第16話 衝撃

「おーい、慧。大丈夫か?」

 烈矢に肩を揺すられ、机に突っ伏していた俺は顔を上げた。

「ん? 次、移動教室か?」

 あれ、いつから寝てたんだ? ズレた眼鏡を直しながら訊くと、

「いいや。今、帰りの学活が終わったとこ」

 すでに放課後だった。

「具合が悪いのか?」

「違う、寝不足なだけ」

 俺の答えに烈矢は「家で寝ろよー!」と爆笑する。

 今日は水曜日。土曜以来、目を閉じるとあの光景が瞼の裏に映って寝付きが悪い。このままでは弧泉先輩のように倒れてしまうな。どうにかしないと。

「俺は用事があるから先行くぞ」

「ああ、また明日」

 慌ただしく廊下に飛び出す烈矢を横目に、俺は帰り支度を始める。もう教室の人はまばらだ。あいつが起こしてくれなかったら、夜になっていたかもしれない。用事があるって行ってたが、部活か? 俺のせいで遅刻しなければいいが。

 幼馴染の友情に感謝しつつ、俺は帰り支度を始めた。

 重い通学リュックを背負って生徒玄関に行くと、丁度セミロングの黒髪が校門と逆方向に歩いていくのが見えた。

 その横顔が目に映った瞬間、俺は背中を突き飛ばされたように走り出していた。

「架河森!」

 建物の裏手に入る前、西校舎の表で同級生を呼び止める。

「やあ、どうしたの句綱君。そんなにあせって」

 振り向いた架河森は、いつもの飄々とした態度だ。俺は渇いた喉に唾を飲み込む。

「今日も西校舎裏に呼び出されてるのか?」

「そうだけど」

 当然、という返事に苛立ちが募る。

「やめろよ」

 俺の口から勝手にそんな言葉がついて出た。彼女は不思議そうに、

「どうして? 句綱君には関係ないじゃん」

 ズクン、と胸を抉られる痛みがする。自分でも分からない。どうして俺は架河森を止めたいんだ? どうして初めて架河森を西校舎裏で見かけた時から、こんなにも暗い感情が溢れてるんだ!?

「だって、嫌だろ?」

 ぐちゃぐちゃの頭の中から、説得の言葉を選び取る。

「断るためだとしても、よ……嫁が他の男と二人で会ってたら、旦那も気分が悪いだろ?」

 同級生相手に夫婦の在り方を解くなんて恥ずかしすぎるのだがっ!

 しかし、架河森は笑ってそれを一蹴する。

「うちの旦那様はそういうの気にしないよ。私が一途なのを知ってるから」

 ああ、そうですか。ストレートにのろけられて、全部がバカバカしくなる。俺はなにをムキになっていたのだろう。

「余計な口出しして悪かったな。もう架河森に構わねえよ。あの背の高い旦那にもよろしくな」

 吐き捨てて帰ろうとした瞬間、

「……どういうこと?」

 彼女の顔色が変わった。

「背の高い男って誰? 句綱君、私の旦那様を見たことあるの!?」

 猛然と詰め寄られ、俺は数歩後ずさる。

「み、見たよ。土曜日に駅前商店街で。お前ら雑貨屋の前でイチャついてたろ?」

 実際はぼやけてたし、寄り添って歩いていただけだが。それでも架河森は瞳を大きく見開いて、

「どんな顔してた? どんな格好? 背が高いって、どれくらい? どんな風に私を見てた!?」

「え? 顔はよく見えなかった。髪が長くて黒尽くめで、俺より高くて……なんでそんなこと訊くんだ?」

 それは架河森が一番知っていることだろう。しかし、架河森は答えない。笑顔を抑えられないかのように、両手で頬を挟んで小躍りしている。

「やった! やっぱり私は間違ってなかった。いるんだ。旦那様、ここにいるんだ!」

 ぶつぶつと呟いてから、やおら晴れやかな顔で俺の手を握った。

「ありがとう、句綱君! お陰で自信がついたよ。今日もはりきってコクられてくるね!」

 何故、そうなる!???

「おい、待て……!」

 元気に校舎裏へ走り出そうとした架河森の手を俺は咄嗟に掴んだ。反動に彼女の足が止まった……刹那。

 ガシャンッ!!

 上から降ってきた植木鉢が、架河森の前髪を掠めた。

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