第3話 移動教室

 入学してから気づいたが、この学校は動線が悪い。

 全教科の半分は教室を移動して授業を受けるというのに、普通教室のある東校舎からは、体育館へも特別教室の入っている西校舎へも遠い。しかも、両校舎の往来は一階と二階の渡り廊下からしかできない。一年の教室は東校舎最上階の四階、化学実験室のある西校舎三階に着くためには、階段を上り下りをしなければならない。これを他の教科でも繰り返すんだから、地味に体力が削られる。

「おい、けい。急げよ」

「慌てんな。走ると危ないぞ」

 二段飛ばしで階段を駆け下りる烈矢の背中に、息を切らして訴える。体育会系の烈矢と違って、帰宅部の俺は体力がないんだよ。しかも俺は眼鏡ユーザー、下を向いて走ると、レンズ越しの鮮明な視界とフレームの隙間から見える裸眼のボヤけた景色のズレで段差が怖いんだぞ。

 しかし、俺の忠告を無視して烈矢はあせった顔で振り返り、

「遅れたらやべーよ! 山口、めっちゃこわ……」

 教科担当教師の悪態をついた途端、下から上ってきた女子生徒に肩がぶつかった。

「きゃっ!」

璃珠りじゅ!」

 衝撃によろけた女子の身体を、隣りにいたもう一人の女子が支える。

「悪い、大丈夫!?」

 慌てて詫びる烈矢の前には、二人の女子生徒が立っていた。

 一人は背中まである薄茶色の長い髪を緩めに巻いた小柄な女子、こちらが烈矢とぶつかった方だ。彼女の華奢な身体を支えているのは、背の高いショートヘアの女子。どちらも制服の校章の色から二年生だと判った。

「璃珠、怪我はない? 痛いところは?」

「大丈夫、ちょっと驚いただけ」

 心配顔のショートに、ゆるふわロングは眉を下げて苦笑する。ショートはほっと息をついてから、事態の元凶を睨みつけた。

「危ないじゃない! 一歩間違えば大怪我するとこだったのよ!」

 まっとうな怒りに烈矢は身を縮こませる。

「す、すいません。俺の不注意で……。弧泉こいずみ先輩、ほんとごめんなさい!」

「いいの、怪我はなかったから気にしないで。でも、廊下は走っちゃダメだぞ、後輩くん」

 両手を合わせて頭を下げる烈矢に、ゆるふわ先輩は柔らかく微笑む。それからショートを見上げて、

優衣奈ゆいなちゃんも助けてくれてありがとう」

 ニコニコ言われて、ショートはそっぽを向く。

「まったく璃珠は人がいんだから」

 呆れたため息をつく横顔には苦労が忍ばれたが、感謝されて満更でもない様子だ。

「今度から気をつけなさいよね。璃珠、行こ」

 ショートはもう一度烈矢を睨みつけると、ゆるふわの左手を引き階段を上っていく。ゆるふわはすれ違いざまに俺達に右手を振って、ショートの後をついていく。

 俺は二人の先輩を見送ってから、幼馴染の肩を叩いた。

「烈矢、俺達も行こう」

 しかし、彼は微動だにしない。

「……烈矢?」

 訝しんで覗き込むと、烈矢は頬をピンクに染めて、ぼうっと天井を見上げていた。

「りじゅたん神。一生推せる。好き、無理、死ぬ」

「は?」

 いきなり死ぬな。

「烈矢、今の二人知ってるのか?」

 一応訊いてみると、

「は? 慧は知らないのか!?」

 珍獣でも発見したようなリアクションで、肩をがしっと掴まれた!

弧泉こいずみ璃珠りじゅだよ! 鴗澤高校一の美少女! 可愛くて優しくて地元の大会社の社長令嬢なのにそれを鼻にかけなくて、ちょっと天然入ってるところが最高な国宝級の存在だよ!」

「お、おう。なんか漫画かラノベのヒロインみたいな設定だな」

 捲し立てられて、後ずさりながら感想を述べる俺に、

「ほんとに。何個かチート授かってるよ、絶対」

 烈矢は食い気味に同意してくる。なんかすごい。

「で、もう一人は?」

「あっちはさかい優衣奈ゆいな。璃珠先輩の親友。成績は常に学年トップ、女子バレー部のキャプテンを務める鉄壁の才女。ドジっ子の璃珠先輩を支える守護騎士って感じかな」

 こっちもチート系だった。えらいキラキラした世界観だな、おい。

「二人揃うと麗しくて目が潰れそうなんだけどさ、その中でもやっぱり俺はりじゅたん推し! 聞いた? ぶつかった俺を気遣う言葉。天使だよ、彼女は」

 烈矢は両手を胸の前で組んで祈るように思い出す。神と天使、どっちだよ。

「璃珠先輩すげぇいい匂いした。このシャツ、璃珠先輩が触ったから洗わない」

 いや、洗えよ。まだ汗かく気温だし。

「いいなぁ、璃珠先輩。小さくてふわふわで透明感があって声まで可愛くて。俺、璃珠先輩と付き合えるならなんだってするのに」

 やばい、このままでは幼馴染が遠くへ旅立ってしまう。

「あんなに可愛いんだから、すでに彼氏くらいいるんじゃないのか?」

 夢に水を差して現実に引き戻そうとする俺に、烈矢は「いいや」と首を振る。

「今はいないらしい。だから俺にもワンチャンあるかも!」

「そうか、がんばれ。応援する。でもその話はあとで聞くから、とりあえず西校舎に行こうぜ」

「ちょっと待って。まだ残り香が」

「ないから。ってか、嗅ぎ回るな、純粋にキモい」

 こいつ、バスケ部で陽キャで結構モテるタイプなのに、こういうところがそこはかとなく残念なんだよな。

 余韻に浸っている烈矢を引き摺っているうちに、三時間目のチャイムがなって……。

 俺達は遅刻の罰で授業終わりに、クラス分の実験器具の洗浄をする羽目になったのだった。

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