第12話 前世

 トリシアの貸し部屋2号棟の改修は、石運び祭り終了後すぐに再開され、もう間も無く完成するところまで来ていた。


「トリシアさんのアイディアのおかげですから!」


 スピンは相変わらず忙しそうだが、本来の大好きな自分の仕事をやっているせいか生き生きとしている。お茶を飲みに巣に立ち寄れる日も以前より増えていた。


「いやいや! 私本当にそのアイディアだけですよ!? それを実行に持っていくのが1番大変なのに……」


 自分の功績になるには大きすぎるとトリシアは恐縮した。今回は特に実働は救護所にいたことくらいだ。しかもほとんど仕事はなかった。

 なのに2号棟はエディンビアの他のどの建物より、かなり優先して作業工事を進めてもらっているのだ。


「何事もきっかけって大事なんですよ。トリシアさんの考えを殿下が気に入ってくれたおかげで、僕たち本当に助かってるんです!」


 賞金も副賞も出してくれましたし。と言う現実的なコメントも添えられた。

 エディンビアは資材も人材もまだ決して足りているわけではないが、それでも祭り前よりずっと状況は良くなっていた。


「気にすることはねぇよ。お前がいなきゃ今頃もっとひでぇ状態になってたんだからな。他の連中もわかってるからなんも言わねぇんだ」

「そうですよ! 皆なんとか乗り切れそうってホッとしてるんです」


 トリシアの方もルークとスピンのその言葉で心の荷が降りた。これで心置きなく2号棟の入居者を募集できる。

 スピンはトリシアに最終のスケジュールを告げてまた仕事へと出掛けて行った。


「ずっと前から思ってたんだが、お前ってなんでそう色んなこと思いつくんだ? エリザベートにアドバイスもしたんだろ?」


 心臓がドキリと跳ね上がる。ついに話す時が来たのだと。


「孤児院の図書室って言ってもそんな種類があったわけじゃなかったしな」


 ルークはトリシアの教養がどこから来ているか不思議に思っていた。以前は単純にトリシアが賢いのだと思っていたが、冒険者になった彼女との時間が増えるにつれ知識量に驚かされることの方が多いのだ。

 

 トリシアがルークに言わなかったのは……彼への恋心を自覚するまで、この事を誰にも言うつもりはなかったからだ。言って何になるのだと思っていたし、ただの社畜でしかなかった自分の知識がこの世の為に使えるとは思わなかった。

 もちろん、トリシア自身の人生プランを考える上では役に立ったが、様々な魔道具を世に出したウィリアム・クラウチとは違って、この世界に何か残そうなんてことは少しも考えなかった。

 引き継がれた人格と知識、それに価値観モラル。これらは早い段階で人生設計をするのに役には立ったが、今世で生きづらい原因にもなるものだった。


 恋心を自覚した後も言わなかったのは、単純に変な女だと思われたくなくなったからだ。魔法が存在する世界でも、前世の話は聞かなかった。トリシアは自分が異質な存在だと知っていた。


「あの、あのあの、あのね。さらーっと聞いて欲しいんだけど」


 前々から考えていた。この日のことを。なのに少しも考えた通りに話せない。


「?」


 あまり見ることがない、挙動不審のトリシアをみてルークは不思議そうな顔をしていた。ルークは別に先程の疑問に明確な答えを求めてはいない。まさかそんなにトリシアがオロオロと落ちつかなくなるような質問だとも思ってもいなかった。


「ずっと黙ってたんだけど……あの、私さ……前世の記憶があって……しかもそれは異世界で……」

「前世の記憶? 異世界?」


 途切れ途切れ、声を絞り出している。ルークの反応が知りたいが、同時に知りたくなくて顔を上げることができない。


「どんな前世だったんだ?」

「へ?」


 ルークの目を見て、トリシアは彼が自分の言う事を全く疑っていないことがわかった。

 だがルークは今少しだけ複雑な気分だ。自分の知らないトリシアの人生があるだなんて。だが彼女の今の反応から、これまで誰にも話してはいないのだろうことがわかった。


「冴えない人生よ。馬車馬の如く働いて働いて、いつしか人生の楽しみ方を忘れて……そんであっさり死んじゃった」

「ずっと辛かったのか?」


 その言葉にトリシアはハッとした。


「……そうね。それなりに楽しい時もあったかな」

「じゃーその話を聞かせてくれよ。……俺に遠慮してんじゃねえぞ」


 つい寂しさが態度に出てしまったことをルークは反省していた。


「ううん。違うの。あんまり幸せだったこと、思い出さないようにしてたなって」


 初めは恋しかったからだ。今世は生まれた時からなかなかハードモードだった。生活様式も違う。孤児院では魔道具なんて夢のまた夢だったので、トリシアからしてみればかなり不便な日々を過ごしていた。周囲の当たり前と違う感覚の生活は前世の記憶のせいだと、晩年の辛い日々のことだけ思い起こして、あの日々よりマシだと言い聞かせた。


「でも最近は思い出しても平気なんだよね。多分、毎日幸せで楽しいから」


 住む家がある。ルークもいる。気のいい仲間達もいる。自分を認めて大切にしてくれる人達もいる。もしも前世の世界に帰れると言われたとしても、トリシアはもうその世界を選ぶことはないと自分で分かっていた。例え前世の世界の方が安全に暮らせ、家電に囲まれ、大好きだったお菓子があったとしても。


「そうか」


 トリシアの答えを聞いてルークは安心したような顔になった。


「ねぇ。人生2周目ってズルいって思わない?」


 誰に思われてもいいが、ルークには思われたくはない感情だ。ルークの答えなんてわかっているのに聞いてしまうあたり、人生2周目でもまだまだ未熟、とトリシアは考えていた。


「別に。そんなこと言ったら、貴族生まれはズルいし、魔力持ちはズルいし、スキル持ちはズルいし、顔の良い奴はズルいだろ。俺はズルいか?」

「そこまで盛ってたらズルいよね!?」

「そこはズルくないって言えよ!」


 ルークには珍しく声を上げて笑っていた。緊張気味のトリシアに気を使ったのだ。もちろんトリシアはルークの気遣いがわかったので、有難く前世の思い出話を始めた。


「なんか物語でも聞いてる気分になるな。ワクワクするいい本だ」

「じゃあ次は本でも書いて一儲けでもしようかな」

「はは! それもいいかもな。目指せ3号棟だ!」

「気が早くない!?」


 ずっと気になっていたことが片付いたせいか、トリシアはとても久しぶりに前世の夢を見た。だけどその景色は少しずつ遠くなり、気が付いたらいつもの巣の1階で皆で夕食を食べていた。

 幸せな夢だった。

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