番外編4-2 ゲストルーム
(巴投げ!!?)
トリシアは柔道に詳しくはないが、どうやら彼女はそんな体勢で大きなダンの体を吹っ飛ばしたようだ。
(というか姉貴!? お姉さん!?)
ダンの妹……ピコの母親の話は聞いたことがあるが、まさか姉もいたとは。と、その場にいた巣の住人は固唾をのんで状況を見守る。
そして同時に彼女達はケルベロスがギョッとしている姿を初めて見た。ハービーも驚いているところを見るに、彼にとっても初めてだったようだ。指示を仰ぐように戸惑っている3つの顔がハービーを見ていた。
「だ、大丈夫……! たぶん……」
本当に? そうなの? ふーん。 と、それぞれのケルベロスの表情が変わる。
(悪意はないってことね)
安心していいのかそうじゃないのか……。
イテテ……と、ダンが起き上がった。ゾーイは既に立ち上がって仁王立ちになっている。
「アンタ! 言うことがあるでしょう!!!」
「悪かったよ……連絡が遅くなって」
2階から双子も下りてきた。なにかあれば参戦しなければと武器まで手に持っている。リリが前に、ピコを抱えたノノが後方にいてこちらも慎重に様子をうかがっていた。彼らの野生の勘をもってしても、ゾーイが危険かどうか判断がつかないようだ。
フゥ……と、少しだけ息をはいてゾーイはピコの方へ視線を向ける。
「あの子かい? カトリーナの子は」
「……ああ」
その答えを聞いた瞬間、ポロリ……とゾーイの目から涙が零れ落ちた。
「まったく……! あの子はこんなかわいい子を遺して……」
「ああ……」
(3人とも、同じ瞳だ)
温かなオレンジ色の瞳だ。
今世に血の繋がりのある存在がいないトリシアは、なんだか急にそれが羨ましくなった。
◇◇◇
1階のスペースで、ティアが全員分のお茶を入れてくれていた。ピコはテトテトと歩き回っている。その後ろには双子が、いつ転んでもいいように付いて回っていた。それを見てゾーイの目じりが下がっている。
「使用人付きの貸家なんて、ずいぶんいいところに住んでいるじゃないか」
ありがとね。とティアに礼を言いながらお茶を受け取りゾーイは美味しそうに飲んでいる。
「ああ。使用人というかこの建物の管理人で、ピコの面倒も見てもらってる……」
今日のダンは珍しく自信なさげな面持ちだ。いつもは頼りになる兄貴分なだけに、トリシア達はなんだか不思議な気持ちになっていた。ダンは姉を前にずっと居心地悪そうにしている。叱られるのがわかっている子供のようだ。
急にゾーイがハッとして立ち上がった。全員が同時にビクつく。
「しまった……! アタシとしたことが挨拶もしないで……ずっと考え事ばかりしていたから……」
どうやらダンに会う前はかなり悶々としていたようだ。
「アタシはゾーイ。ダンの姉です。弟が……姪っ子が世話になっているようで」
「こ、こちらこそ……!」
全員がペコペコと頭を下げる。
「つい最近までピコのことを知らなくってね。ダンが傭兵団を辞めてたことも」
「……ごめん」
ギロリとひと睨みされダンはまた謝っていた。ダンが傭兵団を辞めて冒険者になって、いや、ピコを引き取ってすでにかなり経っている。彼はつい最近、そのことを故郷の姉に手紙を出して知らせたそうだ。
(この話、聞いてもいいのかな?)
かなりプライベートな話になる予感がしたトリシアは、気を使って声をかけた。
「あの、よければピコと出かけてきますよ。ゆっくりお話し……」
「わぁぁあトリシア! 気を使わなくていい!」
ダンは慌ててトリシアの言葉を遮った。
「なんだいアンタ! アタシと2人っきりじゃ嫌だってのかい!?」
「い、いや……その……」
ごにょごにょと言葉を濁す。どうやら言われた通り2人っきりは嫌なようだ。
この姉に勝てる気がしないのだろう。だが、トリシア達がこの場に留まってくれることがわかると、ダンは一度大きく深呼吸をした後で意を決したように姉ゾーイへと向き合った。
「それで姉貴、今日はなんでここまで?」
「なんでってアンタそりゃあ」
聞いていながらダンは彼女の言葉を遮った。
「ピコは俺が育てる! ここ綺麗だろう!? 部屋もあとで見てもらってかまわねぇ! ちゃんとしてるからよ! それに今はもう昔みたいに向こう見ずな戦いはやってねぇし、金だって稼いで貯めてる! もちろんそれでも何かあるかわからねぇから最悪の場合は姉貴にお願いすることになるかもしれねぇけど、ピコがデカくなるまで問題ないくらいの金は残せるはずだ!」
言葉数で圧倒するようにゾーイに向かって一息でしゃべり切った。元々考えていた言葉のようだ。そうして、
「ピ、ピコを連れて行かないでくれ……」
絞り出すような言葉だった。
ピコの足音以外聞こえない。トコトコとダンの足をギュッと抱きしめ、ニコ~と笑っていた。ダンが抱き上げるととても満足そうにしている。
「ピコにしてみたら、この街にいるより姉貴の側にいた方が安心で安全なのかもしれねぇけど……俺にはピコが必要なんだ……」
ダンにも迷いがあったのだ。ピコのことを一番に考えれば、スタンピードが起こる可能性のあるエディンビアにいるより、姉の元にいた方が心穏やかに暮らせる可能性が高いことはわかっていた。
少し前、そんなことをポソリとトリシアに話していたのだ。
『ピコにとって一番いい環境ってなんだろうなぁ』
子育て環境だけではない。ルークの母親の話を聞いて思うところもあったようだ。親の役割、本人の気持ち、そして幸せ。どうしたら叶えてやれるだろうか、と親らしく悩んでいた。
『そりゃあダンさんの側でしょ。少なくとも今は』
『……そうか?』
そうか? の、内容が自分もルークの母親のようになってないか心配だ、という意味だとわかっているトリシアは、念を押すように言う。
『完璧な親なんていないですけどね……。2人一緒にいたら、ダンさんも幸せ。ピコも幸せ。シンプルですよ』
子育て経験はないが育てられた経験はあるトリシアの精一杯の答えだった。だが傍から見て、ダンがルークの母のように独りよがりな愛をぶつけているようには見えない。いたって
難しく考えてしまうのは、ダンが未だに救えたかもしれない妹を死なせ、この子の親を奪ったと言う負い目を感じているからだろう。
トリシアの言葉にダンは背中を押してもらえた気持ちになった。ずっとこの件を黙っていた姉に手紙を出したのだ。妹の夫婦の死、姪っ子の存在。自分が冒険者になって育てている事。元気にやっている。そうしたためた。
あの姉のことだ。いつか自分に一発ゲンコツを与えにやってくることは覚悟できていた。大切なことを隠していたからだ。……まさかこれほど早くエディンビアまでやってくるとは思ってもみなかったが。
切羽詰まったような顔の弟をみて、ゾーイは呆れたような声になる。
「アンタねぇ……アタシは
「……へ?」
ダンはあっけにとられたように口をポカンと開けていた。そこにピコが手を突っ込もうとしている。
(一発かます気はあったんだ……)
と、一同思うがもちろん表情には出さない。
「アンタはここぞという時に運がいいね。こんないい所に住めて、子育てもずいぶん助けてもらっているようじゃないか。全く……教えてくれてりゃ手土産もちゃんと用意したのに!」
今度は叱るような口調だった。身内が世話になっているのに、自分はなんて礼儀知らずなんだと顔をしかめている。
「ガウレス団長にはちゃんと礼を尽くしたんだろうね!? あの人のお陰で我が家はなんとかなったんだから」
「ちゃ、ちゃんと義理は果たした! 団長もわかってくれてる!」
ダンが傭兵団に入ったのは他の誰とも同じ金の為だった。家業にトラブルが起こり、さらに彼の一番下の弟が病に倒れたため長期間ヒーラーを雇う必要があり、金が必要だったのだ。両親やゾーイ、他の兄弟も金策に走ったがだんだんと首が回らなくなってきていた。
そんな時、ダンの戦闘力に目を付け悪い奴らが近づいてきていたが、そこに割って入ったのがガウレス傭兵団の団長だった。ダンに傭兵団へ入るための支度金という名目で十分すぎるほどの金を渡し、それで彼ら一家は助かった。
(人に歴史ありね~……全然知らなかった……)
ダンは飄々と淡々と生きているように見えたのだ。いつも余裕がある。ピコに関して以外。だがゾーイによるとそれなりに苦労があったことがうかがえる。
(ダンさんって義理堅いし情に厚いもんな)
そんな自分がわかっているからこそ、出来るだけ淡々と生きているのかもしれないとトリシアから優しい笑みがこぼれる。
「本当に……墓参りだけか?」
「そーだよ! 全く……私をなんだと思ってるんだい! 好きで親と子を引き裂くわけないだろう!」
もちろん、ダンが上手くやっているかは確認するつもりでいたが、元来面倒見もよく責任感も強い弟のことは知っているのでそこまで心配はしていなかった。
「だってよ……昔俺がワイバーンの幼体を飼おうとした時、取り上げただろう? オマエには無理だって言って……」
(えっ!!?)
と、全員がダンの方をありえない者を見る目で見た。あの双子ですら。
「いやいやいや! 俺だって今はわかってるぞ!? まずいことしてたって……だけどあの時のこと思い出しちまって……つい、先延ばしに……」
視線に気が付いて焦りながら言い訳し始めた。実にダンらしくなくて、少し笑いだしそうになるのを堪えている者が何人かいる。
「あの後、案の定親竜がやってきて大騒動さ!」
鋭い目つきでダンを睨むゾーイにハービーが尋ねた。
「あ、あのそれで、どどうなったんですか?」
「姉貴が倒したよ……」
答えたのはダンだ。
「いい値段にはなったがね!」
フン! とゾーイは息巻く。
(わぁ~……ワイバーン倒すって……どれだけ強いのよ)
それも昔の話という話だ。下手したらダンより強いのかもしれない。
「まあでも。本当に安心したよ。上手くやってるようでね。ちょっと手伝いがいるかと思って、家にはしばらく帰らないって言ってきたけど必要なさそうだ」
トリシア達を見渡して微笑む表情が、ダンとよく似ていた。
◇◇◇
「ゾーイさん! しばらくこの街で冒険者やらないかい!?」
帰ってきたアッシュと酒盛りをしながらゾーイはご機嫌だ。アッシュはもちろん、彼女の強さに気が付いていた。
「嫌だね。アタシは今の仕事が気に入ってんだ!」
「そういえばゾーイさんて何をされてるんですか?」
トリシアも今日は酒に付き合っている。ダンの可愛らしい子供時代の話が聞けたからだ。
「我が家は代々羊飼いだよ。まあ実際は羊以外にも色々ね」
この世界、魔物以外の家畜は魔物でもないのに凶暴なことが多い。その身を守るためか、サイズも大きく角や歯も鋭い。なかなか体力気力ともに必要な仕事だ。
「忙しい時期に悪かったな……」
「そうだよ! 冬まで待てるもんかい!」
草木が生い茂る暖かい時期はゾーイ達は繁忙期なのだ。ダンはそういう時期を狙って手紙を送ったことが姉にバレていたことに気付き、今日何度目かになるシュンとした姿を見せていた。
(ダンさんがこうも空回りしちゃうのなんて……恐るべし血縁者……)
◇◇◇
「わ! そういえばゲストルームに誰かの親族が泊まるのって初めてね!?」
「そうですね」
ティアと一緒に後片付けをしながら、トリシアは新鮮な喜びが湧いてきたことに気が付く。ついにゲストルームがその目的を果たしたのだ。
ゾーイはもちろんその泊まり心地を気に入ってくれた。結局そのまま十日ほどエディンビアに滞在し、墓参りをし、ピコの衣食住を整え、
「ダンとピコのこと、本当にありがとう。……なにかあればすぐに連絡を。なんでもいい。トリシアさんが困っている時もだよ? アタシの力が必要ならすぐに駆け付けるから」
そうやって大きな両手でトリシアの手を包み込んだ。
「ダン! アンタ、大家さんのこと大切にするんだよ!」
「わかってるよ!」
最後にダンの背中をバシンと叩き、ピコを優しく抱きしめ、ゾーイは帰っていった。
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