第9話 令嬢A爆誕

「どう言ったかまではエリオット様の名誉のために伏せるけれど、とにかく人前で感情をあらわにすることなんて滅多にないエリオット様が憤慨したのだから、よほど酷いことを言ったと思っていいわ」

「それで婚約破棄に? でも――」


 と、ルシアードとのことは、と言いかけてエレナは口を閉じた。

 それは秘密にすると約束したばかりだ。


「ただどうしてかはわからないが、エリオット様は婚約破棄の現場で他に浮気をしている男性がいると発言したらしいの」

「……すいません。それは俺のことです」

 短くそれでいてこの上ないほどに沈痛な面持ちで、ルシアードは謝罪する。

 ミゲルはいいんだ、と顔を振った。


「正直言ってそれは難しいと俺と母さんは思っている」

「どうしてそう思うんですか」

「学院の中のことをそれほど詳しく調べたわけじゃない。ただ、君とエリオットは寮で同室の関係だが、ロレインが常に同席できたのは、寮の外でいる時間だけだ。彼女だって女子寮の方で同室の相手がいるし」

「その相手というのは女神神殿の巫女見習いの子で、私の教え子でもあるの」

「彼女の発言は?」


 ミゲルがそう言いミアーデが補足する。

 ロレインの同室はレベッカという巫女見習いで、彼女の発言では寮にいる間、ほとんどの時間を一緒に過ごしていて、男性のもとへ赴くにはそれなりに時間が必要だし、あまり長い時間をつかってロレインが寮監に無断で女子寮を抜けてたことはこれまで一度もないということだった。


「レベッカには悪いけれど発言に嘘がないかどうかを魔法でも確認させてもらったの。個人情報保護のために本当はやってはいけないのだけれどね。もちろん本人に同意を得て」

「なるほど。でもそうなると授業の間とか、寮にいない時間の間で俺とロレインが密会したという可能性も」

「あまりそういう発言は親の前でするべきじゃないと思うの」

「すいません‥‥‥つい」


 事件の真相を究明することに焦るばかり、ロシアードは保身を忘れて質問を発したようだった。

 それはつまり彼の無実を遠回しに証明しているようなものだ。


 けれども母親としては不貞の可能性を指摘されると面白くないのは当然のことで。

 ミゲルは渋い顔になり、ミアーデは明らかに不快な顔をしていた。


「ルシアードは学者だからそういったところを探求しないわけにはいかないんだと思う」


 重くなってしまった空気をどうにか和らげようとしてエレナはそんなことを言った。

 良いほうか悪いほうか、一体どちらに感情を向けようとしているのかが、今一つ見えない。


 それだけ娘が動揺しているのだと感じると、両親は自然と緊迫感を和らげて、場の雰囲気が落ち着きを取り戻す。


「まあ、それは良いことだ。いまは必要だとは思わないけれど、どうしてその場で否定してくれなかった、ルシアード。そうすればロレインの名誉は守られたのに」

「発言しても?」


 神妙な面持ちでひとりだけまだ緊張感のさなかにある恋人の手を、エレナはテーブルの下で強く握った。

 大丈夫、いざ周りが全部敵になっても、私だけはあなたの味方だから、と伝えるように。


「もちろんいいわ。あなたを糾弾するつもりなら、こんな料理の場を設けてない。あなたもちょっと言葉が硬いわよ。それだとルシアードが悪者みたいじゃない」

「俺はそんなつもりは――ルシアード、何が言いたい?」


 居心地の悪さを感じたのか、ミゲルが咳をひとつする。

 ルシアードは手に温もりを感じながら勇気を振り絞る。

 まるで、結婚の挨拶をするためにきたのと、難易度はなにも変わらないのではないかと思いながら。


「エリオットが発言をした後に俺はきちんと心に決めた相手がいると伝えました。でもそれはロレインじゃない」


 彼とつないだ手に一層力がこもる。

 頑張って、とエレナは心から応援した。


「他に相手がいると言うならその子の名前を口にしてくれてもよかったんだ」

「したかったけれど――彼女はそこにはいないので」

「ああ……男爵領の令嬢なのか。それなら話は分かる」


 いや違うそうじゃない。思わずエレナはそう叫びそうになった。

 ふんふん、なるほどと母親も父親同様に頷いている。

 納得してしまっている。


 いきなり存在しないはずの令嬢Aが、爆誕してしまった。

 どうするのこれ、これから先のことどうやって説明するの。私たちの関係は?


 エレナは唖然として、口をぱくぱくさせてルシアードを見た。

 彼は否定するどころか、さらに驚きの発言をしてくれた。


「ええ、まあ。あまり詳しくは言えませんが、今戻ると相手方にも迷惑がかかるので」


 ちょっと待って本当にそうじゃない。

 現実的な問題として、私にものすごく迷惑がかかっている。

 このままだと自分たち2人の関係だって破綻しそうだ。


「ごめん」


 小さくルシアードはそう言い、手を握り返す。

 本当に申し訳ない、とそんな顔をしていた。


 ふざけないでよ。それがエレナの本心だった。

 なんだか無性に腹が立ってしまい、勢いよく手を振り解く。

 すると、ガツンとテーブルの天板に手の甲をぶつけて、ひとり悲しむことになった。


「あとで。後で話があるから‥‥‥とりあえず、よかったじゃない。そのご令嬢にご迷惑がかからないんでしょ。ここにいれば」

「本当に――申し訳ないです‥‥‥エレナ、ありがとう」

「別に私に謝ってもらう必要はないんだけどね。でもどうしてその場でもっと深くあの二人のことを追求しなかったのかな? そうしたらここに来る必要だってなかったよね?」


 思わず声がトゲトゲしくなる。

 途端、場の雰囲気は一層の険しさを増した。

 なぜだかわからないが、いきなり機嫌を悪くした娘に、両親はあたふたするばかりだ。


 彼らは姉思いの妹が、どうして姉を守ってくれなかったのかと、仲の良い男性を糾弾しているように見えたらしい。

 慌てて場の仲裁に入った。

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