第17話 植木鉢

 足元には砕けた素焼きの陶器とこぼれた土、そして無惨に潰れたペチュニア。

 時が止まったように静かなのに、心臓だけが激しく脈打っている。あと一歩踏み出していたら、植木鉢は架河森の頭の上に……。

 思考が回復した途端、指先から一気に血の気が引いていく。俺は恐怖でその場にしゃがみ込みそうになるが、架河森の取った行動は逆だった。

 地面に散乱した植木鉢を一瞥すると、瞬時に西校舎を仰ぎ見た。三階の窓でカーテンが揺れている。それを確認した瞬間、架河森は建物に駆け込んでいた。

「ちょ、架河森!」

 西校舎は特別教室棟なので、来客用玄関はあるが生徒の靴箱はない。架河森は土足のまま廊下を猛ダッシュしていく。

 ああもう自由だな、架河森!

 俺は靴を脱いで彼女の後を追いかける。窓が空いていたのは三階右から五番目の部屋、被服室だ。中に入ると、室内をうろつく架河森の姿があった。

「見て」

 彼女は教卓を指差した。

「鉢受皿だけ残ってる。そこにあった植木鉢を誰かが落とした」

 俺は開いている窓から地面を見下ろす。真下には砕けたペチュニアの鉢。ついさっきまで、俺達はあの場所に立っていたんだ……。俺は我知らず身震いする。

「事故じゃないのか? 窓辺に置いていた鉢が風で落ちたとか」

 一応、別の仮説を立ててみるが、

「句綱君はそう思う? 偶然だって」

 ……思わない。

 窓の桟は細くて、まともな神経なら植木鉢を置こうなんて考えない。

「私が被服室ここに来た時、部屋に人はいなかった。句綱君は? 廊下で誰か見かけなかった?」

「誰も」

 俺は首を振ってから……信じたくない言葉を口にした。

「あの植木鉢、まさか架河森を狙ったのか?」

「うん。そうだよ」

 架河森はあっさり頷くと、嬉しさを隠しきれない様子でくすくすと笑い出した。

「やっと尻尾を掴んだ。もう少し、あと少し。もうすぐあなたにたどり着く」

 歌うように言うと、くるりと俺に向き直る。

「句綱君、今からカラオケ行こ」

「はぁ!?」

 唐突すぎて意味が分からん。最初からわけ分かんないヤツだけど!

「なんでカラオケ?」

「学割利くし、ドリンクバーとソフトクリーム食べ放題が付いてるから。あと防音だし」

 それは知ってるけど。

「お前、命を狙われたんだぞ? まず教師を呼んで、警察に連絡して。あと校舎裏の告白相手もどうにかして……」

 現実的な問題を片付けようとする俺を、架河森は「どーでもいーよ」とばっさり切り捨てる。そして、とびきりの悪戯を思いついた子どもの瞳でこう言った。

「君は命の恩人だから、特別に教えてあげる。私が何をしていて、これから何が起こるのかを。それとも、このまま平穏な高校生活を送っとく?」

 ――目の前に『核心』を突きつけられて、無視できる人間がいるだろうか?

 抗えない誘惑に、俺はただ頷くことしかできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る