花嫁の座を奪われた六花の忌み姫ですが、ツンデレ魔術師と森暮らしを堪能中

長月おと

第1話 裏切り


「姫様、私の代わりに死んでくださいな」



 メーダ王国の末姫レティーシャにそう告げたのは、彼女と同じストロベリーブロンドの髪と翡翠の瞳を持つ侍女リズ・ギレットだ。夜の森の中、レティーシャは侍女の手によって馬車の中から外へと突き飛ばされてしまった。

 地べたに座るレティーシャを見下ろすリズは、にっこりと笑みを浮かべている。護衛の騎士たちも御者も傍観し、主であるはずの姫を助けようとしない。



「みんな、どうして?」



 現在レティーシャは、ルートビア帝国の王太子に嫁ぐために移動していたところだ。メーダ王国の都合で、夜の時間帯に少人数で国境に向かう必要があった。限られた人数で姫の安全を確保しながら帝国に連れていくのは、大変な責任が伴う。それでもリズと護衛たちは自ら付き添うと名乗り出てくれため、レティーシャは信用していたというのに……。

 そんなレティーシャの心情を見透かしたように、リズが鼻でフンと笑い飛ばした。



「穢れた姫に一生を捧げて仕えたい人が、本当にいると思っていたのですか?」

「――っ」



 レティーシャの体には痣がある。生まれたときから右の鎖骨にはひし形の痣がひとつあり、それは年を重ねるごとに増え、今では花弁のように六つの青い痣が並んでいた。

 メーダ王国では、生まれ持った痣は前世は罪人だった証と信じられている。つまりレティーシャの痣は王家の汚点とも言えた。


 父である国王はレティーシャを病弱な姫と周囲に説明し、幼い頃から彼女を王宮の奥に隠した。母親である王妃も、兄も姉も、側妃とその子どもも普段は末姫を存在しない妹として扱っている。

 顔を合わせるのは、王家の結束力を示すためのパフォーマンスで見舞いのふりをするときくらい。いつもレティーシャは仲間外れだ。


 それは成長してからも同じ。メーダ王国における成人した令嬢の定番のドレスは、襟元が大きく開いていた。レティーシャがそのドレスを着ると、鎖骨の痣が見えてしまう。

 そのため彼女が十五歳の成人を迎えた頃から、王族が揃わなければいけない式典は、容姿が似ているリズが影武者として参加していた。

 婚約者が選ばれることもなく、レティーシャはこのまま王宮の奥で病弱な姫として一生を終えるのだろうと思っていた。


 そんな彼女に転機が訪れたのは、二十歳を迎えた先月末。大陸一の強国ルートビア帝国が、メーダ王国にこう要求したのだった。



『神より啓示があった。薄紅色の髪に翡翠の瞳、体のどこかに花のような印がある姫が王家にいるはずだ。その姫をルートビアの王太子妃とするため、直ちに嫁がせよ』



 帝国が掲示した特徴は、レティーシャにピッタリと当てはまっていた。

 メーダ国王は忌み嫌う痣持ちの姫を追い出せる上に、ルートビア帝国の王妃を輩出できるとあって、その場で帝国の特使に「喜んで」と返事。

 レティーシャ本人はその話を聞いて一カ月も経たずに、故郷を出発することとなった。

 ようやく、王宮の外に出られる。生まれて初めて自分を求めてくれる人に出会える。そう彼女は期待で胸を膨らませていたのだったが……。



「リズ、あなたの代わりに死ぬってどういうことかしら? 誰かに命を狙われているの? もう少ししたら迎えの騎士たちが待つ、ルートビア帝国の国境に着くわ。私から帝国の方に助力を仰いでみるから、考え直して?」

「あははは! もう王太子妃気取りなのですね。本当に姫様はずるいお方。厳しいマナーレッスンを受け、王族の責務を代わりにこなしたのは全部私だということをお忘れですか? 本来なら、頑張った私がご褒美をもらえるはずですのに」



 貧しい村からリズを見つけて侍女にしたのも、厳しい教育を詰め込んだのも、影武者として働かせたのも国王だ。レティーシャの意思は、そこに一分たりとも含まれていない。王族の責務も、公の場に出る式典以外はきちんとレティーシャがやっていた。

 侍女として側にいたリズこそ理解しているはずなのに……。



「ご褒美って……まさか」



 リズの考えていることが恐ろしくなり、レティーシャはお尻をついたまま後退った。



「えぇ、同じ髪と瞳の色、似たような顔立ち、年は私がひとつだけ上……メーダ王国の国民はもちろん、貴族の誰も私が影武者だと気付きませんでした。ルートビア帝国を騙し、姫様に成り替わるなんて簡単なことでしょう?」

「でも、神託の花の痣が――」

「そんなもの、付ければ問題ありませんよ。とても似ていると思いませんか?」



 リズは、ブラウスの襟元を開いた。そこからのぞく鎖骨には、くっきりとした花弁が六枚並んだ印があった。つい先日までなかったことから、急ぎ焼き印か入れ墨を入れたのだと分かる。



「そんな……」

「ということで、私がルートビア帝国の王太子妃レティーシャとして嫁ぎ、姫様は侍女リズとして死ぬのです。レティーシャと間違われ夜盗に襲われた可哀想なリズとして……ね? 血なまぐさいのは苦手ですので、馬車で待たせてもらうわ」



 リズがそう言って馬車に乗り込んだタイミングで、傍観していた騎士ふたりが剣を抜いた。月光に照らされ、刃が青白く光る。



(死にたくない!)



 レティーシャは咄嗟に森の中へと駆けだした。



「ま、待て!」



 震えるレティーシャは動けないと、油断していた騎士の反応が遅れた。その間に茂った木の枝や葉が月光を遮り、藍色の旅装束用のワンピースを着ているレティーシャを闇に隠す。

 だが、ガサガサとした葉擦れが彼女の居場所を知らせてしまい、完全に騎士を撒くことができない。王宮に引きこもっていたせいで体力のないレティーシャの息は上がり、足も重くなっていく。



(何も悪いことしてないのに、どうして? 私は幸せになれないの? やっぱり前世は罪人だったの? 神様……私は何のために生まれたのですか!?)



 そう天に訴えたとき、足元が浮いた。正確には大地が途切れ、レティーシャの体は谷の真上に飛び込んでいた。反射的に顔だけ後ろを振り向くと、唖然とこちらを見る騎士と目が合った。

 彼らが伸ばしていた手を引っ込めるのが、異様にゆっくり見えた。

 そのままレティーシャの体は真っ暗な闇の世界に落ちていき、ドボンと音を立てて水の中へと沈んだ。

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