第5話 説得

 トリシアはじっくりと話を聞くことに決めた。この少女が本気で言っていることは伝わったが、誰かにちゃんと相談したわけでもなさそうだ。話してみてわかることや、何か解決策が出てくるかもしれない。


「お許しいただけるのなら、お話をうかがっても?」

「か、かまいません……!」


 緊張したように背を正し、小さなこぶしをギュっと握り締めている。


「まず、この件……お嬢様が治療が受けたくないとおっしゃる理由は皆様はご存知なのでしょうか?」

「知っているわ。というか、バレてしまったの……そのせいで彼、我が家の専属ヒーラーをクビになっちゃって……」


 私のせいで……と口がへの字になっていた。涙が出ないように我慢している。


「彼に他の仕事場を紹介するという約束でここエディンビアまで来たの」

「……お優しいですね」

「違うわ。自分がやったことの責任を少しでも取ろうとしているだけ」


 まだ口がキュッとなっている。幼いのにもうそんな責任感があるのかとトリシアは驚いた。そして昔のルークを思い出し少し切なくなったのだった。


 少女は一度ゆっくり深呼吸をした後、言い慣れた台詞のように、淀みなく治療したくない理由を話し始めた。


「この街で暮らす貴女ならご存知かしら? 第二王子の想い人のことを。他に愛する人がいる方に嫁ぐなんて虚しいでしょう?」


 トリシアは答えない。その想い人のことはよく知っている。


「私、その方にお会いしたことがあるの。何もかも完璧でとてもじゃないけれど敵わないわ」 


 必死の表情からこれは自分を卑下しているわけではなく、ただ自分が第二王子には相応しくないと言いたいが為の言葉だとトリシアにはわかった。この少女ほど責任感のある子が、自身の婚姻がにとってどれだけ重要かわかっていないわけがない。

 それにエリザベートは今や冒険者だ。貴族社会で何を言われているか、トリシアでも想像がつく。


「なにより私、彼が大好きなの! 優しくて、根気強くて、いつもニコニコしていて……私は彼と結婚したいの! か、彼以外とは嫌なの!!!」


 まるで自分にも言い聞かせているような言い方だった。笑顔も不自然だ。トリシアはまた少し切ない気持ちになった。


「なっ! その顔! 信じてないわね!?」

「いえいえそんなことは」

「ほ、本当よ! 本当なんだから!」

「わかっております」


 トリシアは少女に向かい合って真剣に話を聞いている。少女はそんな経験をしてこなかった。必死に訴えても頭ごなしに否定されてばかりだった。


「私は王子様と結婚して幸せになんてなれないの! み……皆それが一番の幸せなんて言うけれど……けど私は。私は!」

「ええ。幸せなんて人それぞれですもんね」

「そうでしょう! だから、私は傷を治さなくていいの」


(だから、ってなるのはよくわからないけど)


 トリシアは少し困ったような顔をして微笑んだ。


(治したくないわけじゃないだろうに……)


 この大怪我を治療しない理由には少し弱い。その答えは、すでに聞いているような気がした。『責任をとる』と先ほどそう言っていた。 


「傷を治さないことがご自分への罰だと思ってらっしゃいませんか?」

「!?」


 ギクリと肩を震わす少女は、急に目を逸らした。とてもわかりやすい。


「……だって彼は一生懸命私を治そうとしてくれたのに。なのに仕事までなくして……私だけ元通りなんて」


 どうやらトリシアには隠しきれないと分かったようだ。早々に素直に理由を話し始めた。


「彼の事、好きになったのは本当。だけどもちろん隠し通すつもりだったわ」


 は貧乏貴族の三男坊で、回復魔法の実力を買われて少女の家のお抱え治癒師となった。なのに少女が彼に恋してしまったせいであっという間に屋敷から追い出されてしまう。万が一にも間違いなどないように、王族との婚姻のチャンスを不意にする可能性を少しでも減らすために。


「そのせいでギリギリだった彼の家はなくなってしまったわ。爵位を返上してしまった……だから割り切れない。仕方ないって……そう思えない」


 貴族にとってそれがどれほどの事か、トリシアにはわからない。だが少女がその顔に残る痛々しい傷を治そうと思えないほど罪悪感に駆られることなのだとは理解できた。


(いや~彼の家の事情まで抱え込む必要ないでしょ! そもそもこの子の家に雇われる前からギリギリだったんだろうし)


 なんて言えたらいいが、そうはいかない。少女は真剣だ。そう思ってしまうくらいその彼のことを大切に思っている気持ちを汲んであげなければと思い、言葉をぐっとこらえる。


「お嬢様が治療を受けなければ、その彼は仕事にありつけないのでは?」

「いえ。私がエディンビアに行った時点でちゃんとした仕事に就けるよう父と契約魔法を結んだの。我が家がこれ以上彼に手を出さないという項目も付け足してね」

 

(しっかりしてる!)


 話せば話すほど、初対面の印象とはかけ離れていく。我儘なお嬢様かと思ったが、実は責任感の強い女貴族だった。


「父はどうしても治療してほしいから、渋々契約を結んでくれたわ」


 年齢に似合わない自嘲的な笑顔だった。


「なるほど。治療しないのは罪悪感だけじゃなくて意地でもあるのですね」


 一種の反抗でもあるのだろう。自分の容姿も引き換えに出来るほどのことなのだ。そう言う人間の感覚が嫌いじゃないトリシアは更に困ってしまう。


「……その通りよ」


 少しバツが悪そうだが、言葉にして自分の気持ちが理解できたからか少女の顔が穏やかになってきた。


「話を聞いてくれてありがとう。なんだか少し落ち着いたわ」


 少女は最後にこんなに心が穏やかになったのは例の彼がいた時だったと思い出し、また涙ぐんだ。


「これは、ものすごく、ものすごくありきたりな言葉になるのですが……」

「なにかしら」


 トリシアは視線を逸らし、少女の涙に気が付かないふりをして話を続ける。


「その彼、自分のせいでお嬢様が治療を拒否したなんて知ったらとても悲しむのではないでしょうか。お嬢様のように罪悪感を抱く……お話を聞いているとそんな気質のお方のように思われますが」


 少女は黙り込む。トリシアの言った通りだったからだ。それに少女が有名な貴族ならその動向は広く知れ渡る可能性は高い。少女が治療を受けていないことはあっという間に彼の耳まで届くだろう。


「お嬢様、謝罪されました?」

「え?」


 急に話題が変わったように感じた少女は不意打ちを受けたような顔をした。


「いいえ」


 呆然としながら答えた。そんな暇はなかった。屋敷を出た後、彼を追いかける術を少女は持たなかったからだ。


「治療して、彼に謝罪に行ってはいかがでしょう」


 少女は黙ったまま、そんな当たり前のことを自分は考えてもいなかったと恥ずかしくなる。


「彼が怒っているかどうか私にはわかりません。もしかしたら酷く責められるかも。ですがお嬢様が悪かったと思われるのなら、謝罪は必要なことだと思います」


 お嬢様の為に。と小さく付け足す。


「個人的にはお嬢様が悪いとは思いませんが」


 こちらは大きな声で付け足す。


(恋しただけでこんな大事になるなんて、貴族は大変だわ)


 そう考えると、ルークやエリザベートがその身分から離れる気持ちがわかる。


 少女は小さく頷いた。


「ありがとう」


 心のつっかえが取れて、ほっとしたような笑顔になった。


 そうして気を取り直すように大きく深呼吸をした後、ハッキリとした口調で、そして丁寧に頭を下げた。


「私は、サンドラ・リザポート。貴女に治療をお願いしてもいいかしら」

「お任せください」


 2人は目を見合わせて穏やかに笑いあった。


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