第12話 母

 久しぶりにみた母親の顔は酷くやつれており、その原因が自分にあることはわかっているルークは心がずっしりと重くなる。


「ああルーク! やっと帰ってきてくれたのね!」

「……今日は話をしに来ただけです。母上、お変わりないようで安心しました」


 最初の一言だけで、以前領地で暮らしていた記憶がフラッシュバックした。一方的な決めつけ。有無を言わさない物言い。何も変わっていない。

 母親の方は反抗的な息子の態度にピクリと眉を動かすが、あえて気にしていないふりをした。


「父上はどちらに?」


 ルークは今日、両親に会いに来た。2人に話に来たのだ。自分はもう領地には戻らないことを。貴族の身分も捨てるつもりだということを。嫡子として育てられたにも関わらず、果たすべき役目を果たさないことを詫びるつもりだ。両親の期待には応えられない。

 たとえそれが受け入れられなくとも、伝えなければならないと思っていた。いつまでも自分を待っていても辛いのは彼らだ。領民にも迷惑をかけてしまう。


「……領地に戻られました」

「そうですか。ではまた日を改めます」


 そう言ってすぐに席を立つ。母親が最初からルークが今日王都の屋敷に来ることを父親に知らせていなかったのはすぐにわかった。


「そうはいきますか」

「!?」


 急にルークの体が動かなくなった。目に見えない何かに縛られている。


(スキルか!)


 この一瞬でルークは全てを察した。


(クソ! 油断しちまった!)


 まさか母親がここまでするとは思っていなかった。いや、考えたくなかった。まだ話せばわかると思いたかったのだ。自分に敵意がないことを伝えたくて入口で武器を預け、いつもは使う感知スキルも使わなかった。それが命運を分けることになるとは。


「S級冒険者を雇ったんですね」


 努めて冷静に話しかける。


「貴方相手だもの。そのくらい必要でしょう」


 いくらこの特殊なスキルがあると言ってもS級冒険者のルークをどうこうできるのは同じS級くらいなものだ。それにルークには思い当たる人物がいた。


「ヴァリアスですか。かなりの報酬を払ったのですね」

「貴方を取り返すなら安いモノよ」


 S級冒険者ヴァリアスは戦闘力よりもそのスキルでのし上がってきた。彼のスキルは【不動】で、文字通りスキルをかけた相手の動きを止めることができた。その為ありとあらゆる生物を無傷で生きたまま捕まえることが可能だ。

 敵意むき出しのSクラスの魔物を生け捕りに出来るのは、この世界では彼だけだ。もちろんスキルが未熟であればS級であるルークの動きを止めることなど出来ない。だが今のところヴァリアスに捕獲出来ないものはないことが証明された。


「あんな男を信用していいのですか? 母上の嫌いな出自のわからない人間ですよ」

「……致し方ないわ」


 母親がわずかに後方を気にする素振りをした。

 

(隣の部屋か)


 だが今ルークは彼に攻撃する術を持たない。ヴァリアスのスキルのせいで魔法すら使えなかった。


(長期戦だな……トリシアのやつ、心配してくれるかな……)


 ルークは冷静だった。それなりに修羅場をくぐってきている。それにこんな時にも頭に浮かぶのはトリシアだった。心配をかけ不安にさせたくはないが、心配してもらえたら嬉しい。そんなことを考える自分が、どうにも平和ボケしていて……だがそのことが幸せで思わず笑みがこぼれる。


「まだあの薄汚い孤児に執着しているの!?」

「え!?」


 母親に見透かされているようで思わずルークは驚いた。彼女の方は可能な限りルークとトリシアのことを調べ上げていたのだ。


「あの孤児の元仲間から話を聞いたわ! とんだアバズレだって話よ!」

「はあ……そうですか」


 気のない返事に母親は肩がブルブルと震えていた。


「だいたいずっと男と2人旅してたなんていったに何をしていたやら! そんなふしだらで恥知らずな身持ちの悪い女がいいって言うの!?」

「はい。そうです」

「なっ!?」


 淡々と、穏やかな表情でルークは怒りで顔をゆがませた母親に話しかける。


「たとえトリシアが母上が言ったような女であっても、俺はトリシアがいい」


 真っ直ぐに母親を見つめた。どうにか自分の真摯な気持ちが伝わってほしかった。

 

「……そう」


 彼女はついにヒステリックに叫ぶのをやめた。


「そらならあの女をどうにかした方が早そうね」


 その言葉にルークは怒りと焦りと悲しみで頭がぐちゃぐちゃになった。これほど負の感情に飲まれたことはない。そしてその瞬間、バチンと音を立ててスキルが外れた。


「トリシアに何かしたら、この世のすべてを燃やし尽くします。貴女も、貴女の領地もこの国も」


 ルークが手を前に出し、赤く輝く火の玉が放たれた。隣の部屋に続く壁がガラガラと崩れ、屋敷が燃え盛りはじめる。


「いってぇな……!」


 がれきの奥で男が1人、急いで水魔法を使い自身とその周りを消火している。


(やれやれ……奥様の方も肝が据わってらぁ。親子だねぇ)


 あちち、と言いながら親子のやり取りを見守っていた。2人とも目が据わっている。ヴァリアスは隙をうかがい、もう一度スキルでルークを拘束するつもりでいるが、もちろん今のルークに隙はない。


 母親は先ほどとは打って変わり、冷静な顔つきだ。

 彼女はトリシアがエディンビアでやっていることを全て調べ上げていた。トリシアの過去の功績全てだ。


「どう考えてもあの女のヒールは普通じゃないわね。……あれはきっとスキル。どんなものでも治せるのではなくて?」

「トリシアが幼い頃からヒール能力に長けていたことはご存知でしょう」


 何食わぬ顔でルークは答える。だが彼の声など母親には聞こえてないようだ。


「死にかけの人間も一瞬で治療してしまうなんて……きっと誰もが放っておかないわ。誰だって死は遠ざけたいもの。どうにか彼女をモノにしようと思う人間が殺到するでしょうね。平穏で楽しい毎日はもうお終い……」


 氷のような微笑みだった。


「今度はずいぶんトリシアを評価するじゃありませんか」


 全く同じ笑顔を返した。


「ふふ……能力と生まれは別よ。安心して、永遠にあの女を認めることはないわ」

「貴女に認められる必要などありません」


 お互いに視線をそらさない。


「この件が本当かどうかなんてどうでもいいの。この話を私が社交界に流せば済むだけよ。それであの女の今の幸せはなくなるのだから」


 だがルークは動じない。そんなこと、気が付いている人間はもう何人もいる。アッシュやエディンビアの領主達だ。だが誰もそのことに深く触れることはない。そのままにしているのが一番いいとわかっている。

 トリシアは案外頑固だ。強引に従わせようとして従うことはない。下手に刺激してトリシアがいなくなるようなことは決してしないし、させないだろう。たとえ母親が誰かをけしかけたとしても、トリシアを守り切る自信もルークにはあった。

 その様子を見て、ルークの母親は作戦を変えた。この件で息子の動揺は得られないとわかったのだ。


「貴方、いったいなんの役に立ってるって言うの」

「……何の話ですか」

「私調べたのよ。あの女がしていることを。全てね。別に貴方は必要ないでしょう。いったい何の助けになってるって言うの。周りでウロチョロしているだけじゃない」


 さらに追い打ちをかけるように声が大きくなる。


「報われないわよ」


 ルークの瞳が揺らいだ。

 そしてその瞬間をヴァリアスは見逃さなかった。


「ぐわぁぁぁ!!!」


 ヴァリアスが再度スキルを発動するほんの少し前にルークの一撃がヴァリアスの腹に穴を開けた。だが、ルークにもすでにスキルが。今度はバタリとその場に倒れ込んだ。ヴァリアスも本気だったのだ。


「うぅ……痛ぇなおい……殺す気満々かよ……奥様、きっちり追加料金いただきますからね」

「わかっています」


 ヴァリアスは自身のスキルを傷周辺にかけ悪化しないようにしていた。

 彼のスキルは能力の高い人間にかける場合、相手の心の隙をつく必要があった。先ほどは油断していたが、今回はずっと強い警戒があった。だから母親は息子の唯一の弱みを突いた。トリシアに対する自信のなさを。そしてそれは上手くいった。


「……眠ってるだけですよ。それより早くヒーラー呼んでください!」


 母親に表情はなかった。帆脳の中、ただ倒れ込んだ息子の姿を見つめていた。

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