19.斧
こうなったら適当に逃げ回るしかない。とりあえず右に曲がる。さっきの廊下だ。それから次は? 僕らを呼ぶ男の声がした。
「あんまり走り回るな。迷子になるぞ。戻って来い」
怒った様子もなく言ってきたが、戻って来いと言われて戻れるわけがない。全く帰り道が分からないので闇雲に走る。確かどこかで曲がったはずだが。曲がり角はいくつもある。全てが廊下だ。最初の本棚の部屋に着けばいいのだが。
「戻ってきたか」
前方に男が現れた。驚いて足を止める。さっきと同じ所に戻っていた。気のせいなのいか錯覚なのか、廊下はどこも同じ造りでどれも同じように汚れているから分からない。走ったことだけは息が切れているから確かなのだが。
「ここはよぉ。迷路みたいだろ? 一つ廊下を間違うと。さっき通ったところに戻る」
今度は逆走した。
「昨日も今日もどうなってんだ」
「とにかく走ろう」
後ろで小走りになった足音がする。それほど速くなく、男の荒い息も聞こえるものの、それだけで大いに駆り立てられる。
「早く戻って来い。俺の仕事場、見せてやるから」
「意外と早いぜ。あのおっちゃん」
このままでは走るのも限界だ。
「曲がって」
息切れを起こして、壁にもたれ、そのまま腰を下ろした。と、もたれた壁が動いた! 後ろに下がって一回転。隠し扉とでも言うのか。さっきとは違う新たな部屋に倒れて込んだ。グッデも巻き込み、二人とも頭を打って痛がっていると、明かりが近づいてきた。
「何だおめぇら。戻ってきたのか」
ロウソクの明かりがさっきの男の顔を照らしている。図書館らしくない代物の数々がきらめいている。
「ここがおれの仕事場だ。よくここって分かったなぁおめぇら」
小さな部屋の壁は数え切れない程の斧でびっしりと埋め尽くされていた。
「ここが仕事場? 何でこんなに斧が?」
問いに男は笑顔で答える。
「そいつぁよ。俺の自慢の骨董品だぁ」
ずいぶん変わった趣味の持ち主だ。でもジェルダン王よりましか?
「そんなもん集めてどうすんだよ」
グッデが非難した。男は一本一本の斧を愛おしそうに見つめ、頑なに壁にかかっている中で、ひときわ古そうな斧を手に取った。男の目が大きく見開き、赤くなった。充血とは別で、きれいに色づいている。何かおかしい。
「斧ってのはな、何かを割るためにあるんだ。硬くて切りにくいものを、パカッと割るんだ」
「あなたの仕事って、まき割りだったんですか?」
まさか、と男は上の空で言った。今までの勢いが全くなく、ひどく沈んだ声。
「だが、間違いでもねぇ。ここに来たやつらみんななぁ、頭からかち割ってやった」
この男が建物内に入った人々を殺してきたのだ。道理で皆、帰らぬ人となるわけだ。木の仕業ではなかった。ある意味ほっとしたが、そうもいかない。この状況はどう捕らえても、よくない方向に傾いている。
斧を床に引きずらせながら男が迫ってくる。見るからに重たそうで、途中で両手で持ち直し、より深いしわを顔に寄せて、斧を持ち上げる。
「僕達も殺す気ですか?」
後ずさると、さっき入ってきた隠し扉に背中が当たる。男は答えず、目だけ怒らせて斧を振り下ろす。後ろの隠し扉を利用させてもらおう。勢い走ったのはいいが、どこから来たのか見当がつかない。本棚の迷路が続いている。廊下を抜け、幾本も通路が分かれたとき、息を切らしたグッデがうずくまる。
「もうちょっとだよ」
もちろん出口がもうすぐそこにあるとは限らない。側にあった振り子時計が鳴り響いた。もう夜の八時だ。こんなに時間が経っていたなんて。男が来ない内に早く出口を探した方がいい。
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