番外編5 王都の学生1
ハービーがエディンビアを離れる時……特にパース、プレジオ、フューリーにしばしの別れを告げた時は、自分にこれほど激しい感情があることに驚いたほど彼は大泣きした。
ケルベロスは涙こそ流さないが、尻尾も耳も垂れ下がり、上目遣いの寂しげな瞳が六つ、クンクンと小さな鳴き声を上げながら大好きな家族を瞳に焼き付けようとじっと見つめていた。
トリシアはそれを見て貰い泣きをしないよう必死だ。王都は遠い。スムーズに行き来できたとしても片道一週間はかかる。王都にはケルベロスのような強力な魔物はたとえテイマーによって使役されていたとしても連れ歩くことは禁止されていた。現状、次に会えるのはいつかもわからない。
ハービーはこれから最低三年間、王都師範学校へと通う。卒業後は『先生』を名乗ることができ、文字通り各地で教師として働けば公務員のような扱いとなって国や領から給金が出る。
この職も冒険者と同じように平民が地位を得る方法の一つとされていた。また貴族や商人の嫡子以外、家を継がない子弟達がその職を目指すことも多い。卒業後は教師としてだけではなく、貴族や金持ちの家庭教師として実績を作り、教え子が有名になればその『恩師』として名を馳せたのだ。
受験前は
だが決まってスプーンを落としたり、雨の後の裏庭のぬかるみに足を滑らしたのはトリシアだった。この巣の中の住民のほとんどは体幹に自信のある屈強な冒険者。ヒーラーのトリシアは残念ながら体のつくりは標準的だ。
『ご、ごごごごめんね……すべったのは私だからっ!』
『気にしないでください! にゅ、入学はそれほど難しくはないんです……!』
門戸は広く開かれており、入学に身分や年齢制限はない。ハービーも無事入試には合格した。やる気のある者は誰でも受け入れられる。学費も高くない。だがこの学校、卒業するのがかなり難しい。だからこそ王都師範学校を卒業した『先生』は尊敬の対象となるのだ。
「綺麗な女の人から誘われたからって簡単についていったらダメよ!」
「おいしい話には裏があると思ってね!?」
「親切にされても簡単に信用しないようにしないとよ!?」
王都での学生生活が決まった後、トリシアの心配性が爆発し、出発前まで同じことを何度も繰り返していた。ハービーも緊張した面持ちでコクコクと頷き続ける。
「大丈夫だって。あれでハービーのやつなかなかたくましいからよ」
「生きてく力はあるよな~」
「アワアワしてても大元はしっかりしてる」
巣の男性陣、アッシュもダンもルークもハービーの心配はしていなかった。だが、キッ! とした目でトリシアから視線を向けられた瞬間、
「まあ気を付けるのにこしたことはないな」
と、口をそろえて言いなおした。
「王都はエディンビアとはまた違う怖さがあるんだから!」
街中に魔物はいないが、人間が人間を食い物にしている街。それが王都。とはいえトリシアも実際に行ったのは一度だけなのだが。それでも誘惑の多い街だということはすぐにわかった。
ハービーはトリシアの貸し部屋に住む直前、パーティの仲間から裏切られている。トリシアは最初、彼がケルベロスを
(どうりで……あれだけ高ランクの素材が採取できてるのに質素倹約してたし)
男性陣からすると、失敗から学べばいいと、それでもうまく生き抜いたハービーを褒めていたが、トリシアからしてみれば大事な入居者がそもそもそんな状況になること自体が許せない。
「なにかあったらすぐにチェイスさんに相談するんだよ! 手紙も書いてね!」
「は、はい……!」
それでようやくハービーは心配性のトリシアから解放された。チェイス・ウェイバーとハービーは龍の巣で暮らしたタイミングは違ったが、チェイスがなにかと理由をつけてエディンビアに戻って来るのですっかり仲良くなっていた。
これから王都で暮らすハービーのために部屋も探してくれていた。というより、彼の実家であるウェイバー家別宅の一室を貸し出したのだ。ウェイバー家はヒーラーの才能のある子供達を集め育てている。そこの一室が余っていたので快く提供してくれた。
……もちろん、心配性のトリシアを見越してウェイバー家が彼女に恩を売っておきたいという気持ちもある。
◇◇◇
(わぁ……本当になにもかも高いな……)
王都での生活は驚くことばかりだった。まず、なにもかもが高い。家賃に食品に日用品、古着に馬車賃……なにもかもがこれまでと違う。彼も冒険者として各地を転々と暮らしていたが、ここまで物価の高い街は初めてだ。チェイスの実家、ウェイバー家に間借りできたのがいかに幸運だったかハービーは実感した。
(高い建物ばっかだ……でも道は覚えやすい……)
エディンビアとは違い街全体が碁盤目状になっており、番号が振られていたのでたとえ迷っても自分が現在どのあたりにいるかは想像しやすかった。
「おーい!」
「あ、ビアールドさん、こ、こんにちは!」
師範学校への道中、同級生と挨拶をかわす。ビアールドはハービーより十歳年上だ。その他の学生もハービーより年上であることが多い。彼らは師範学校に入学するため、在学期間中の王都での生活費を先に稼いでおく必要があった。場合によっては働きながら学校に通う者もいる。
この学校の中で、ハービーは資産家の学生の側に立っている。金銭的な理由のせいで若いうちから師範学校に入学できる平民は少ない。王都に家がある者か、実家が裕福な者、そのどちらでもなさそうなハービーは同級生から奇妙な目で見られていた。
道すがら、ビアールドは意を決したようにハービーに尋ねた。彼の生い立ちを。
「おまえが冒険者!? あ、すまん。……体つきが細かったからよ。魔術師かなんかか?」
「あ、いえ。相棒が強くって……」
「けど冒険者ギルドの評価って厳格だろ~? C級まで行けたってことはそこそこやれんじゃねーのか!?」
「ど、どどどうでしょう……魔物の解体作業は得意なんですが……」
ケルベロスのことをどう説明するか迷いながらも、興味津々とキラキラした目でハービーに向き合うビアールドとの会話を楽しんでいた。
「はっ……どうりで魔物くさいと思った」
突然隣から、ハービーと同じくらいの年齢の青年が吐き捨てるように言葉をぶつけた。
「えっ!? あ! すみません! お風呂には入って来たんですが……」
「皮肉も通じないなんてな……おまえじゃ卒業は無理だろうよ」
ポカンとするハービーを横目にその青年はスタスタと先を歩いて行った。
「聞き耳たてといてなんだよ」
ビアールドは不満気だ。この気のいい青年が馬鹿にされて腹立たしい。だが、そっと声を潜めてハービーに忠告する。
「あの野郎とは関わらない方がいい。レイヴァー伯爵家のお坊ちゃんだ」
ジャスティン・レイヴァー。伯爵家の五男坊。レイヴァー家はあまり素行の評判がいい家柄ではない。だがハービーはなぜか、彼のことが嫌いにはなれなかった。なんだか淋しそうな瞳が、別れ際のケルベロスに似ていたからかもしれない。
(僕だけじゃなくって誰かれかまわず嚙みついてるしなぁ)
そんな場面を何度も目撃していた。四方八方に喧嘩を売っている。ある意味平等に。平民にも貴族にも同じ態度だった。そのせいか伯爵出身という肩書を持ちながらも彼に取り巻きはおらず、いつも一人だった。
師範学校といえども身分をアピールする貴族は多くいる。平民とは血筋が違うのだ! だから頭の出来も違うのだ! と、息巻く者も多い。
「アイツらと違ってその若さで親の金じゃなくて自分で稼いだ金だろ~すごいよ本当に」
「……相棒のおかげです」
「いい相棒だったんだなぁ」
そうビアールドが言ったのは、謎の相棒が金を稼いでくれるから、ではなく、ハービーが愛おしい者を思い出す表情をしていたのを見たからだった。
ハービーはトリシアに出会ってから彼女に倣い貯蓄をしっかりしていた。同じ孤児出身の女性が、あんな
冒険者階級こそC級止まりで、魔物の狩り自体はケルベロスありきだったが、毎日のようにケルベロスの食べ残しの魔物の素材を納品し続けていたのだ。
質素な暮らしに抵抗もなく、これまでのように旅費はかからず、自炊もしていた。特に使うあてもない報酬はどんどんと貯まる一方だった。トリシアの貸し部屋での生活は、ハービーのライフスタイルにとてもあっていたのだ。
だから今、ハービーには十分な資金がある。そうしてそれに気づいた一部の学生達が人気のない校舎の裏庭にハービーを呼び出したのだ。
「なあ。ちょっとでいいから貸してくれよ」
「倍にして返すからよぉ」
夢と希望を抱いて師範学校の門をくぐったにもかかわらず、大都会の王都で悪い遊びを覚えてしまった者も多い。
(ああ! これ、トリシアさんが言ってたやつだ!)
本当にあるんだなぁとハービーはしみじみと感動に近い感覚を味わっていた。これまでは側にケルベロスがいたので、誰もハービーからカツアゲしようなんて輩はいなかったが今は違う。ただの細身の孤児が大金を持っている。
「ダメです」
ハービーはハッキリと答えた。トリシアから言われたように。他にとらえようがない言葉で断る。
「ハア? 孤児の分際で生意気すぎんだろ! オマエらに食わせる餌だって俺らの税金から払ってたんだぞ! それを返せって言ってんだよ!」
「オレらの親がその気になればすぐにオマエ程度潰せるからな!」
今度はハービーの出自や親をチラつかせて凄んでくるが、これもトリシアから聞いていた通りだ。
「ダメです。税に意見があるなら領主様や王政へ。お金の工面ならその素晴らしい力をお持ちのご両親にお願いしたらどうですか?」
自分の口からこんなにもスムーズに小憎らしい言葉が出てくることに驚いた。トリシアに練習させられていたからだ。
(フフッ! トリシアさん、変なこと言わせるなぁって思ってたけど……)
そうしてその次の展開もハービーは聞いていた。暴力だ。
「グァ!!!」
「イッテェ!!!」
殴る蹴るの暴行が始まるはずだった。だがハービーにはかすりもしない。ヒョイヒョイと軽くよけ続ける。熱くなった男達は結局お互いにお互いの攻撃が当たってしまっていた。
だがそれに何よりも驚いていたのはハービーだ。
(怖くない……)
彼に力がないといっても、長らく冒険者の世界で生きてきた。元々逃げたり隠れたりするのは得意だった。ケルベロスの戦闘中、邪魔にならないよう移動することは多々あるからだ。
それに直前に住んでいたのは冒険者の聖地エディンビア。酔っ払い同士の喧嘩の方が彼らの攻撃よりよっぽど迫力があった。
さらに言うと、彼が少し前まで住んでいたのは『龍の巣』と呼ばれるような冒険者の集合住宅。家主と管理人と自分以外は冒険者として『武』に自信のある猛者ばかり。毎日彼らを側で見てきたのでハービーも目が肥えていた。
「何をしている!!!」
ジャスティン・レイヴァーがビアールドに半分引きづられながらやってきたかと思うと、激昂するようにそのカツアゲに失敗した生徒達を怒鳴りつけた。
「これが一度でも『先生』と呼ばれる人間を目指した者がすることか! 嘆かわしいを通り越して無様で惨めでなんと醜い! 視界にも入れたくないな!」
結局これをきっかけに、相打ちで顔を腫らした彼らは王都での爛れた生活態度が明るみに出て親元へと帰されたのだった。
「やっぱ権力って偉大だな〜〜〜」
ニヤニヤとそれを観戦していたビアールドは悪気もなくそんなことを言う。
以来、ハービーはジャスティンと仲良くなった。というより、ハービーが一方的に彼を慕ったのでジャスティンも悪い気はしないのか、いつしかハービーに冷たい言葉を吐くことはなくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます