第10話 旅立ちと不機嫌と
「待って待って、それを言うのは数字違いだわ、エレナ。その場所が長く続いていたら、この話もできたけど」
「長く続いたらってどういうこと。お母さんは伯爵邸で何を聞いて何を見てきたの?」
「あなたいつからそんなに辛辣な物言いをするようになったの?」
「これは全部お母さん譲りだから。早く話して」
娘の態度に困惑しながらミアーデは夫を見た。
全てを話しても問題はないのかという確認だった。
ミゲルはゆっくりとうなずく。
「ルシアードが否定をしたそのすぐ後に、学院の警備兵が割って入ったの。揉め事が起これば、彼らは仲裁に入らなければならないし、暴力事件なんかに発展したらそれぞれを拘束しなければならないからね」
「……それ以上の話は望めなかったってことね」
「そういうことになるわ。だからできなかったことでルシアードを責めるのは、筋違い」
「わかった」
なんだか釈然としないものを覚えながら、後ほど口頭で。なんなら拳も交えて彼の釈明を聞こうと心に決め、エレナは怒りの矛先を納めた。
両親にとってみればいきなり出てきた他の令嬢なんてどうでもいいのだ。
だから彼らはこれから先、姉のロレインがどういった待遇を得るのかというところに、話を進めていた。
「浮気の事実があったかどうかはどうでもいいっていうのが、伯爵様の言葉。あちらとしては領主という立場もあるから体面を大事にしたい。だからこちらに謝罪しろ、というのが言い分だった。でもそんな言い分は通らないし受け入れるつもりもなかった。大事な娘がバカにされているもの喜んで受け入れる親はいないわ」
ミアーデはきっぱりとした態度で、伯爵の言い分を否定したという。
剣呑な雰囲気になった伯爵邸の一室をおさめたのは、意外にもロレインだった。
「けれどな、問題の張本人がそれを認めてしまったんだ」
「お姉ちゃんが、浮気したって認めたってこと? どうしてそんなこと。こっちが悪くなるだけじゃない」
「どうしてだろうな。俺には分からん」
何かを諦めたようにミゲルは寂しそうな顔をする。
ミアーデも「ロレインの決めたことだから」とそれ以上、深く話すことはなかった。
「とにかく、あの子が自分が悪かったと認めて、謝罪したの。私としてはそりゃあ不満はあるけど、あなたも大人だから。認めて社交界に姿を現さないと約束すればこれ以上追求はしないと、伯爵様もおっしゃってくださったわ」
「それじゃあ一生日陰者じゃない‥‥‥大人、ね。18歳は成人だから、そうだけど。お姉ちゃんどうなるの? 伯爵邸の地下牢で死ぬまで暮らすことになるの?」
「2週間。2週間の自宅謹慎でいいってなった。でもあの子はこれからずっと結婚することもなく恋愛もできないでしょうね。この土地だと」
「そう‥‥‥」
家族3人。部外者だがほぼ肉親と変わりのないルシアードを含めて4人。
賑やかに彼は簡単にするはずだった華やかな夕食の場は、一気に冷え込んでしまった。
みんなモクモクと食事をし、酒を飲み、杯を重ねて無言のうちに食事が終わる。
「明日、戻ってくるんでしょ。ルシアードはどうするの?」
ふと、そんなことをエレナが言い出す。
浮気相手とされた被害者と浮気をしたと認めた女。
それが同じ屋根の下で暮らすことはさすがに避けがたいし、ことが公になれば周囲の目は自然と厳しくなるだろう。2人の中は本当に浮気をしていて、いまはそれがまともな恋愛関係に落ち着いたのだと勘ぐる人間も出てくるはずだ。
「あー……そのことなんだが」
「俺が出て行きます」
「ルシアード!」
責任を伴う言動が取れていなかったと、ルシアードは席を立つ。
その肩を引いて座り直させたのは、意外にもミゲルだった。
父親は小さく叫んだ娘に大丈夫だと声をかける。
「今夜はここにいていい。だが明日からはダメだ。研究のために数週間の外泊を申請して認められたのなら、実地で研究をするべきだろう?」
「つまり――」
「俺とミアーデが所属していたパーティのメンバーが、アトラスの町で冒険者ギルドの支部長をしている。アトラスは飛竜なんかが住む山岳地帯のすぐそばにあるから、ドラゴンの皮膜に関しての研究もはかどるはずだ」
「わかりました。今夜は‥‥‥お世話になります」
「ああ、ゆっくりしていってくれ」
今夜は遅くまで飲もう。16歳を過ぎれば、もう成人だ。だから酒も飲めるだろう。などと言い、ミゲルはそのあとずっと朝までルシアードを離さなかった。
逆に母親のミアーデは普段ここまで怒りをあらわにすることのない娘が、姉の不祥事に関して感情を抑えきれずにいたことを心配したのか、一緒に寝ようと言い出す始末。
爆誕したどこかの令嬢Aの件はうやむやになり、全く収まることのない怒りのやりどころに困ったまま、早朝の列車でアトラスに向かったルシアードを見送ることになったエレナは、それから姉を迎えたあともご機嫌が悪かった。
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