」
ふたりは無言で頷く。
「じゃあ負けた方がひとつなんでも言うこと聞くでいいんじゃない?夏休み期間中にでもどうかしら!」
母の考えた無慈悲な罰ゲームで決定した。
華ノ宮学院の広い敷地には、一般的な学校にはない幾つものスポットがある。そのひとつがこの池である。
朝野時子と両親はその場所へ移動し、レジャーシートを広げる。
体育祭中とは思えないほどの静けさに程良くせせらぎが聞こえるこの場所は朝野時子の両親にとって思い出の場所のようだ。
「時子、最後の競技は残念だったな。」
父は時子を気にかけているが、かえって触れないでおいた方がいいこともある。
そのことを察した母は話題を変える。
「私達が通ってた頃とこの場所は変わらないわ。」
父も母が話題を変えたことで察したようである。
「そ、そうだな。父さんと母さんが華ノ宮の生徒だった頃よくここで授業サボったもんだよ!」
時子は興味がない表情であるが、話を聞いていないわけではなった。
その不機嫌に見える娘の姿を見て父は気の利いたことが言えないものか考えるが、浮かばない。
「すまないな。時子。父さんも母さんも時子の学校行事に今まであまり参加できなくて。」
海外出張の多い大手商社に勤務する父と、女優の母を持つ時子にとって両親が来てくれた今回の体育祭は特別なはずであった。
「大丈夫よ。今日来てくれたこと嬉しいよ。」
その言葉に嬉しいと思ってもらってるのか疑問に思った両親は、変に空回りして場を盛り上げようとする。
「とりあえず。時子、あなたもお弁当食べましょ!」
「そ、そうだな。朝から母さんが腕を振るってたからな!きっと美味しいぞ!」
3人は久々の家族の食事である冷めたお弁当に箸を伸ばす。
「時子は午後の競技何に出るんだ?」
出場競技を父に伝える時子の表情は晴れない。
父はできるだけ明るく振る舞って見せるが、限界を感じて余計なことを口にしてしまう。
「もし友達と一緒にいたかったら、私達の事は気にしないで行ってきていいからな。」
父は思い出したかのように言葉を続ける。
「そうだ!初等部の頃に仲の良かったあの子と一緒にお昼食べたかったんじゃないか?たしか…そうだ、東雲さん。」
今時子の心に決して触れてはいけない名前。
"東雲空"心の奥底にある様々な感情を引き出す名前。
「なんなのよ…。お父さんもお母さんも私の事何も知らないくせに余計なこと言わないで!」
時子は眼鏡越しに大粒の涙をボロボロと流す。
娘の感情的な姿をはじめて見た両親は言葉を失う。
そして時子は続ける。
「お父さんもお母さんも何も知らないから教えてあげる!東雲空とはずっと昔に絶交してて、それ以来学校ではひとりぼっちだった!友達なんてひとりもいない!借り物競争の時だって親友なんていないからゴールできなかっただけ!」
ポケットに入れたクチャクシャに丸めた紙を両親に投げつける。
母が紙を広げるとそこには"親友"と書かれていた。
時子は靴を履き両親の座るレジャーシートから逃げるように走り出した。
誰もいない体育祭の日の校舎、朝野時子はいつもの図書室のいつもの席でうずくまるようにして泣いていた。
普段なら声を出すこともはばかられる図書室もこの日に限りいくらでも声が出せた。
こんなに泣くことなんて今後ないかもしれないと思えるほどに涙が止まらず。嗚咽混じりの泣き声が図書室に響く。
時子は桜子に手を引かれ眩しいほどに幸せそうな笑顔をする夏月杏子を思い出す。
「なんて美しいんだろう。私と一緒にいる時には決して見れない混じり気のない無垢な純真な笑顔。」
夏月杏子が輝いて見える程に、自分がどれほど暗く醜いものなのだろうと実感する。
「私も杏子みたいに過去も未来も変えてみたいって思っちゃった。馬鹿みたい。空に話しかけなきゃよかった。」
「杏子が光なら私は影…いや影なんかにもなれない闇なのよきっと。東雲空の時もそうよ。私は彼女達のような輝くべき人たちのそばにいてはいけないの。夏月杏子のこともきっと不幸にしてしまう。あの時みたいに…。」
時子は何かを決心したかのように向日葵のヘアクリップを外し、両手で祈るように握り胸に当てた。握る手に涙が落ちる。
そして、昼休みの終わりを告げる鐘が鳴る。
時子は握った手を開き、向日葵のヘアクリップをテーブルに置き図書室を出る。
東雲空は屋上からグラウンドを眺めていた。
いつも一緒にいる友人達とは昼を一緒にせず、ただひとり屋上で優しい風を浴びていたかった。
「パパもママも来るはずないか…まあ、いいけどさ。」
ぽろっと呟いた言葉に決して意味がないことを知っている。
そして、彼女は借り物競争の時の自分のライバルである夜々川桜子のことを思い出す。
「大切な人か…。」
ふと東雲空は過去を思い出す。かつて彼女が大切にしていた人。今は決して関わらないと決めた人。
その存在は彼女の心の奥の最も弱い部分に存在していた。彼女の弱さの原点であり、生き方を変えさせた存在。
なにより、人を友人を大切にしようと思わせてくれた存在であった。
かつての"とある出来事"で東雲空は親友と決別した。新たな友人ができた後も何よりも友人達を失わないように、傷つけないように、苦しめないように大切に思い、誠実に向き合った。
あの親友を取り戻せないのなら、新たにできる友人だけでも愛そうと思えた。
「昼もそろそろ終わりかー。」
東雲はベンチに横たわり今日のもうひとつの出来事を思いだす。
「時子に話しかけられた。一緒にお昼食べないって今更仲良くご飯なんてできるわけないでしょ…なんで急に、私達はもう友人でもなんでもないのに…。私の両親が来ないことも相変わらず覚えていたんだ。」
東雲は冷たくかつての親友をあしらったことに胸を痛めていた。
「ごめんね時子。冷たかったよね。でもこうすることがお互い良いんだよね。」
屋上にも届く程の大きな鐘の音が昼休みの終わりを告げた。
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