第42話 侵攻

 ベルーガ帝国では平和な日常が続いていた。


「この辺りは雪が積もったりしないのねぇ」


 気が付いたら季節は冬も終わろうとしている。王国では真冬の積雪は当たり前だったレミリアはジークボルトの屋敷の過ごしやすさに驚いていた。


「そうだな。帝都はたまに積もったりするらしいけど」


 屋敷周辺はたまに雪が降ることはあっても積もることはなかった。


「僕あんまり寒いの得意じゃなくてさ~でも季節感は大切じゃない? 雪が舞ってるの見るのは好きだし」

「え……それって師匠が魔術でコントロールしてたってことか?」


 アレンが初めて知ったという表情で自分の師匠を目を丸くして見つめていた。


「本当なら帝都と同じくらい積もるよ~」

「じゃあ来年はその魔術禁止! 積もった雪で遊びてぇ!」

「ええ~! 寒いよ!?」

「温泉でも引いてください。雪見温泉は気持ちいいですよ」

「それは楽しそうかも……!」


 大賢者一家は今日も穏やかな日を過ごしていた。


 一方マリロイド王国ではついに聖女の願いが叶い、領土が魔物に侵され始めた。

 前聖女のおかげか、ユリアが結界の為の祈りをサボりまくっていたにもかかわらず、これまで大きく綻びが出ることはなく、騎士団や各地の兵士達の頑張りでなんとか持ちこたえていたのだ。


(あのクソババァ! 死んだ後まで本当に余計な事をしてくれたわね!)


 だがそれもついに限界を迎えた。結界が大きく崩壊し、それと同時にその近くの領が壊滅状態と聞いた時は、思わず笑みがこぼれていた。その笑顔を見逃さなかった者達は心の底から聖女に恐怖したのだった。

 彼女がこの報告によって抱くのは、悲しみでも罪悪感でもない。ただ自分の素晴らしい未来が始まったという高揚感だった。


(でもこれでやっと……やっと彼に会える!)


 ギルバート王は日に日に痩せ細っていた。もちろん政務に戻ることはできていない。王国にとって唯一良かったことは、ここにきて王太子アルベルトが政務を誠実に取り組むようになったことだった。


「やはりあの女がいけないのでしょうか」

「……そうだな」


 病床に臥す王と宰相は、アルベルトが堕落した大きな要因が聖女にあるということを確信した。最近2人はあまり会っていない。アルベルトは会いたがっているが、その度に結婚式の話になるのでユリアが避けているのだ。ちょうど国内の問題で手一杯のアルベルトは彼女を追いかける暇もなく昼夜働いていた。

 アルベルトは聖女ユリアに関わらないことであれば、至極まともになり始めていた。だから周囲で彼を支える家臣たちはユリアのユの字も出さないよう注意していた。


「レミリアとグレンがいてくれたら……」


 あの2人はあらゆる情報に精通していた。レミリアは問題解決のためにアイディアを出すのが得意だったし、グレンは張り合ってそのアイディアを現実的にするための方法を考えだしていた。

 彼が政務に真面目に取り組むようになったのは、父親をアッと言わせる為だった。父親よりも素晴らしい王になれば自分を見限ろうとしていた男の鼻を明かせると思ったからだ。元々アルベルトはあらゆる能力が高い。寝る暇も惜しんで勉強を重ねた結果、今更レミリアとグレンのすごさを知ったのだ。


 アルベルトは自分の口から出てきた言葉に驚いた。つい最近まであの2人を憎んでいたのに。執務室には誰もいない。彼1人だけだ。ほんの少し前まではグレンもロニーもカイルも、そしてユリアも側にいてくれた。

 こうなったきっかけを考えたくはなかった。だがすぐに答えが頭に浮かぶ。それは愚かな自分が元婚約者をこの国から追い出したからだ。レミリアがいてくれたら、例え国が今と同じ状況になっても何か立ち直る術を一緒に考えてくれただろう。


(……いない人間のことを考えても仕方がない)


 だが彼は机に向き直し、グレンへ手紙を書き始めた。以前グレンからの忠告を撥ね退けた際の謝罪と、もう一度自分の側で国を支える仕事を手伝って欲しいという内容だった。

 だがその手紙はすぐに無意味なものになった。


「ゴーシェ領が落ちただと!?」


(グレン……!)


 目の前が真っ暗になっていくのがわかった。結界が大きく崩壊した地域には、すでに騎士団が向かったはずだった。


「騎士団はどうした!?」

「無事です。なぜかまだ王都の近くにいたようでして」

「なぜだ!? もう3日も前の話だぞ!!?」

「どうやら伝令ミスがあったようで……」

「今すぐ騎士団長を呼べ!!!」


 グレンのいるゴーシェ領はレミリアの防御魔法のおかげで魔物の森からの侵攻はなかった。しかしまさか隣の領から魔物がやってくるとは想定していなかったのだ。


 3日前、騎士団長の屋敷には彼の息子の右耳が届けられていた。まだ血が滴るその耳には、彼の母親が与えた高価なピアスが付いたままだった。

 

「カイルの耳と決まったわけではない!」

「いいえこの黒子は息子のものです! あの子は生きて捕らえられているのです!」

「だからと言ってあんな命令、きけるわけがないだろう!」


 結界に大穴が開いたと連絡を受け、急ぎ屋敷から出ようとする騎士団長を、彼の妻が足止めしていた。耳の入った箱の中には、『騎士団を魔物の森に近づけることを禁ずる』と書いてあった。


「我が子が可愛くないのですか!」

「……そもそも謹慎を命じたのにお前が外出を黙認していたせいだろう!」

「私のせいにするのですか!?」


 カイルが捕まったその日、夫人は忙しい夫に変わり自領へ戻っており、息子が屋敷に戻っていなかったことを知らなかったのだ。


 そうして悲鳴に近い声を上げた騎士団長の妻は、彼女を無視して部屋を出ようとする夫の背中をナイフで突き刺した。


 屋敷の客室で待機していた騎士団長補佐には、騎士団長の妻から直々に話が合った。


「夫は疲労が重なり倒れてしましました。王都の近くで魔物の侵攻に備えて待機せよとのことです」


 夫人が酷く疲れているのがわかった補佐官は、指示通り騎士団を魔物の森へ向かわせることはなかった。

 

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