第9話 大通りで

 架河森かがもり薄荷はっか、高校一年生、十五歳。自称既婚者で旧姓は代野しろの。中学三年生の時にこの近隣に引っ越してきたらしく、現在夫と二人暮らし。あと、やたらとモテるっぽい。

 それが俺が持っている情報の最新版。

 正直、意味不明だし、あからさまな地雷案件で避けるべき相手なのだが、どうしても目が行ってしまう。

 これは怖いもの見たさというやつか?

 ごちゃごちゃな頭の中を更にぐちゃぐちゃに捏ねくり回しながら下校路を歩く。今日は塾のある日だから、自宅には帰らず駅前の雑居ビルに向かう。この塾へは中学の頃から通い始めて、そのまま高校生クラスに進んだ。自習室もあるから遅くまでいられるのがいい。家に帰っても誰もいないしな。

 授業開始まで少し時間があるから、飯でも食っていこうか。この時間なら、大通り沿いのラーメン屋がいているかもしれない。俺は塾の参考書の分だけ普段より重い通学リュックを担ぎ直し、目的地を変更した。


 片側三車線の国道は、いつも車通りが多い。

 どこかで工事をしているのか、大型トラックが行き交う車道を横目にのんびり広い歩道を歩いていると、前方の街路樹の影にゆるふわの茶髪が揺れているのに気づいた。

 あれは、烈矢の片思いのお相手の弧泉璃珠先輩じゃないか。

 この道には信号機や歩道橋が多く設置されているので、歩行者が道の反対側に渡るのには困らない。それなのに弧泉先輩は街路樹とガードレールが途切れた狭い隙間を抜けて、車道に踏み出そうとして――

「危ない!」

 ――俺が止める前に、何かにつまずいたようにその場にペタっと膝をついた。

「ちょ、弧泉先輩、なにやってるんですか!?」

 車道外側線に落ちかけた彼女を、俺は慌てて歩道に引っ張り上げる。弧泉先輩は呆けた表情で俺を見上げて、

「なにって、あっちで優衣奈ちゃんが呼んでて……」

 指さした車道を挟んだ反対側の歩道には、誰もいない。

「……あれ?」

 キョトンとする弧泉先輩に呆れてしまう。天然入ってるって聞いたが、相当だぞ。

「誰かが呼んでても、横断歩道か歩道橋を渡ってください。死にますから」

「うん、そうする。ありがとう」

 説教する後輩に、先輩は素直に頷く。

「怪我はないですか?」

「コケた時ちょっと膝打ったけど、なんともないみたい」

 スカートの埃を払う彼女は、本当に平気そうだ。

「では、俺は行きますね。先輩、お気をつけ……」

 別れの挨拶をしかけた、その時。

「璃珠、こんなところにいたの?」

 歩道に面した文房具屋の自動ドアから黒髪ショートの女子生徒が出てきた。堺優衣奈先輩だ。

文房具屋ここ待ち合わせって言ったのに、全然来ないから買い物済ませちゃったわよ」

 肩掛けのスポーツバッグに徳用5冊セットの大学ノートを詰めながら近づいてくる堺先輩を、弧泉先輩は不思議そうに見つめる。

「優衣奈ちゃん、さっき道の向こう側にいなかった?」

「いないわよ」

 きっぱり否定される。いたら瞬間移動だ。

 おかしいなぁ? と首を捻る弧泉先輩に、堺先輩は面倒くさそうにため息をついてから、隣に立つ俺に気づいた。

「あなたは何? 璃珠をナンパしてるの?」

 即断で不審者扱いだ。鋭い眼光で睨みつけてくる堺先輩にたじろぐ俺に、慌てて弧泉先輩がフォローに入る。

「違うの。この人は道で転んだ私を助けてくれたの。ええと、名前は」

「一年の句綱です」

「クツナ君だって。いい人だよ」

 ニコニコ紹介するゆるふあ髪に、ショートヘアの先輩は未だ不信感たっぷりの表情で、

「そう。うちの璃珠がお世話になりました。璃珠、この人にちゃんとお礼言ったの?」 

「言ったよねー。句綱君?」

 保護者モードの堺先輩に戸惑う俺に、弧泉先輩は屈託なく同意を求める。

「は、はい」

 確かに言ってました。

 なんか同級生というより、しっかりした姉と手の掛かる妹みたいな関係性だな、この二人。

「行こう、璃珠」

「うん」

 俺に興味を失くしたのか、すぐに踵を返して歩き出す堺先輩。彼女の後を追いかけながら、弧泉先輩は俺を振り返った。

「ありがとね、句綱君。バイバイ」

 その笑顔はアイドル顔負けで、

「そりゃあ、烈矢も推すわけだ」

 としみじみ呟いてしまった。

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