第2話 生存計画

 苦しい。冷たい。痛い。

 水面に打ち付けられ、全身が痺れた。緩やかな川の流れに身を任せ、なんとか浮いている状態。だが浮く力もなくなっていき、レティーシャの意識は次第に薄れていく。

 誰かが「しっかりしろ!」と叫ぶ声が聞こえるが、彼女は返事ができない。体がふわっと浮いたような感覚を感じた直後、彼女は気を失った。



 ***



 レティーシャが目覚めた場所は、見覚えのない部屋のベッドの上だった。ボーッとする頭で、薬の香りが強いと思いながら天井を見つめる。



「え!? ここはど、こ――いった」



 ハッとして起き上がろうとした瞬間、全身に痛みが走った。特に右肩が痛く、手で触ると包帯が巻かれている。服装を見れば、藍色のワンピースからアイボリーの寝間着に変わっていた。



「お、やっと起きたな。俺はグレン。ここはルートビア帝国の首都郊外の森にある俺の家だ」



 そうレティーシャに声をかけながら入室してきたのは、若い男性だった。金色の髪とオレンジの瞳は夕暮れの太陽を彷彿とさせ、切れ長の目元からは知性を感じる。別の言葉で言えば、気難しそう。シャツとスラックスというシンプルながらも、品の良さがあった。

 そんな彼はベットサイドの椅子に腰かけ、レティーシャに険しい眼差しを送る。



「お前、川に流されていたんだぞ。覚えているか?」

「川……?」

「あぁ。家の近くの川で流されているところを発見したから保護させてもらった。全身に痣があったから一応手当てをしたが、特に痛むところはないか? 見たところ、右肩が一番腫れていたが」

「痛むところ……って、あなた様が手当を!?」



 ぼんやりしていた思考が鮮明になる。

 どう見てもグレンは男性だ。そして彼は、レティーシャの「全身に痣がある」と言った。



(み、見られた? 嫁入り前なのに、旦那様となる方以外の殿方に……!)



 レティーシャは顔を真っ赤にして、思わず自身の胸元を隠すように抱きしめる。そして同時に王太子に嫁ぐ途中だったことを思い出した。



「あの! 今日は何日ですか!? 王太子殿下の婚約式は!?」

「自分の怪我より王太子殿下のことかよ。殿下の婚約式は一昨日無事に執り行われたぞ」

「嘘……」

「本当のことだ。これを読んでみろ」



 うんざりした様子のグレンが、部屋の外から新聞を持って来てくれる。そこには王太子が、神託によって選ばれた隣国の姫を迎え入れたことが書かれていた。その記事には最新の魔道具で記録された『写真』も載っており、バルコニーから王太子フィリップとともに微笑むリズの姿もあった。

 リズは宣告通りルートビア帝国を騙し、レティーシャとして堂々と王宮入りを成功させたらしい。

 新聞を持つレティーシャの手が震える。



(私はこれから、どうすれば?)



 ルートビア帝国は、リズをメーダ王国の末姫と信じてしまった。今からレティーシャが「私が本物です!」と名乗り出ても、帝国は取り合ってくれないだろう。

 むしろリズの耳に入ったら、手に入れた権力を使って、次は不届きものとしてレティーシャを殺しにくるだろう。

 では本物と偽物を見分けられるメーダ王国の家族のもとに戻り、リズの暴挙を訴えたら――と考えてみるが、頭を振る。

 影武者のリズで上手くいっているのだから、ルートビア帝国との間に荒波を立てないよう、再びレティーシャを隠すように王宮の奥に監禁するかもしれない。いや、監禁で済むなら幸運なほうで……。

 レティーシャは必死に頭を働かせ、この場を乗り切り、生き延びる方法を探す。

 この間グレンは怪しむ表情を向けつつ、レティーシャの反応を辛抱強く待ってくれている。



(そういえば婚約発表が昨日ということは、私が川から落ちた日から今日は三日も経っている。つまりグレン様は見知らぬ私を手当てした上に、何日も看病もしてくれた。口調は粗暴だけれど、すごく良い人なのではないかしら?)



 リズの本性を見抜けなかったことから人を見る目に自信はないが、今はグレンを頼るしかないのも事実。

 腹を括ったレティーシャベッドの上で膝をそろえると、グレンに頭を下げた。



「この度は、お助けくださりありがとうございます! 私の名前はレティと申します。実は容姿と名前も似ているレティーシャ様の大ファンでして、ルートビア帝国で王太子殿下と並ぶ姿を一目見ようとメーダ王国から追いかけてきたのです」

「なるほど。それで、どうして川に?」

「親切に馬車に乗せてくれたと思っていた方が、急に私を襲おうとしてきまして……必死に逃げていたら谷に気付かず、そのまま……」



 あの晩の裏切りを思い出してしまったレティーシャは、肩を小さく震わせた。少しでも気を抜いたら、声を上げて泣きたくなる。

 しかし今は、目の前のことに集中しなければいけない。ここからが本番なのだ。レティーシャは顔をバッと上げると、すかさずグレンの両手を握った。



「ここに置いてください! 炊事洗濯なんでもやります! 恩返しする機会をくださいませ!」

「はぁ!? 家の近くで死なれちゃ面倒だから拾っただけで、恩返しなんて必要ない。それより心配している家族のもとにさっさと帰れ」



 やっぱりグレンは良い人らしい。つけ込める――と思ったレティーシャは両手に力を込めて、ぐいっと顔を寄せた。



「私に帰る家はありません! 頼れる家族もいないし、無職なのです! 夜盗から逃げてきたときにすべてを失いました。雇ってください!」

「なら王都での職探しを手伝ってやるよ」

「実はアパートを借りたり、宿に泊まれるお金もないのです。所持金ゼロなんです! 職が見つかる前に、凍え死んでしまうかもしれません! どうかご慈悲を!」



 季節は春を迎えたばかり。昼間はまだ暖かいが、夜は冷え込む。テントも毛布も、コートもないレティーシャが放り出されたら命が危うい。

 まだ死にたくない彼女は、必死な眼差しを困惑するグレンに送った。

 じっと見つめ合って数秒、諦めたのはグレンの方だった。



「仕方ないなぁ、もう! 俺の言うことは絶対に守ること。仕事について詮索しないこと。最低限の衣食住は用意してやるから、一生懸命に働くこと。俺が新しい仕事と住処を見つけるまでの間だけだ。良いな?」



 手厚い待遇の上に、なんとグレンは次の就職先まで探してくれるらしい。

 生きる希望の糸が繋がった安堵感と、グレンの人の良さに感動したレティーシャは翡翠の瞳にたっぷりと涙を浮かべた。



「ありがとうございます! 私、頑張ります……ぐず、うぅ……うわぁぁぁああああん!」

「ったく、世話が焼ける女だな。このタオルで拭け」

「グレン様、あなたは私の神様ですぅぅうう」

「そう思うなら、ご飯をしっかり食べて、寝て、早く元気になって、崇めるように俺に尽くすことだな!」

「はいっ!」



 こうして転落人生の末姫レティーシャは、偉そうな青年グレンとの同居生活を始めることになったのだった。


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