第16話 印

 王都の出稼ぎ後半戦の古傷治療は全員が若い貴族の娘だった。嫁入り前にほんの少しの傷跡も残したくないという、本人や家族の希望でかなり依頼が殺到したらしい。


(やばいこれ! 罪悪感が湧くタイプのチョロい仕事だ!)


 トリシアから見たらこの程度!? と驚いてしまうような小さな傷ばかりだった。これまで見てきた傷跡といえば冒険者が受けるような痛々しいものだった。それと比べ物にならなくらい些細な傷ばかりだったのだ。だが本人達にとってはこの傷を治すことはとても重要らしかった。


「治ったら患者も喜ぶ、トリシアさんも喜ぶ、我が家も喜ぶ、それでいいんです!」


 自信満々にウェイバーは胸を叩いた。


「その割に5件……ということは、アレなお家が多いということですか?」


 すでに予定していた全員の治療を終えていた。トリシアは少し前にウェイバー家が問題のある貴族とは付き合わないという話をしていたことを思い出したのだ。


「いいえ。まさかここまで余裕のあるスケジュールになるとは思っていなかったので。嬉しい誤算です! 今から何件か追加しても?」

「もちろんです!」


 魔力回復の必要がないトリシアにとっては、稼げるうちに稼ぎたい。王都の往復は時間がかかる。そう簡単に来れる場所ではない。それに治療単価が桁違いだ。


(いくら同郷割で魔道具が安く買えたからって、新しい物件の購入資金の不安がなくなるわけじゃないしね)


 買いたい時に買える資金がなければどうしようもない。 


「いやしかし、本当に侯爵家とのいざこざが半日も経たずに解決するとは。あの日は一応先方に日程の変更連絡を入れる準備をしていたんですよ」

「ウェイバーさんが伯爵に連絡してくれたおかげです。あれがなかったらギリギリくらいにはなってたかも」

「……伯爵は大丈夫?」

「……あとで、侯爵夫人に怒られたりしない?」


 双子は階級差を気にしていた。彼らの知識では伯爵が侯爵に盾をつくのはまずい。


「単純に考えたらそうなんだが……王都では血筋といい役職の合わせ技が重要なんだよ」

「……複雑?」

「そうだな。力関係をハッキリさせようとするとそうなるが……今回の場合、侯爵家が伯爵家に難癖なんかつけられない。憲兵に目をつけられたらそれこそ厄介だし、なにより父上は今回の事を知らないからな。大事になって耳に入りでもしたら……入れるか!」


 ひらめいた。という表情のルークを見て全員が笑った。ルークは戻ってきてから以前とは違い、トリシア以外にも穏やかな姿を見せるようになっていた。


「親子だからきっと分かり合えるはずって、俺も母上も思ってたんだよな。たぶん」


 屋敷から戻ってすぐ、ルークはポツポツと話し始めた。

 だがそうではないと、ついに諦めがついた。残念ながら分かり合えない人間はいる。ルークにとってそれがたまたま母親だった。


「ダメなモンはダメだって諦めたら、逆にスッキリしたっていうか」


 面白そうに笑い始めた。


「これからは思いっきり生きたいように生きる! なんか、人生が始まったって感じだ」


 照れ隠しのように、服についた埃を払う。


「いいね! それこそ冒険者!」


 双子もコクコクといつもより勢いよくうなずく。


「皆ありがとな!」


 晴れやかな顔だった。


(うっ! イケメンがまぶしい……!)


 双子もスピンも嬉しそうだった。彼らにとってもいつの間にかルークも心から信頼できる仲間になっていたのだ。


◇◇◇◇◇


 追加の患者1人目は、車椅子に乗った老婦人だった。名前はローラ・ピットウェル。一代で大商人となった夫はすでに亡く、息子夫婦と暮らしている。たまたまその日、どうにかトリシアに来て貰えないかと、とても丁寧な手紙を使い人がウェイバー家にいるトリシアに届けにきた。


「よくいらしてくれました……無理を言ってごめんなさいね。もうエディンビアまで行く体力がなくって」

「こちらこそ急に申し訳ありません」

「そんな! 貴女も忙しいでしょうに。来ていただけてとても嬉しいわ」


 ふらふらなのに笑顔だ。車いすを押している息子も心配そうにしている。だがお客様に失礼をしてはいけないと、綺麗に身支度をし、精一杯の礼儀でトリシアを迎え入れた。

 トリシアは最初、彼女を蝕む病か、足の治療なのかと思った。だが予想は外れた。ローラがおもむろに首に巻いていたスカーフを外して答えがわかったのだ。


「それは……!」

「ええ。奴隷印よ」


 寂しげな笑顔だった。


「これを見るたびに気が滅入ってしまってね。この体のまま夫と同じ墓に入りたくはないのよ」

「母さん! それよりも先に治療を……トリシアさんだったらなんとか……!」

「いい加減おやめなさい。そろそろ私は寿命よ。運命に従うわ」

「母さん……! お願いだよ……」


 息子はガックリと肩を落とす。母親には少しでも元気で長く生きてもらいたい。


「ああ、安心してくださいな。私は借金奴隷でね。大昔に親に売られてしまって……今はこの通り身分を買い戻していますから」

「し、失礼いたしました……!」


 驚きのあまり思わず固まってしまっていたのだ。ピットウェル商会の大奥様が元奴隷だとは聞いたことがなかった。ウェイバーも何も言っていなかったが、突然決まった案件なので、事前調査問診もしていなかったのだ。


「隠していたわけではないのだけどね……昔の人間は知っているし……だけど周りが忖度してくれて、どんどん知っている人は減っているわ」


 ローラは遠くを見るような目をしていた。


 まだ騒がしい息子をローラが追い出して、トリシアと2人きりになった。


「ごめんなさいね。騒がしくって」

「とんでもございません。ご心配なのでしょう」


 すでにソファに寝転がっているローラの首にそっと触れる。


「恐れ入りますが、いつ頃のものかお伺いしても?」

「もう60年以上経つわね……私が16の時だから」


 60年以上前のそれは、少しばかり色がくすんでいる。長い年月、そこに刻まれていたのだとよくわかった。


「貴女、本当に腕がいいのね。……夫が昔雇ったヒーラーはことごとく断ってきたのに」

「これしか得意なことがありませんので」


 すでに奴隷印は消えてなくなっていた。うまくスキルをかけることができた。首の皺も今のままだ。


「まあでも、あの頃断られたヒーラーは、元奴隷の私なんかにヒールをかけたくなかったのでしょう……商会もやっと軌道に乗り始めたばかりで成金なんて揶揄されていたし」


 少し悔しそうに話していた。


「夫はこの印ごと愛してくれたけれど……私も恋する女ね。傷1つない、真っさらな状態で彼と一緒にいてみたいのよ。少しでも綺麗な私を見てほしい」


 それを聞いてトリシアは、すでに治療終えた若い貴族の娘達の気持ちを軽んじていたことを恥じた。ローラの言葉を聞いて、その気持ちがとてもよく分かったからだ。


(少しでもいい自分を相手に見せたいって気持ち、わからないわけじゃないのに……!)


 久しぶりに自分の後頭部をゴツンと殴ってやりたくなった。ルークといい感じだからと言って調子に乗り過ぎだったと、穴があったら入りたい気分になった。


「その……印は……どうかしら?」

「はい。順調ですよ」


 トリシアは仕事中だと頭を振って雑念を取り払う。


(反省会は後でしよう)  


 お節介だとわかってはいたが、ローラの現在の様子を確かめた。


(体中弱ってるって感じね……)


 彼女の言う通り寿命なのだろう。

 

 トリシアのスキルは寿命には抗えない。たとえリセットして体を若返らせても、死は避けられなかった。それを施したのは1度だけ、孤児院でいつもトリシアの味方でいてくれた老いた職員だった。あのルークの母親に目をつけられても、トリシアを守ってくれた。倒れた彼女をどうにかしたくて、体内を全て若返らせた。上手くいったかのように見えた数日後、彼女は朝目覚めることはなかった。


 トリシアのスキルでは永遠の命は得られない。


 泣き崩れながらも、ホッとしたのを今でも覚えている。


 ローラはその彼女に似ていた。穏やかで、礼儀正しくって、でも他人に愚痴を言ってしまうような人間らしさもあって……だから余計どうにかしたくなる。


「ごめんなさい。こんな話聞かせてしまって。もっと楽しい話をしましょう」

「……ではもし今、少しだけ元気になられたらやりたいことはなんですか?」


 祈るような気持ちで尋ねた。


「……大奥様、私の力では寿命を延ばすことは出来ません。ですが、痛みや不快感を取り除くことは可能です。その日が来るまで」


 ローラは少し驚いた顔をしたが、すぐに薄っすらと笑顔になった。 


「……そうねぇお世話になった人たちに挨拶に行きたいし、夫が好きだった演目が今王立劇場でやっているのよ。だけどこんな体だからどこにも出かけられなくて」


 周囲に遠慮して家でただ死を待っていた。だが、もしも外に出られるのなら、まだやりたいことはあったのだ。 


「お願いしてもいいかしら?」

「おまかせください」


 もちろんトリシアのは上手くいった。


「よい人生を」


 帰り際にかけられた言葉を、トリシアは噛みしめた。


 トリシアが王都を出たちょうどその日、ローラは夫の元へと旅立った。後日、ローラ本人とその家族からの感謝の手紙がエディンビアに届けられた。

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