第12話 姦通罪!?!?
あの庭を見る場所で、火鉢が用意されて、その上に土鍋が置かれ、小姓が水を注いだ。郡王はまた小さな壺を出して、俺に目で合図をした。
「ライチ!」
「夜の薬を飲んだら、また出そう」
にっこにっこと、ちょっと大げさに喜んでやると、水を注ぐ小姓の肩が震えていた。
小姓が下がったが、あまり声を張り上げたいものではない。
俺はあんまり人に近くに寄って欲しくないのだが、少なくともここにはコロナはないらしいから、ゆっくりと郡王ににじり寄ってみた。
嫌がらないので、そのまま、郡王の左手側に直角に座るように移動してみたのだが、郡王は嫌がらない。アンバランスなところに魅力がある顔には微笑みすらある。
「俺は、胡蝶の夢だと思っている。趙小瑶が俺の夢を見たのか、俺が趙小瑶の夢を見たのかに違いはなく、どっちも変わらないと」
宣言すると郡王は頷いた。
「孔子だな。この前も聞いたぞ」
だから荘子だってば。
そこは枝葉だ。囚われてはいけない。
聞かねばならないことには順番がある。
「殿下と俺は一蓮托生なんだ。俺も隠さないから、隠さないで欲しい」
郡王は頷いた。
「……後継者争いがあるのかい?」
郡王は沸いた湯を木の器に注ぎながら答えた。
「ある人は世継ぎ争いがあると言い、別の人はその意思はないと言う」
そのまま郡王は木の器に息を吹きかけて、俺に渡した。
扉を叩く音が聞こえて、郡王は答えた。
「お入り」
俺たちは黙り、お膳がそれぞれの前に置かれた。俺が生姜の入ったお湯を口にした頃には人が下がった。
しかしなんとまあ、目の前に縦に置かれた箸の太さと長さよ。隣で郡王はこともなげに、器用に煮魚の骨を使うのだが、器用というよりも優雅な所作で思わず見とれる。
いやいや、それよりもこっちだ。
周王が争いがあると言い、太子がないと言うなら、問題はない。この場合は、争われる対象の太子の眼中に周王は入らないと言うことだからだ。
しかし、太子が争いがあると言い、周王がないと言うなら、問題だ。この場合は、太子が周王を排除しようとする可能性がある。
「争いがあると言う者がいれば、そこに争いがあるってことなんだな」
俺は、太子が「趙小瑶」を求めた理由が明らかになったと思った。
「海蘭は、趙小瑶をめぐって太子殿下と郡王殿下が争ったと言ったんだが、生母の皇后娘娘亡き後に太后娘娘の支援を取り付けようとしたお方がおられたということかい」
郡王は俺にその、骨を取り除いた魚の皿をくれ、俺の前の魚を寄越せと合図をしたのである。
お、おう。
これなら食べやすい。
俺が郡王を見ると、郡王は続けた。
「先の姜皇后娘娘は、元は慈悲深いお方だったと聞く。しかし本王が生まれた頃にはもうすでに、当時貴妃だった今の李皇后娘娘が寵愛を一身に集めるようになっていて、不安に駆られるようになっておられた」
郡王は俺が太くて長い箸に悪戦苦闘しているのを見て微笑んだ。
「箸のないところにいたのかい」
日本の箸と、太くて長いこの箸の違いについて説明して話の腰を折りたくなくて、俺は何も言わなかった。
「当時の皇后娘娘が李貴妃娘子から寵愛を奪おうと、父帝に女官を差し出し、生まれたのが本王だ」
俺は魚を食べながら聞いて良いものかわからなくなって、箸を置くと、郡王は聞いた。
「魚は嫌いかい?それともまだ骨が残ってたかい?」
俺は慌てて答えた。
「美味しいぞ。ただ、食べながら聞いて良いものかわからなくてさ」
「気にするな。二人だけだ」
俺は頷いて、食べ始めた。
味が少し濃いと思うが、川魚なのだろう。臭みを隠すためには仕方がない。魚の味が濃いからか、それ以外は結構薄味で健康的だなと思う。
もう一つ、中華系は大皿料理を取り分けるものだと思っていたのだが、ここはそうではないのかもしれない。
俺の夢の中だから日本式に一人ずつ盛り付けられているのだろうか。
魚の骨を取りながら、郡王は話し続けた。
「母は皇后宮の中に小さな建物をいただいたそうだが、本王は引き離されて皇后娘娘に引き取られた。妊婦や赤ん坊を使って父皇を引き留めたかっただろうが、その甲斐なく、すぐに周王が生まれるわけだ」
淡々と郡王は語り続ける。
「その後母は死に、本王は顔も覚えぬ」
ひょっとして、ひょっとするのだろうか。つまり、皇后による妃嬪の殺害。
「幼心に、皇后宮はあまり居心地のいいものではなかった。太子殿下は割に気にかけてくださったと思うが、何しろまだ子どもだからな。当時の俺の心の拠り所があるとすると、太后娘娘だった。赤ん坊の頃から呼びつけられたらしい。実子こそおられないが、しょっちゅう血の繋がらぬ子どもたちをかわいがり、本王を甘やかした」
「じゃあ、趙小瑶とはずっと一緒に育ったのかい?」
「それは違う。夫人は太后宮に引き取られる前はほとんど皇宮に入ったことはないと思う。行くならば太后宮か皇后宮なら、どこも毎日長い時間を過ごしていた本王が知らぬはずはないのだ。本王も夫人の母君には何度かお会いしたが、大変控えめなお方で娘を連れてきたことはほとんどない。李貴妃の宮へも行かれただろうが、夫人が一緒にいたなら周王が知っているはずだが、そんなそぶりは見せないし」
俺の知らない、趙小瑶の母親か……。
「父皇も当時皇后だった太后娘娘の元で育ち、帝位につけてくれた恩もあり、大切になさる。我らも太后娘娘のところへ行けば可愛がってくれるし、血のつながらぬ祖母の太后娘娘のことが好きだと思う」
食べ終わると郡王はまたお湯を沸かし始めた。
俺の薬湯だな。
「太后娘娘の薬を煎じるのが、子ども時代の本王の大切な仕事だったのだよ」
だが、用意し始めるのは、黒糖生姜湯だった。
「太后娘娘を揉んだのかい?」
今度は首を横に振った。
「姜皇后娘娘が始めで、次が太后娘娘だ……機嫌の良いときには可愛がってくれなかったわけではないのだ。姜皇后娘娘はお亡くなりになる直前の数年間、錯乱状態にあり、皇后宮から出ることを許されなくなってしまった。そうすると、本王をどうするかが問題になった。太子殿下はすでに東宮を賜っておられたが、本王はまだ八つで王府もなく行く場所がない。太后宮へとの話もあったし、太子殿下が東宮に部屋を設けようかともおっしゃった。今の李皇后娘娘はまだ貴妃でおられたのだが、年の近い第九皇子と仲が良いからと引き取ってくださった。寵愛を一身に集める余裕のせいか、貴妃宮で本王は肩身の狭い思いをしたことはなかった。その頃だな、六つの頃の夫人が太后娘娘に引き取られたのは」
火鉢を仰ぎながら続ける。
「そして本王は相変わらず太后宮に通うわけだ。そうすると、周王もついてくるようになって、幾度となく夫人と顔を合わせることになった。夫人はよく書物を読む。太后宮にある本のみならず、貴妃宮の本、つまり我々兄弟の本なのだが、よく読んだ。その後、第九皇子が後宮を出る時期だが、おやまだ第八皇子まで貴妃宮にいるぞ、と陛下が気づかれたわけだ。もう姜皇后が亡くなって数年になるし、第九皇子を親王に封じるために李貴妃が皇后に冊封されることになった。同時に本王も郡王に封じられ、李皇后の指揮で帝都の周親王府の隣に、主殿舎が一つだけの泉北郡王府が作られたというわけだ」
「じゃ、南都へは?」
「夫人との大婚の後に。当時南都は一番上の、第二皇子・洪南郡王殿下がおられた。この王府はもともと夏を過ごす別荘なのだが、二兄さまが建てられたものを大婚の祝いにと譲ってくださった」
泉北郡王は太子派というよりも周王派か。第三皇子の太子の、さらに兄の第二皇子もこの屋敷を譲ってくれるほどの親しさなのかも知れない。二、八、九は一つの派閥なのかもしれない。
だが、趙小瑶に夜這いする男だぞ、周王は。
俺は世間一般的な性愛について語れる立場ではない。そこまで傲慢じゃない。しかし、俺には理解できないことがいくつかある。
一つは乱交。
もう一つが、寝取られ趣味である。
寝取られ趣味があれば、圭があんな、相手がいるんだかいないんだかわからない煽り方をするわけがない。寝取られ趣味にはあれはご褒美なんだろう?
俺には親切にしてくれると思うが、泉北郡王は「趙小瑶」に愛情がないとしよう。それでも、「夫人」を寝取られて喜ぶ男とも思えない。
面子を潰されることになるじゃないか。
夫人を周王に寝取られて、太子派に。
そして夫人は姦通罪で処刑され、周王は後継者レースから脱落。
ゾッとする……。
だが、俺はさっき「隠さないから、隠さないで欲しい」と言った。
それに対して、郡王は説明してくれた。
これからも郡王からは情報は得なければならない。信頼関係を構築するために、俺の持っている情報も開示しなければならない。
原田正人が震えるのか。趙小瑶が震えるのか。
「……誤解しないでほしい」
郡王は俺の目をまっすぐに見た。
俺は、ヘビに睨まれたカエルのような気分だ。口が渇く。白湯を一口飲んで、口を潤して言った。
「……目覚めた日の、晩に、周王に、会った」
郡王はにっこりと笑って答えた。
「見ていた」
は!?
「な、何をどこまで?」
郡王は面白そうに片眉を上げて言ったのである。
「ぼうっと出てきて空を見上げて、寒そうだなと思ったら、周王に抱き抱えられて中に入った。しばらく話をしていたな。お前は誰だと誰何していたのではないかな。周王が出てくるまでに時間がかかっていた」
口が渇く。もう一口、もうほとんど湯冷ましになっている白湯を口に含んだ。
「……何もないんだ。郡王殿下と思ったら、違うだろ。びっくりしてなかなか声も出なかったぞ。俺が趙小瑶の記憶がないことを説明して、自己紹介をしてもらって、位階について説明してもらったんだ」
ヒッヒと郡王は笑った。
「かわいいだろ、周王は」
ああ。かわいいとも。
愛した人と同じ姿の男が目の前に現れて、しかも知り合った頃の十八だ。
「あの後もそうだったが、毎晩のように縁側でしばらく将棋や碁をしている」
「どこでだよ」
「夫人の寝室の前の縁側」
は!?
微笑みながら、郡王はあることを相談した。
俺は文字通り背筋を凍らせながら、答えた。
「……碁はろくにできない。将棋なら多少は心得があるが、規則が同じかはわからない」
「夫人は碁は嗜まなかったが、将棋は好んだ。本王は夫人と将棋では本気で取り組んでも、勝ったり負けたりしたものだ」
郡王は将棋盤を出してきて、俺と将棋を打った。
規則は少し違う。取った駒を打てない。
だが、そんなもので、確かに俺と同じくらいだった。そんなに強いわけではないが、弱いというわけでもない。
上達したいなら、自分よりもはるかに実力が上の相手と打つべきだ。だが、面白いのは同じくらいの相手と勝ったり負けたりすることだ。
それから俺たちは朝と夕の食後に将棋を打つようになった。
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