第19話 田植え

 妹が学校に行き、この家から居なくなってからしばらく経った。それでも心の中も家の中も物足りない。そんな日々に慣れる事は無く、家族でご飯を食べる机には空きがあり、俺が昔使っていた小さな椅子がポツンと寂しそうに座る人を待っていた。


「ルツ、元気にしてるかな?」

「毎日言っているな、アグリは」

「だってー……」


 電話やメールが無い世界。せめてポケベルでもなんて思ったが、俺にはそんな知識も力もない。そのため、ルツからの手紙を今か今かと待っている。前の世界では家族が居なくたってどうでも良いと思っていたが、今では心配で心配でしかたがなかった。


「俺も変わっちまったな」

「なにか言ったか?」

「なんでもなーい、いただきまーす」


 また数年前に戻ったように三人で食べるご飯は、それはそれで楽しいものだ。


「アグリ、今日予定はあるか?」

「特に決まってないよ、何か手伝う事ある?」

「今日から田植えが始まるんだ、手伝ってくれないか?」


 そうだ、田植えだ! 少し前までもう少し大きくなったらと手伝いを断られていたのだった。


「やる!」


 俺は元気に返事をして、ご飯を急いで口に流し込んだ。


「助かる、村のみんなも喜ぶよ」



 父と田植えの準備をして家を出る。


「後でお母さんも行くからね」


 笑顔で見送る母に背を向けて、田んぼに向かう。春の花が咲く農道を歩いていると、村の人も同じ方向に歩きだしている。その行く先には、すでに村の若い人からベテランの人まで集まっていた。


「田植え、みんなでするの?」

「あぁ、田植えは体の負担も大きいからな、みんなで田んぼを回って行くんだ」


 確かに田植え機がないから、みんなで助け合うのは合理的だな。一応俺も経験者。足は引っ張らないだろう。


「よし、働くぞ!」


 頭にタオルを巻いて気合を入れた。


「シェルシ! おはよう! 来てくれてありがとうな」

「マルゴス、おはよう! こちらこそだよ」


 マルゴスさん、この村の代表をしている人だ。いわゆる村長で、なんでも本気で物事に取り組んでいて、村の人の信頼も厚い。


「アグリ、大きくなったな。田植えは初めてだったな。助かるよ」

「おはようございます、マルゴスさん。いろいろ教えてくれると嬉しいです」


 話していると、大人の陰から「アグリ」と呼ぶ声がした。見てみると、ロットたちが見える。


「ロット! ジュリも! おはよう、2人も来てたんだ」

「おう! リユンの奴に米を送ってやりたいからな」

「そっか、送るときは教えてくれ、手紙も書こう」

「良いわね、3人で書きましょう」



 「よし、みんな!」とマルゴスさんの声が響く。その瞬間、みんなの話し声が消え、マルゴスさんを見た。


「今日は集まってくれてありがとう。今年も問題なく田植え出来そうだ。今日は、コシカさん、ユメリさん、ヒトボさん、アキタさん、ナナボシさんの田んぼ植えてしまおうと思っている。二手に分かれて作業しよう。初めての子も居るから教えてやってくれ。怪我には気を付けて、一日よろしく!!!」


 挨拶があり、みんながつられて「よろしく」と言った。その後、周りの大人たちはまた話し始めた。



「アグリ、行こうか」


 父は周りの人と話し合い、手伝う田んぼが決まったようで、みんなが割り当てられた田んぼに向かい始めた。みんな揃って田んぼに向かっていると、父が話しかけてきた。


「田んぼの中に入ったら、尖った石とか血を吸ってくる虫も居るから気を付けろ。もし足を切ったらすぐに出るんだぞ」


 そうか、長靴がないから裸足か。前の世界でも裸足で田んぼに入ったことがあるが、あの感触は本当に慣れないのだ。正直長靴が欲しいが、文句を言っても仕方がない。「分かった」と軽く返した。



 今日最初に植えるのは、アキタさんの田んぼだった。思ったよりも大きいく、学校のプールくらいありそうだ。みんなで植えて行っても時間がかかるだろう。


「よし、みんな! ここに種があるからそれぞれ持ってくれ」


 どこからか声がしてみんながそこに向かう。


 「アグリの分」と手渡されたのは長めの紐が付いた袋だ。中に種が入っているみたいだ。付いている紐で腰に巻くようだ。俺も周りのみんなの真似をして腰に巻き付けた。


 って直蒔きなの!?


 前の世界ではビニールハウスで、苗を作って植えていた。もちろん直蒔きの田植え機もあったが主流ではない。双方メリット、デメリットはあるものの生産量アップや安定的供給を目指すなら、やはり苗を作る方が良いだろう。これも取り組んでいくべき課題になりそうだ。今回はあくまでお手伝い。自分でする時にいろいろ試してみるとしよう。


 「やるか!」との掛け声とともに、五人一組で田んぼに入った。軽く水を抜いた田んぼは、丁寧に均してある。木材で出来ている、T字の形をした道具の先に先端が尖っている部分が4つ付いていた。一人がそれを端から引くと田んぼに4本の筋が付く。それを追いかけるように、4人は種を筋に一定間隔で植えていく。


「アグリ、行くか」

「うん!」


 父の居る組に入り、田んぼに足を付けた。日に照らされた田んぼは妙に暖かく気持ちが悪い。ニュルっと足の指の間に土が入ってくる。


「大丈夫か?」


 感触の悪さが顔に出ていたのか。父に心配された。前の世界では器械で耕していたためか、この世界の田んぼは少し荒い感触だ。さらに、手で耕されるため深さが均等ではないく、歩きにくい。

 「うん」と返し父の横に並ぶと、先頭の道具を持った人が歩き出す。


「何粒植える?」

「だいたい3粒くらいで良いだろう」


 俺は腰を曲げ指示通り筋に沿って種を蒔いていった。

 田んぼの半分くらい進むと腰の限界がきて、一度伸ばすために立ち上がる。


「きっつい!」


 つい悲鳴を上げると、俺より先に居る父にもほかの2人にも笑われた。こんなに大変だったっけ。


「きついなアグリ」

「大変さが分かったか? お父さんに感謝しろよ」

「無理するな、自分のペースで大丈夫だ。でも丁寧に蒔けよ」


 みんなの笑いものにされ「くそぉ」と呟きつつ一歩前に足を踏み出した瞬間、足先から痛みとまでは行かない、気味の悪い感触を感じた。


「これは、やばい! 攣った!!!」


 動けない、痛い痛い痛い。意識が足に行けば行くほど痛みが増していく。田んぼのど真ん中で。どうにも出来ずもがいていると、父が寄ってきて持ち上げてくれた。


「ほら。出ろ」


 父が畔に持ってきてくれた。

 足の指を見てみると、右足の薬指があらぬ方向に向いていた。自分の足じゃないみたいだ。恐る恐る薬指を元の位置に戻すと、結構な痛みとともに正常な足に戻った。

 ちょっとだけ、ほんの少しだけ弱音を吐きながら足をさすっていると、座っていたおじいちゃんに笑われた。


「まぁ、よくある事だ」


 知っている、だから長靴が欲しいのだ。

 父が俺の続きを蒔いてくれていて、折り返しに入っていた。俺は少し休み、別の組に入り田植えを続ける。

 もう少しで田植え完了に近づいた頃、近くのおじさんに声を掛けられた。


「アグリ、均してくれるか」


 おじさんは持っていた鍬を渡して来た。田んぼの手前側と奥側は出入りが激しいので、一度均してから植えるのだ。

 鍬を受け取り、田んぼを均していく。ちなみに田畑を均すのは昔から得意で、自信がある。前の世界でもどれだけ機械を使わず均せるかを、一人で競っていたものだ。リユンに作ってもらったトンボを持ってくれば良かったなと後悔した。


「綺麗にするな」


 褒められ嬉しくもっとやってやると気合が入る。単純だとは知っている、ただ仕事を褒められるのは嬉しいものだ。



「ご飯にしましょう!」


 そんな綺麗な声が聞こえると、給食を楽しみに待っていた小学生のように歓喜の声が上がった。

 もうそんな時間か、気づけば田植えをしている後ろにある木の陰で、村の女性や子供たちがご飯の用意をいてくれていた。これも田植えの風物詩なのだろう。アキタさんの田植えを終えてみんなでご飯を食べる。


「アーグーリ」


 声をかけていたのはジュリだった。いつもは経験できない非日常に気分が上がっているようだった。


「どう田植え、大変?」

「思ってたより何倍もきつい」

「アグリなら簡単なのかとかと思ってたわ」


 無理無理と首を振り、ほうれん草を口にした。


「美味しい?」

「うん、美味しい。誰が作ったんだろう」

「私。アグリのほうれん草よ」

「そうなの? ジュリ料理上手だね」

「素材が良いのよ」


 食べたのはほうれん草の胡麻和えだ。ほうれん草の味がしっかり引き立っていて美味しい。


「みんなからも評判よ」

「良かった、ジュリの店も出せそうだな」




 それから小一時間ほど雑談をしながら休憩を挟み、作業を再開した。残りのヒトボさんとユメリさんの田んぼに移動し田植えをする。途中、ロットとも合流しお互いドロドロになるまで働いた。泥だらけの俺とロットを呆れたように見るのはジュリで、田植えをしながらこんなにも笑ったのは初めてだと思えるくらい楽しい時間だった。


 夕日が空を赤く染める頃、今日の分の田植え作業が終了した。


 皆「ありがとうございました」とお互いを労い、この日は解散となった。ロットやジュリに大きく手を振り帰途についた。



 家に帰る頃には服に付いた土が乾き、歩くたびパラパラと落ちる。そんな俺を見て「はぁ」と母の大きなため息が聞こえてきた。


「予想はしていたけど派手に汚したわね」

「最初は気を付けてたんだけど、1回汚れたらどうでもよくなっちゃった」

「まぁ、子供の特権ってやつだな」

「洗う身にもなってよね」


 愚痴を溢す母だったが、父は笑うだけだった。


 家に帰り、服を脱ぎ捨てて身を洗う。それから用意されていたご飯を食べていたのだが、すぐに眠気が襲ってきた。


「寝るなら部屋に行きなさいよ」


 「うん……」と返事をしたのは覚えているが、目を覚ますと自分の部屋で寝ているのだった。きっと父が運んでくれたのだろう。腹の音とともに起き上がろうとする。


「お、重い……。だるい……」


 昨日の仕事がよほどきつかったのか、体の回復が追い付かなかったようだ。完全に筋肉痛と疲労だ。


「アグリ、ご飯よ。昨日の夜もあんまり食べなかったんだからしっかり食べなさい」

「はーい」


 呻くような声を上げ、何とか起き上がる。


「田植え機……欲しい……」


 とはいえ、昨日みたいに楽しい田植えは初めてだ。前の世界の田植えの時期は、休憩時間も無いほど忙しかった。朝から晩まで動き続け笑う暇もない。身体的な負担はこっちの方が大きいのは当たり前だ。でも、そんな苦労を覆してしまうほどの楽しさがこの世界にはあった。


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