第41話 裏切り

 カイルは今日も愛しのユリアに会いに行った。カイルの屋敷の使用人達は、彼に何を言っても無駄だと悟り、黙って見送っていた。これまで何度も注意してきたが、激しく言い返されるか場合によっては暴力が返ってきていたからだ。


「父上に何を言われたかしらないが、オレのことはもう放っておいてくれ!」


 それ以降、屋敷の使用人たちは言われた通りに振る舞った。


(アルベルトのヤツは最近政務で忙しい……もしかしたらまたユリアと2人っきりで話せるかも……)


 この時間ならユリアはもう教会ではなく城に戻っているだろうとあたりをつけていた。そうして予想通り、彼女が城内の端にある使用人部屋近くの廊下を歩いているのがみえた。

 

「……ユリ……!」


 声をかけようとした途中でやめたのは、なにやら不穏な空気が流れていたのがわかったからだ。カイルは目がいい。剣術に必要な能力は他の誰より高かった。だからユリアが城の治癒師と人気のない空間に入っていくのを少し離れたところからずっと目で追った。


 そして彼女がその治癒師に微笑みながら口付けをし、金貨を渡しているのをハッキリとみた。その治癒師は下品に笑いながらユリアの腰に手を回し、もう一度口付けを迫っていた。


 いつものカイルならそれを見て頭に血が上り激昂しただろう。だが彼は今、一気に自分の血が引いていくのを感じた。生まれて初めての感覚だった。息の仕方もわからなくなっていた。そうしてもう一度彼女からその男に口付けをしたのを見た瞬間、彼は意識を失った。


 目が覚めた時、彼は城内の医務室にいた。


(ああよかった。さっきのは夢だったんだ……)


 そうに決まっている。あのユリアが、聖女ユリアがあんなことをするわけがない。あの治癒師は王の治療を担当している人物だ。カイルが父と2人で王の見舞いに行った時に王の側にいた人物だった。

 王は毎日治療していにも関わらず、少しも良くならなかった。心的疲労のせいだと言われてはいたが……。


「お目覚めになったのですね! よかった!」


 まだ起きたてでぼうっとしているカイルに声をかけたのは、先ほど見かけた治癒師だった。穏やかで優しい笑顔をカイルに向けていた。


「すまない……世話になった」

「あのような所でどうされたので?」

「それが……」


 そうしてその男の顔を見つめた時気が付いてしまった。その唇にユリアがいつもつけている口紅と同じ色がついていることに。


「……いや、よくわからないんだ。気が付いたらここに」


(父上に報告しなければ……!)


 王は一切治療を受けられていない。それどころか、毒でも盛られている可能性すら出てきた。一刻も早く屋敷に戻って早馬を出そう。カイルの家にはいい馬がたくさんいる。


「そうですか」


 その顔には先ほどと同じ下品なニヤケ顔になっていた。


「き、貴様!!!」


 治癒師は気が付いていたのだ。カイルがユリアと自分の関係を知ったことに。

 カイルは急いで腰についていたはずの剣を探す。だが剣はベッドの足元に立てかけてあった。

 カイルの手が剣に届くより前に治癒師の手が前に延び、彼は再び深い眠りについた。


「ククク……魔術の使えない剣士など怖くもなんともありませんねぇ」


 薄れゆく意識の中で、その声がカイルの頭の中に響いた。


 再び目が覚めた時、彼はどこかの地下牢の中にいた。どれくらい眠っていたか、今何時なのか、ここはどこなのか、次から次に不安な気持ちが湧いて出てきた。小さな明かりだけ用意されていた。


「オイ! オーイ! 誰か! 誰かいないかー!?」


 彼の声は虚しく響き渡るだけだった。牢を壊そうと体当たりしてみたが、びくともしなかった。魔術も試みたが、彼程度の力では傷もつかなった。


「最近カイルを見かけないな」

「……そうね。彼も私達を裏切ったのかも」

「フン! あいつは俺じゃなくユリアが目当てだったからな。ユリアが相手をしないから拗ねたんだろう」


 アルベルトは勝ち誇った顔でユリアの唇を撫でた。


 彼のことを探すものは誰もいなかった。彼がいなくなって気にするものは誰もいなかった。友人も屋敷の使用人も、アルベルトもユリアも、誰も気にしなかった。


 一週間後、彼の父親が遠征先から久しぶりに屋敷に戻った時に初めて、カイルが一週間誰の目にも触れていないことが判明した。

 騎士団長は懸命に息子を探し回った。最後に目撃されたのは一週間前の城門だった。そこの門番がしっかりとカイルのことを覚えていたのだ。だが、いつその門を出たかはわからなかった。


「カイル? 最近見かけないわねぇ」


 聖女は邪悪な笑顔だった。自分を一途に愛した男のことなど少しも心配していない。


 息子は聖女の手に落ちたのだと騎士団長は確信した。そして同時に絶望したのだった。 

   

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