第8話 親子②

 まだ赤ん坊に視線を向けたまま、その男は何でもない事のように答えた。


「ああ、傭兵団は辞めたんだ。妹が死んじまってな……こいつが孤児院に預けられたって聞いて……冒険者始めたんだよ」


 男の名前はダンと言った。先ほどの赤ん坊は姪のピコで、冒険者をしていた妹の子供だった。


「夫婦で冒険者をしていてな。この間の討伐作戦に便乗して稼ごうとしたらしいんだが……夫婦共々やられちまった」


 そしてその遺体を見つけたのは彼自身だった。心配が的中しちまった、と悲しそうにつぶやいていた。


「それは……残念だったわね……」


 エディンビアのダンジョンは元々難易度が高い。いくらいい稼ぎになるといっても決して舐めてかかれる場所ではないのだ。


「ありがとよ……俺も止めたつもりだったんだが……結果はこうだ。後悔ばかり残ってなぁ。せめてこいつが大きくなるまではなんとかしてやりたくて……。俺も戦い以外の身の立て方を知らねぇから」


 ピコはダンの腕の中で安心したように眠り始めた。もうすっかり彼を保護者として認識しているのがわかる。

 彼女は彼がダンジョンに潜っている間、馴染みの娼館に預けられているらしい。この世界に託児所などないし、そもそも女冒険者は子供が出来れば引退するのが当たり前だった。


(この辺はこっちの世界も変わらないのよね~)


「じゃあご両親の遺産はこの子が?」


 ちょうどその話をしていたばかりだったのだ。グイルがその質問を口に出した後、しまったという顔をした。あまりにも不躾な話題だった。


「いや、ダンジョンに入る前から孤児院に預けててな。万が一の時の預金の受け取りは孤児院ってことで預かってもらっていたらしい」


 ダンはその質問に全く気を悪くなどしなかった。


「ダンジョンには行くなって強く引き止めちまってたからな……俺には頼めないと思ったんだろう」


 どっちにしろダンの妹夫妻の預金はあまりなかったそうだ。妊娠後は冒険者として稼げていなかったらしい。それで焦っていたのだ。長期間成果が出ていないと階級にも影響する。


「まあ俺も今回の討伐戦でそれなりに稼げたからよ。しばらくは問題ないけどな。コイツの預け先がなかなか難しくって」


 冒険者ギルドでどうにかしてくれよ。と冗談のようにグイルにお願いしていた。


「……孤児院は環境があまりよくないですからね」

「そこの先生はいい人だったけどな。どうも人数が多すぎだ」


 ダンははじめ、姪をその環境に置いておくのが忍びなくて引きとったのだ。妹に対する後悔や贖罪の気持ちもあった。だが今は単純にピコが我が子のように可愛く思えて仕方がないように見える。


「今のうちに稼いどこうと思って新しい階層に行ったのが悪かったなぁ。ほら、もう少し大きくなると動き回ってさらに目が離せねえって聞いてよ」


 ガタイからは想像できないが、アレコレと育児についての情報を集めているのだ。


「コイツと暮らし始めて、初めて長目に潜ってたからさ。早く会いたくってな……魔草を持ったまま買取所より先にコイツに会いに行ったのが悪かったんだ」


 新しい階層にソロとしていける実力の持ち主だ。その男がまた思い出したように赤ん坊を見つめながら目を潤ませていた。 

 

「ピコが魔草に手を触れてすぐにあんたの事思い出してよ。レイルが凄腕って言ってたけどその通りだったな。本当に助かったよ」


 かなり早い判断でここまで連れてきたようだ。手遅れになる前に元に戻すことができた。


「危険物を子供の近くに置かないようにね」

「ああ。2度とこんなことはしない」


 すでに彼は親の顔をしていた。我が子を危険な目に合わせないと強く誓ったようだった。


 そうして最後にもう一度トリシアに礼を言った後、彼はまた寝床にしている冒険者宿へと帰っていった。


「娼館の娼婦にお金を払って面倒見てもらうって考えたわね……でもああいうとこって高いんでしょ?」

「店や時間にによりますねぇ……」


 その瞬間、トリシアはルークの顔が思い浮かんだ。


『いいか! 約束だぞ! 絶対にこれ以上抱え込むなよ』 


(ああ~ダメダメ……ルークの言う通りよ! 赤ん坊は荷が重すぎるって!)


 成人している双子ですら手がかかるのだ。言葉の通じない赤ん坊相手にトリシアが出来ることなどない。


「思い悩まれてますねぇ」


 少し面白そうにグイルがトリシアの方を見ていた。彼はトリシアの考えていることがわかっている。


「赤ん坊の面倒なんて見れないわよ」

「ですがトリシアさんには奴隷もいますし、貸し部屋なら娼館よりなにかと環境はいいのでは?」

「ティアをあてにするのも違うでしょ……」


 どうして? っといった顔をしたグイルに説明するかどうか迷った。奴隷に気を遣うという発想自体が存在しないのだ。


「ティアは……あくまで貸し部屋を管理する人間として雇ったつもりでいるの。それ以外の仕事を増やす気はないのよ」

「なるほど。貸し部屋業務に専念させるということですね」


 いまいち伝わっていないようだが、それ以上の説明はやめた。トリシアとは前提が違う人間にあれこれ語って理解を求めるのも難しい。


「私はかまいませんが。ご主人様のお望みの通りに働きます」

「うわっ! ビックリした!」


 開けっぱなしになっていた扉からティアが声をかけてきた。彼女は今まで貸し部屋の改修作業を手伝っていたのだ。全然ティアに仕事を与えないトリシアに痺れを切らし、自分からお願いして現場仕事を手伝っている。


「ご主人様は奴隷に優しすぎます。奴隷に遠慮するなどありえません」

「だって私のエゴにティアを付き合わせるわけにはいかないよ」

「それに付き合うのが奴隷です。私はご主人様の道具の1つですよ。好きに使って何が悪いのですか」


 結局、ティアに言い負ける形でトリシアはダンの元を訪ね、貸し部屋の勧誘をすることになった。多少であれば、赤ん坊の世話を手伝えることも。


「色々条件はあるんだけど……よかったら是非」

「ありがてぇ! 実は一般向けの貸し部屋には何度も断られてんだ……こっちからお願いする。よろしく頼むよ!」


 ダンもピコの為に落ち着いた環境が必要だと思っていたようだ。トリシアの話に喜んでくれた。


 トリシアはこの時点でほとんどの部屋が埋まったことがとても嬉しかった。同時に彼らの期待に応える部屋になるだろうかという不安も出てきたのだった。

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