第21話 少しだけ前に①
トリシアがルークへの気持ちを自覚してからしばらく、ルークの方も一歩前に出ようと意気込んでは尻込みし、また奮起しては急に自信がなくなる……を繰り返していた。
(最近トリシアは機嫌がいいし……今ならもう少し踏み込めるんじゃねぇか……?)
トリシアからどこかしらに誘ってくれる日も増えた。ルークが好きな海岸沿いの散歩が多かったが、何度散歩しても会話が途切れることはなかった。
(なんでいつも……こんなに心地良いんだろう)
トリシアはルークが冒険者になってからの生活を聞きたがった。今まであまりそういう話をしてこなかった……というより、興味を持たれていなかったと思っていた分、ルークはたくさんしゃべった。自分がしゃべり過ぎたと心配になるくらいだ。だがトリシアはルークの冒険譚をとても楽しそうに聞いてくれた。
相変わらずトリシアに対しては臆病になってしまうが、それを乗り越えられるくらい今の彼女はルークに好意的だった。
ただ気になるのはルークがトリシアを見つめると、すぐに目をそらされることだ。
「えぇ〜!? 貴族でS級なのに自信が持てないって……逆にこれ以上なんの肩書があればいいんだ?」
最近の相談相手は専らベックだった。彼ももうすぐ別の街へ移動する。ルークはそれを心細く感じている自分に驚いていた。他人に依存して生きてきた記憶がないのだ。トリシアを除いて。
なにかと人の恋路に首を突っ込んできていたチェイスがエディンビアを去って、ルークはアドバイザーを失っていた。
(あの時ウザがって悪かったな……)
アッシュは2人の関係を面白がっていたし、ダンはうじうじと悩むルークを理解できなかった。双子からは何を言ってるんだお前はという顔で見られるし、エリザベートには鼻で笑われた。
その中でベックだけはいつも真面目に取り合ってくれた。
「この程度で依存!? 自分に厳しすぎだろ」
ベックに正直に話すと、目を見開いて驚かれてしまった。ベックはS級に頼られて悪い気はしなかったが、こうなってしまったルークの過去を思うと、貴族としての幼少期もなかなか大変だと思わずにはいられない。
「ルークは結婚したいのか?」
「そりゃしたいだろ!?」
「へぇ!」
(こんな女ホイホイな男が純粋で初心で一途なんて嘘みたいな話だよなぁ)
「へぇってなんだよ……」
ルークはなぜベックが驚いた顔をするかわからない。珍しい生き物を見るようなベックの目を見つめ返す。
「いや、ただトリシアをモノにしたいってだけじゃないんだなぁ」
「はぁ!? あ、当たり前だろ……!」
顔を真っ赤にして非難するような顔になった。
「ごめんごめん。あまり真面目に女性に恋する冒険者に会ったことがなくて」
冒険者だって恋愛を楽しんでいるが、男女ともに一時の恋だというのは暗黙の了解だ。もちろん拗れることもある。その時はどちらかが別の街に逃げてそのまま……なんてことは多々聞く話だった。
パーティ内恋愛はイーグル達の例然り、うまくいかなかった場合のリスクが高いためそもそも避けられがちだ。多くの冒険者は娼館で楽しく過ごすことで満足していた。ルークのように一途に一人だけを思い続ける冒険者は少数派なのだ。
「でも結婚してるやつだっているじゃねぇか! 夫婦で冒険者とか。ピコの生みの親もそうだったって話だ」
「だな~。でも結婚すると色々縛られるからって嫌がるやつは多いぞ」
「縛られるって?」
ポカンとした顔のルークをみてベックは思わず笑いそうになる。が、S級の怒りを買ったら大変だ。
「他の女に手を出しづらくなるし、子供が出来たらそれこそ大変だろ」
「子供……!?」
一瞬で顔が茹で上がるS級冒険者を見て、いよいよベックはどうしたらいいかわからなくなった。
「……今のは忘れてくれ」
とは言ってもルークは忘れられない。今までがネガティブだったせいで幸せな想像に慣れていなかった。両手で顔を覆い、にやけた自分の顔を隠す。
名実ともに『家族』になった自分達を想像したのだ。それは今まで思い描いたこともない穏やかで壮大な幸せのように感じた。
そもそも冒険者になったのも、トリシアが昔から将来は冒険者として生きていくと聞いていたからだ。ルークに何も告げず、突然いなくなったトリシアを追うように、何もかも完璧なルークが全く無計画なまま冒険者になった。
『貴族である貴方が冒険者になんてなれるものですか!』
母親の悲鳴のようなな叫び声を振り切って屋敷を飛び出した。父は寂しそうな瞳をしていたが、決して止めることはなかった。
母親の心配をよそに、冒険者になってもルークは完璧だった。だがそれ以上に、生きていても少しも苦しくないことに驚いた。いつも心がスッキリとしていた。重荷も楔も感じない。
(生きるってこんなに簡単だったのか?)
領地での生活は、ルークにとって息苦しくて仕方がなかったのだ。全ては親や教師からの教えに従い、義務感だけで生きてきた。これまでは雁字搦めの人生だったことに、やっと気が付いた。
この事実に少なからずショックを受けたが、同時にこれまで生きていられたのは間違いなくトリシアという存在のお陰だった。彼女が生きる希望だったのだ。
だからトリシアの近くにいるだけで満足しようとしていた。彼女の近くにいるだけでいつも幸せだ。これ以上は望みすぎ。そう思い込んで自分自身を納得させた。
そう納得していたはずなのに、結局トリシアがさらに特別な存在になるだけだった。気持ちは今でも膨らむ一方だ。そして特別な存在から自分も特別に思われたくなってしまった。
「特別な男って肩書が欲しいんだ」
正直に自分の願望を口にした。顔はまだ赤いが項垂れてしまっている。それが過ぎた望みだと言わんばかりに。欲深い自分を恥じるかのように。
(すでに特別なんだけどな~)
ベックはトリシアの幸せそうな表情から感じ取っていた。だがそれを自分が口にするのは野暮だと思って何も言わない。他の住人も同様だった。あれだけトリシアを見ているルークが気づかないのは、トリシアだけに発動するネガティブ思考のせいだった。
ベックはトリシアとルークの生まれの差から、彼女が不幸になってはいけないと、これまでは特に2人を応援してこなかった。ベックの常識では孤児のヒーラーが貴族生まれのS級冒険者と幸せになる純愛物語はありえなかったのだ。
だが今はルークが本気だとわかり、安心して背中を押すことが出来た。
「今のをそのままトリシアに伝えなよ」
「でもよ……」
うつむいたまま自信なさげに言い訳を始めようとするが、ベックがそれを遮る。
「そう言って欲しくて俺に話したんだろ?」
(他の住人じゃこうはいかないだろうからな)
ベックは住人達の顔を思い浮かべ、思わずまた笑いだしそうになる。
ルークは観念したように、コクリと小さく頷いた。
気持ちが大きくなりすぎて、もう1人では抱えきれなかったのだ。
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