番外編4-1 どちら様
その人は唐突にやってきた。大柄の、穏やかなオレンジ色の瞳を持つ女性だ。腰まである長いブロンドヘアは綺麗に手入れされていた。年齢はアッシュと同じくらいだろうか。服装からして冒険者や傭兵ではないが、旅人であることはわかる。大きな荷物をもっているからだ。だがティアはこの街にいる高レベルの冒険者と同じような貫禄を彼女から感じ取った。
「突然すまないね! ここにダンっていう冒険者がいるはずなんだけど。呼んでもらえるかい?」
この時、入り口の前で一番初めに対応したのは、掃除をしていたティア。勢いのよさと、少しだけ女性から怒りのような負の感情を感じとったため、少々警戒する。もちろん、相手には悟らせないように。彼女はポーカーフェイスが得意だ。
「恐れ入りますが、お名前を伺えますでしょうか」
そう聞いた頃には、中庭を通って建物内に入ってくるケルベロスの気配を感じた。ケルベロスは悪意に敏感だ。だがこの女性に悪意があれば、すでにティアより前に出て恐ろしい牙を見せつけているであろう彼らは、まだ様子を窺っているようだった。
ティアはさらに緊張する。いったいこの女性はダンになんの用事があるというのか。
(ピコを預けてたという娼館の主人かしら……どこかの食堂の女将さん? けどダンさんは支払いを踏み倒すような人ではないし……傭兵団の昔馴染み?)
ダンに女の気配はない。ピコの成長を側で見るのが楽しくて仕方がないようだ。ティアはあれこれ頭を悩ませながら、失礼があってもいけないといつも通り丁寧に対応する。
「ゾーイが来た。そう伝えとくれ」
「少々お待ちを」
ティアはゾーイを巣の一階のテーブル席に案内する。彼女は一瞬、待ち構えていたケルベロスを見て目を見開くが、
「なんだい。ずいぶん珍しい番犬がいたもんだね!」
と嬉しそうに声を上げた。番犬達は挨拶をするように尻尾をゆっくり振ると、中庭と建物の入り口の辺りに伏せて陣取る。やはりまだ判定待ち、というところだろうか。
――トントン
ティアは小さく音を立ててダンの部屋をノックする。だが、出てきたのはダンではなかった。
「……ダンは買い物。修理に出してる短剣を取りに……」
「私達は、留守番中……」
双子は昼寝中のピコの子守りをしていた。最近双子はピコのいい遊び相手で、たとえ昼寝から覚めてダンがいなくとも双子を見れば泣きわめくことがないだろう、というくらいいい関係ができている。ダンから見ると、双子はピコの最強の護衛だった。彼女が自分でコケることさえ許さないと、一瞬の出来事にも反応し、双子と一緒にいる時はかすり傷1つつくことがない。
『こ、転んで強くなることもあるからよぉ』
と、あまり口出しなどしないダンがつい言葉にしてしまうほど、完璧な護衛だった。
「……ティアが買い物に行っている時だったから僕達が」
ダンは基本的にピコを預ける時はティアにお願いする。だが今日はたまたまタイミングが合わず、それに気づいた双子が積極的に立候補したのだ。彼らはピコといると、なんだか心がフニャフニャと柔らかくなることに気付いていた。
「それはすみませんでした。……ダンさんがいつ頃お戻りかわかりますか?」
「遅くはならない……と、思う」
「……ピコが起きるまでにできれば帰りたいって言ってたから」
寝入っているピコが起きないようコソコソと小さな声で会話を続ける。
「お客さん……ダンに?」
「ええ」
「……強い人?」
「やっぱりそうなんですか?」
素人のティアにもわかるほど圧のある人物だった。その気配が二階にまで流れてきていたのだ。
「気配を隠す気がないから……本職ではないと思う」
「……本職じゃないのに強いのが問題かも……」
気配を隠す必要がないのか、隠す気がないのか……。
3人でどうしよう……と、目を合わせる。
(困ったわ……今、巣にいるのって……)
トリシアも今日はスピンの仕事先の工房へ打ち合わせをしに出掛けていた。ルークは依頼を受けて昨日からおらず、アッシュは冒険者ギルドにいる。エリザベートはダンジョンだ。
「あ、あれ? どうしました?」
ハービーが部屋から背伸びをしながらでてきた。彼は最近ダンジョンへ行かない時間はずっと勉強をしている。ケルベロスと2人、いや4人で食って生きていくために冒険者をしていたが、本人は相変わらず非力で冒険者に向かないことを自覚していたので、トリシアのように何か別の道で収入を得ることができないか模索しているのだ。
『プレジオ達にとって恥ずかしくない家族でい、いたいんです!』
と、意気込んでいた。もちろんそれを聞いた巣の住人は、ケルベロスがそんなことを気にするか? いやしないだろう。と誰もが頭に浮かんだが、もちろん口には出さなかった。彼のやる気をそぐなんて野暮な発言はしない。
「ダンさんのお客様がいらっしゃっているのです。……プレジオ達が側に。お相手は少しも怯えていらっしゃいません」
「あ……あー……あぁ……な、なるほど」
ハービーはすぐに状況がつかめたようだ。ティアがどうしようか困った表情になる理由も。
今、巣にいるのはコミュニケーション能力が弱めのメンバーと犯罪奴隷。ケルベロスがその客人の側に陣取っているということはなにかと不穏な気配を察したからだ。そしてその恐ろしいケルベロスが側にいても怯えない胆力の持ち主が今一階にいる。
もしなにか揉めた場合、穏便にその客人に対応できるスキルを持つ人間が今この建物の中にいない。
「ぼ、僕が行きますよ。プレジオ達の表情でわかることもお、多いですし。お二人は、ねねね念のためこのままピコの側に」
「わかった……」
「……なにかあればすぐに行くから」
階段を下りながらティアがハービーに礼を言う。ティアのことを知っている近隣住人や冒険者なら問題ないが、犯罪奴隷相手だとわかると、それだけで攻撃的になったり嫌がる人間もいるのだ。
「ご面倒をおかけして申し訳ありません」
「い、いえいえそんな! 僕がや、役に立てることがあって嬉しいです」
そして二人は階段を下りて目に入ってきた光景を見て同時に目を丸くした。
((
ありえない。初見で、しかもハービーが側で見ていたわけでもないのに。恐れもせずにあのケルベロスを撫でている。ケルベロスも受け入れていた。むしろ力強くわしゃわしゃと撫でられるのは気持ちがいいようで、三つの頭が次は自分を撫でろとグイグイアピールしている。
(いったい本当に何者かしら……)
「ああ。アンタの犬かい? いい犬だね。しっかり務めを果たしてる」
「あ! ありがとうございます! あああの……」
怖くないんですか? とハービーは聞きかけてそれを辞めた。ハービーの方が彼女の威圧感に押されて萎縮してしまったのだ。
(ううう……僕の役立たず……!)
するとすぐにケルベロスはハービーの側へとやってきて体を擦り付ける。彼が安心するように。それをみたゾーイは目を細める。
「失礼。いい家族だね」
「……はい! そ、そうなんです!」
ゾーイの雰囲気が柔らかく変わっていくのがわかった。どうやらケルベロスを撫でたことと、ハービーとの関係性を見て荒れていた心の波が治まったようだった。
「恐れ入りますが、ダンさんは今お出かけになっておりまして」
ここでようやくティアが用件を伝えた。彼女もいつものポーカーフェイスだが、内心ほっとしている。
「そしたらしばらく待たせてもらえるかい? どうしても会いたくてね」
「ええ、もちろんです」
そうしてゾーイにお茶を、と厨房へと入っていった。
「ずいぶんいい所に住んでるんだね」
裏庭の方の扉は開いていた。気持ちのいい秋風が入ってくる。扉の向こうには庭に咲く草木が揺れていた。それを見てティアに案内された席に座っているゾーイは何故か満足そうだった。
「は……はい! ぼ、僕、本当の家ってどうなのか知らないんですが、たたたぶん、ここがそうだなって……」
それを聞いてまた彼女は満足そうにうんうんと頷く。すると、正面入り口の扉が開いた。彼女の目的の人物がこの建物の主と一緒に帰ってきたのだ。
「あら? お客様?」
トリシアはにこやかに挨拶をする。すでにこの空間は穏やかになって……いたはずだった。
ケルベロス達が何かに反応するかのように6つの耳をピンと立てる。
トリシアの隣にいるダンが、その女性を見て反射的に後退りをしていた。その姿にトリシア達は驚く。彼がこんな行動したところを見たことがない。ケルベロスにすら恐れる様子を見せたことがないのに。
「あああああああ、姉貴……!?」
え!!? と、トリシアとハービーはおもむろに立ち上がったゾーイの方に視線を遣った時には既に彼女はその場にいなかった。
「うわぁぁぁぁぁ!」
「!!?」
そうしてお茶を運んできたティアの目の前を、スポーン! とダンの大きな体が飛んでいき、綺麗に扉を潜り抜け、裏庭へとドサリ、という音を立てて落ちた。
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