第十四話 クラスの修羅場
金曜日の午後は丸々ホームルームであった。
体育祭についてのクラスでの会議のためだ。
来週からテスト期間に入るため、勉強したいと思っている生徒も多い。そのため、各クラス終わり次第下校となっている。
体育祭実行委員である杏子、星宮、タケ、こうちゃんが教卓の後ろに並び、司会を務める杏子が開口一番に大きめな声をあげる。
「学年優勝目指して頑張るぞー!!」
拳を突き上げた杏子の姿を見た男子は、釣られて拳を上げ「おー!!」と言ってしまう。
勝ち鬨を上げた男子にしたり顔の杏子は意外な事を伝える。
「えー男子諸君、優勝目指すと言ってみたけど、正直難しいと思ってる。」
男子は「え?」と言った表情だが杏子は続ける。
「ただし、トリの競技の男子全員参加の棒倒しと女子全員参加の騎馬戦は絶対に1位になる。配分点も高いからそこを取れれば優勝目指せるかもしれない!」
体育祭までのクラスの準備期間は短いため、競技を絞って練習は理にかなっているかもしれない。
「他の競技は捨てでいいってこと?」
一人の男子生徒が問う。
「捨てとまでは言わないけど。できるだけ頑張ってダメなら仕方ない。練習の時間も取れないし。」
杏子は自分の思惑を語る。
「それに棒倒しと騎馬戦で勝てば優勝した位盛り上がるぞ!実質優勝したみたいなものだからな!」
大半の男子は納得したが、棒倒しをやった事のない男子は不安そうであった。
杏子は不安を払拭するため秘密兵器を出す。
「みんな安心して!このクラスには心強い味方がいるぞ!」
男子の視線が杏子に集まりその秘密兵器がベールを脱ぐ。
「タケくんだよ!」
と軽くタケの方に手を置く。
タケは不意なボディタッチに背筋が伸び、硬直するが全神経を肩に集中し、杏子の柔らかな小さい手の感触を心地よく感じる。
「柔らかい手だー。このシャツ一生洗えない。」なんて思って顔を赤らめている姿は秘密兵器と呼ばれる存在には到底見えなかった。
「タケくんは学年一の歴史オタクでしょ。軍師として男子を引っ張っていって貰います!」
タケは杏子に任された事で嬉しさのあまりノリノリになる。
「拙者が華ノ宮の公明でござる!男子諸君!夏月嬢の仰せのままに棒倒しで優勝するでござるよー!」
男子の盛り上がりが頂点を迎えた時。
「バカじゃないの!」
一人の女子の声が教室に響く。ポニーテールの女子であった。
その声を聞いた他の女子からも文句の声が漏れ、クラス全体に不穏な空気が流れる。
杏子はそんな空気を壊すように呼びかける。
「女子も頑張ろうよ!男子も頑張ってくれるし!クラスみんなで頑張ればきっと楽しいよ!」
明るく感じの良い笑顔を見せたが、ポニーテールをした女子は反論した。
「アンタだって今まで学校の行事に積極的じゃなかったのに、突然やる気出しちゃってさ!いい迷惑なのよ!」
「そ、それはそうだけど。私、変わろうと思ってさ。学校生活楽しくしたいって思って…」
「は?アンタが変わろうが勝手だけど人を巻き込まないでよ!!鬱陶しい!!」
女子達の意見も納得ができるが、言われっぱなしも癪に触り杏子も語気を強める。
「だったらアナタが実行委員に立候補すればよかったんじゃないの?星宮は推薦だから立候補枠は空いてたんだし!実行委員はやらないし協力もしないけど文句は言うって図々しいと思わない!?私は、なったからにはやりたいようにやる!」
杏子が強く言い返したせいでクラス内は修羅場を迎える。男子達は声を失い誰もなだめる勇気が出ない。
ポニーテールは語気を強めた杏子に一瞬怯んだ様子だが、いつもの取り巻きの助太刀もあるため強気に出る。
「実行委員になった位で調子に乗んないでくれる!?何が頑張ろうよ。馬鹿みたいな事言わないでよね!それに今回の競技だってアンタの生徒会のコネでねじ込んだって聞いたわよ!最低ね!」
バカにした表情を見せた。
取り巻きの女子もコソコソと話し始めた。
「体育祭本気でやって怪我したら責任とってくれるのかしら。」
「それに騎馬戦なんて危険じゃない?」
「そうよねー。公立の中学じゃあるまいし、華ノ宮の生徒がそんな野蛮な競技をしたり、体育祭なんかで服を汚しながら頑張るなんて品位を疑われますわ。」
それを聞いた彼女は強気に出る。
「クラスの女子の声を無視して、アンタって本当に協調性ないわね!」
タケが担任教師を呼びに行こうとするが、杏子がタケの体の前に手を出して止める。
そして杏子は反論に出る。
「そんなのは協調性じゃない!クラス一丸となって頑張れないアナタの方が協調性がない!それにそこに座ってるアナタは何様よ!華ノ宮がそんなに偉いの?他の中学生と何が違うの?ただ家柄や親がすごいだけでしょ!」
取り巻き達は押し黙る。
「クラスのために頑張るのがそんなに恥ずかしいの?仲間の為に頑張れない方が品位を疑われるよ!」
ポニーテールの女子は言い返す。
「熱血うざいって!ムカつくのよアンタ!どーせ人からチヤホヤされたいだけでしょ?人に頑張るように強要するのってどうかと思わない?」
言い争いは売り言葉に買い言葉となり、平行線を辿る一方だ。
杏子はこの言い争いの中で思うことがあった。
それは、自分が人に「頑張ろう」とクラスを引っ張る資格がないこと。
なぜなら、かつてヤンキーだった中学生の頃に何ひとつ頑張ってこなかったからである。勉強も人間関係も家族とのことも全て逃げてきた。人と本気でぶつかり合ったことだってない。
それに体育祭や文化祭も本番だけ参加して楽しみ、準備などの裏方だってやったことがない。
そんな自分に彼女達を責めることができるわけがない。
心のどこかで申し訳ない気持ちと罪悪感とそれでも自分の意思をわかってもらいたいという感情が入り混じった。
杏子は不意に胸の奥が苦しくなっていることに気づく。
耳が熱くなり目の奥から大粒の涙が溢れでた。
「男が泣くんじゃない!」とかつて親から言われた言葉が脳内に溢れる。
必死に堪えようとするが、決して止まらない。
「そっか俺って、本気で人と気持ちをぶつけあったことなかったよな。なにより、本当は気が小さくて、子供の頃も泣き虫だった。だから、一生懸命に強く見せようと虚勢張ってただけだったんだ。」杏子はそう思いながら。妻に昔言われた言葉を思い出す。
「泣きたければ泣けばいいよ。」
自分自身の感情を許してあげなさいという慈悲に溢れた言葉。
「本当はそうしたかったんだ。少女の今ならいいよね…泣いても。」
杏子は涙を止めることをやめた。流れるままの涙を頬に感じ、つたう涙は口の中を塩辛くした。
「それでも、伝えたいことは伝えよう。」
杏子はどんなに不細工な形であれ自分の想いをクラスの皆んなに伝えようと決心する。
杏子は涙で湿った顔を上げる
「泣いでごめんなさい。酷いこと言ってごめんなさい。私のわがままなのはわかってる。きっと、体育祭みんなの一生の思い出になるから、一緒に頑張ろう。」
杏子は閉じた喉を必死に広げ、できるだけ多くの人に聞こえるように言った。
クラスは杏子が泣いたことにより、静まり返る。
星宮が子供のように泣く杏子の肩を抱きしめ慰める。
華ノ宮の生徒は他の中学生とは違い、良く言えば大人びている。しかし、実際は大人ぶったませた子供のような生徒が多い。そのため、周りからの目を気にして行動する者が多く、今回の杏子のように恥ずかしげもなく子供のように泣く姿はとても異質であり、反応に困るものであった。
勝手に泣いた杏子であったが、周りからはポニーテールグループが集団でひとりを泣かしたように見えた。
この名門校で公に生徒がいじめられたのをはっきりと目撃しただけでも事件である。しかも、泣いているのはクラスで最も可愛い女子ときている。
大義名分が生まれた男子たちは正義マンとなり、ポニーテールグループを非難する声が上がる。
星宮はこれ以上泥沼になると学級崩壊し、体育祭でクラス一丸と言っている場合ではなくなると考え、落ち着いた杏子から司会を引き継ぐ。
「おい聞け!とりあえず先に進める。各競技の出場者を振り分けるぞ!」
この空気で穏やかに議論し各競技の出場者を決めることなどできないと判断した星宮は全競技の参加をくじ引きで決めると提案する。
クラス全員が意外にもこの案に反対なしで従い、すんなりと決まる。くじ引きを行い参加競技の振り分けも完了する。
クラスの全員が杏子が泣いたことの衝撃で自分の参加競技どころではなかった。
ポニーテールグループもいじめと思われたらヤバいと思いしぶしぶ従っていた。
とりあえずクラス全員の参加競技が決定し、星宮は決まったことを担任に報告に行く。
気まずい空気の教室にひとりこれはチャンスではと思うものがいた。それはタケである。
タケは知っていた。弱った女子は口説き落としやすいと。
そして、寄り添うことで好感度が上がり惚れさせる事ができるのではと考える策士が行動に移す。
「な、な、な、つき、いや、あ、あ、杏子!」
面と向かって下の名前を呼べた事は収穫であるが、どうやら杏子には聞こえていない。
失敗であった。
ボーっと一点を見つめる杏子は様々な思考が脳内を駆け巡っていた。
涙も止まり落ち着いた杏子は考える。
「自分のせいでクラスの空気を悪くしてしまった。体育祭どころではなくなるかも。本当に良かったのか。」
答えが出せないモヤモヤで頭が一杯であった。
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